私のコラム

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私が現役時代に学校新聞や機関誌にちょっとした文章を載せたことがありました。そこでその幾つかを載せてみようと思います。
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  キルケゴールを取り上げて「精神とは分裂関係」であり「虚無」と書いた作家椎名臨三は

 ドフトエフスキーの作品に出会って共産党を離れキリスト教に入っていく。彼は言う、この

 「虚無」が「パトス」を失った時、「死」があるとする。しかし、「虚無」の向こうに「無」
 
 があり、「無」は人の再生を促す。この「無」こそ、「精神」から逃れ出る、言いかえると

 「観念」から逃れ出た無限の充実がある。イエスもブッタもそんな時点に立っていたのでは

 なかろうか。イエスが「神の国」と呼んだたたずまいは、実はこの観念への拘りを越えた

 「無」への視線ではなかったか。神は無いのであって、「無」である。神は「無」の意味に

 おいて「有りてあるもの」なのである。仏教もまたそうではないだろうか。彼らが言う「心」

 の響きはこの「無」という「ネガ」から投影された「ボジ」なのである。

  趣味について書くはずだったのに、今、私の一番関心のある世界を妙に入り込んで書いて

 しまった。しかし、そう感じとられたすると、それは私の意図したことであって、「趣味」

 が人にとって、単にアクセサラーならば無用なもの。けれど、人は「趣味」の中で、忘れか

 けたものを見い出したり、「自己の回復」を無意識に願っていると思っている。

  人は人生の歩みの中で「原初的」な「原体験」を求めているのであり、この「無」より投

 影された「心」を求め続けている。救われた「心」尋ね続けている。

  それが「趣味」の果たす役割であり、この限りに於いて趣味を深めていかなければいけな

 いと思う。

  しかし、深まれば深まるほど、それは一般に言われる「趣味」の領域を離れ、もっと「心」

 に密着したとなり其の人を支える大切なものに変質していることになる。(この項、終わり)

  しばらくこの続きを書くのを忘れていました。今から35年前、学校の機関誌に書いたこの

 原稿は若い日に共通した物事をより難しく肩はって書かれいる原稿ですが、それだけに今には

 ない何かがあったように思えます。それだけに今読み返してみますと、よくここまで物事を断

 定的にことさら難しく書いたものだと思いながら、でも自分自身が惹かれている文章の一つで

 もあります。そんなこともあってこの「コラム」欄に二回にわたって書いてきたのですが、余

 りにも欲張って沢山な書庫のためか忘れていました。ここに続きを載せておきます。


            趣味  「心」   第三回

  彼(ピカソ)の作品(晩年の作品)は、あの幼児の作品のように直感的に画かれ、それ故に

 人間とって大切な「心」のたたずまい(観念の否定と言う意味において)を表しているように

 思える。

  バッハの曲は重厚で西洋の歴史の重さに立った精神、その構築性を感じさせる麺もあるけれ

 ど、一方ピカソの「原体験」として晩年の作品のように極めて「原初的」な側面も持ち合わせ

 ている。例えばバッハの最後の作品の一つでもある「音楽の捧げ物」と題する作品は極めて単

 純なパターンの繰り返しでもある。だから彼もまた、素晴らしく「原初的」なのだ。


  キルケゴールは「人間とは精神である」といった。しかし、精神は否定的本質を持つもので

 あり、それゆえに分裂関係であり、虚無ものぞかせる。創作活動にたずさわる人々はこの虚無

 をパトスとする力を失った時、太宰治のように「生きていてすみません」と言って自らの命を

 断つ行為が生ませる。(このあたりの経緯は椎名臨三が書いているが・・)

  けれど虚無を突き抜けると、どうやらそこにはもう精神の働きは「無い」らしい。仏教がお

 経だけを繰り返したり。キリスト教が「十字架による救いしかない」と言ったりする原初的な

 働きしかないようだ。そのにあるのは「精神の否定」故に「無」なのだ。ベートーベンがあの

 有名な交響曲第九「合唱付き」の中で「こんな曲であらず」として弦楽器で弾くくだりはを書

 いており、彼のそれまでの文学的な曲想を否定。その後の彼は「ラズモフスキー」等の弦楽四

 重奏曲にみられるように、若き日の文学的な否定から脱却し単純化・原初的化の響きをみせて

 いる。けれど、不思議なことに単純化し「原初的」になればなるほど、聞く側にとっては曲は

 難解になっていく。これは如何に私たちが「原初的」な感性や生き方から遠ざかっているかを

 いみじくも表していると思う。

  ピカソの晩年の幼児的な表現やバッハの晩年の曲。そして、キリスト者が言う「十字架の救

 い」は多くの人にとって難解なことでもある。人間にとって大切なものは難しい論理や考えて゜

 はなく、極めて単純で原初的な物の持つ「力」なのだと言うことがいえる。聖書学者の八木誠

 一氏はその著書の中で碧厳禄における達磨の言葉を引用し「この世にはなにもない。これが絶

 対と言う真理もない。ただの吹き通しであけっぴろげがあるだけだ」と書いていたが、このこ

 とも我々俗人にとっては難解だ。(続く)

     趣味「心」その2

  バッハは彫刻的、ベ−ト−ベェンは絵画的だと感じた大学時代。

  バッハの曲のもう一つの魅力は、何よりも曲がナイ−ブで、それでいてプリミテ

  ィ−ブで、古典音楽なのに現代性を持っているということだ。その頃の私は個人

  的な問題で異常な程、キリスト教に関心を持っていた。バッハの曲を毎日のよう

  に大学の帰りに喫茶「コンチェルト」に聴きに通ったのと平行して、キリスト教

  関係の書物を読みあさった。この場合、読みあさったという表現が適切であろう。

   バッハの曲をリクエストして、毎日閉店まで数冊のキリスト教関係の本を読み

  あさったのだ。それはまさしく異常としか、云いようがない。

   僕が趣味が読書と答えたのもその意味においてであり、もっぱら思想書。なか

  でもキリスト教関係の書物だった。

   キリスト教は歴史性を持った宗教というより思想であると思っている。

   キリスト教を歴史から切り離して、一つの宗教としてみる見方は正しくない。

  宗教が「アヘン」と云われる所以はキリスト教を絶対化し歴史から切り離して一

 人歩きすることにある。だから歴史の中でのキリスト教をとらえる視点が大切であ

 る。それと同時にキリスト教が「救い」とする「心のたたずまい」は現代に何を語

 るか。それをみる視点もまた大切である。

  これは歴史と切り離された形で「現存的でかつ現代的」なとらえ方で、その意味

 において仏教とも接点を持つものだと思われる。

  この仏教との接点の「心のたたずまい」を尋ねるのが、僕の今の「命題」と思って

 いる。その作業が「美術の創作活動」と共に僕の「ライフワ−ク」でもあると思っ

 ている。

  さて、バッハの曲が原初的生命に溢れていると前述したが、それは「精神」と云

 うべき形ではなく、「こころ」という響きに深く関わっていると思う。

  「精神」は観念的で自己否定的だが、「こころ」は観念的ではなく「心」で受け

 止める世界。そして、「現存的」なのだ。僕が「心」を「こころ」書いたこのニュ

 アンスの違いに「救い」がある。「こころ」はつねに「現存的」なのだ。こう考え

 ていくとバッハの曲自体、キリスト教や仏教が指し示しているあろう方向と無関係

 ではないと思われる。

  だからこそ、僕がバッハに魅せられるのだと思う。ピカソもそもそも原初的生命

 を求めて制作活動をたゆまず続けてきた巨人である。「青の時代」等は極めて文学

 的で精神的であるが、彼は既成概念の否定。ギリシャ的なものの否定に心がけた。

  それは「絵画」はらしい物の再現に意味を持たせることの否定。みかけの「コッ

 プ」はデッサンすれば「コップらしく」表現出来るが、それは「コップ」の実態で

 はない。それはみかけの「嘘」である。彼の主張はそうであったかと理解している。

  彼の後期の作品が幼児に見られる純粋直感的になっていくのはそうしたことだと

 理解している。つまり「精神」ではなく「こころ」のありようの表現なのだ。
   
   

  ここに載せる文章は私が30才の時、私の勤めている学校の「機関誌」載せて貰

 った雑文です。ここに載せようと思った動機はこの原稿を書いてから34年の月日

 が経っているのに、今の自分の考えと大差ないことの驚きです。

  ただ、そこに感じるのは「若さ」ゆえでしょうか。ことさら難しく書いている自

 分がいたということでした。長い文章なので数回に分けて載せてみたいと思います。

  タイトルが「趣味・心」となっていますが、この原稿依頼が「趣味」ということ

 でしたので無理矢理このようになりました。これは「趣味」といえるものではあり

 ません。あしからず・・。


        「こころ」第一回


  一口に趣味といっても、どう言っていいのか難しい。一般的に趣味と言えば、読

 書とか、レコ−ド鑑賞とか人は答える。けれどそれは余りにも漠然とした答え方で

 ある。趣味が一体どのような意味で「己れ」と「かかわり」合いを持つか、その

 「かかわり」合いを問わなければいけない。僕の趣味を一般的な答え方で表現すれ

 ば、レコ−ド鑑賞、読書、囲碁と云うことになるだろう。しかし、そんな答え方は

 本当はどうあってもいいことで、ここではその各々が「自己」の「心の根」とどの

 ような方向でもって「かかわり」合っているか、そのことを書いてみたいと思う。

  レコ−ド鑑賞が質的に「己れ」と深くかかわりあいを持ち始めたのは、高校に入

 ってからで、高校時代のひたむきな純粋な感性(感情)がドボルジャックとかメン

 デルスゾ−ンの華麗で優美な曲に関心を持たせ、ひいてはベ−ト−ベェンのドラマ

 チックな曲に惹かれ熱烈なファンとなっていった。

  毎日のようにベ−ト−ベェンの曲を聞き、その曲を覚えその曲を口ずさんだりし

 た。大学時代、両親と別れ東京で独り生活を始めるようになって僕の心はなにか深

 い感じのする曲を求めはじめ、「バッハ」の曲の出会った。大学時代「彫刻」を専

 攻していたせいもあってより彫刻的で宗教的な「バッハ」との曲との出会いがあっ

 たのだ。ロマンチジズムに溢れていた高校時代、その僕の心が大人への装いを整え

 てゆき、彫刻という自己と自己の分身との沈黙の対話の中で、それは交響曲という

 大がかりでドラマチックなものではなく、彫刻的な空間を持ち、かつ、静かで凝集

 された単楽器の曲に惹かれていくようになる。ベ−ト−ベェンも晩年の無伴奏の曲

 がそうであり、それ以上に「バッハ」空間を駆けめぐる曲に惹かれたのだ。

  大学時代、大学のアトリエでの制作に疲れた時、吉祥寺駅の近くにあった「コン

 チェルト」という音楽喫茶にしげく足をあこんだものだった。この喫茶店は「話厳

 禁」だった。大変落ち着いた大人の雰囲気のただよう静かな喫茶店だった。ここで

 のリクエントは「バッハ」ばかり・・・管弦楽組曲・チェロソナタ・オルガン曲

 (なかでも衆讃前奏曲)・コラ−ルフレリュ−ド・マタイ受難曲等々でした。

  あの巨大で神秘的で宗教的空間をかもちだすゴシック建築の教会を流れたであろ

 うバッハの曲は大学時代の「私」の「孤独な魂」と共鳴しあうものがあったのだ。

  その時、感じたものは、「バッハ」はより彫刻的で「ベ−ト−ベェン」は絵画的

 で文学的だということだった。

  バッハの単純にして恐るべき凝集性は空間を感じさせ、より彫刻的だと感じたの

 だ。

   
 

 
  
  

   このコラムは平成6年の学校新聞の「ふれあい」というコラム欄に載せた一文です。このころ

  山田洋次の「学校」がヒットしていたようです。


  ◇昨年の十一月に山田洋次監督の映画「学校」が封切られました。そして大きな反響を呼んだ。

   学校や教師をテ−マにした映画がテレビドラマや映画がよくヒットする昨今です。それだけ

   に現在の学校教育が競争社会でいろいろなものを失ってきているともいえかもしれません。

   映画「学校」は本来、学校は母のように温かい血の通ったもので、教育体制ももっと余裕の

   あるものではなかったか、と問いかけています。「一人一人を大切に」を本校の大切な教育

   姿勢に掲げるかぎり、本校は「母のような学校」「血の通った学校」作りを忘れずに前進し

   ていきたいものです。

   ◇近年学校教育に五日制を導入する事への賛否両論が新聞紙上に載ることが多くなりました。

    五日制導入に対して否定的な見解は、これに伴う「学力低下」「土曜日の家庭での対応」

    等です。賛成的な見解は「余裕のある教育」「一般企業の五日制の定着化」等があげられ

    ています。確かに今までの競争社会の中での競い合う関係の「学力」、そして、今だのさ

    ばる「学歴社会」での「レッテル」を肯定するならば五日制実施は問題をはらみます。

     しかし、もっと余裕のある教育、個性を伸長する教育を願うならば、五日制の実施は加

    熱する競争社会に一石を投じることに繋がるのでは・・。

   ◇昨年の四月、「100歳先生、うめ子先生」が放映されました。山形の「キリスト教独立

    学園」が舞台でした。競争社会から離れ、個性を尊重し、一人一人が自分の生き方を真剣

    に考え学ぶ。そんな現在の多くの学校が忘れかけている学園がそこにありました。

   ◇本校もそんな人間教育を何よりも大切にしたいものです。

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