小説「恋文」

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ある競輪場で出会った風変わりなリタイアした男三人。それぞれに全く異なった人生だったのに、行きつく所は、うらぶれて無料の競輪場の休憩場。しかし、三人に共通した幸せがあった。それが「恋文」さて、どんな展開になるのでしょうか。
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  人には、他人から見て異常と思われる恋の感情に囚われるときがある。それがまるで病魔の

 如く本人の心を占領し、自分の本来のあるべき姿を見失わせるそんなことがある。そんな恋に

 限って純情で激しい感情の故に結末が見え隠れする思いに囚われる。神馬左千夫はそんな恋に

 落ちた。けれど摩耶の突然の渡米。彼も何とか金を工面して渡米をとも思ったり、文通を通し

 て愛を深めようとも思ったりしたが、人の感情は距離に比例するかのように文通の途切れ途切

 れとなり、渡米する感情も薄れていった左千夫。その反面、踏み出した東京神学大学での大学

 生活は矛盾や不信を妊みながらも中退せず卒業まで漕ぎ着けた。そして、大阪の郊外の教会の

 牧師になった彼。不思議なもので信者を前にし、良い説教と思い祈りと聖書の勉強をする中で

 彼は見事に牧師に変貌していった。

  彼は牧師になった当座は

 <何故こんな俺が牧師に・・。高校時代からしてみれば信じられないキリスト教の世界・・>

 <偽善とはこのことではないか。祈っていても本当に神を信じて祈っているのか>

 <摩耶に惹かれてはまり込んだこの俺が牧師をしていいのか>

  そんな思いに囚われていたが、彼はそこに居直って祈っている自分・説教している自分をそ

 のまま受け入れるようになっていったのだった。

  そんな折りの摩耶にうり二つの女性との出会いは衝撃的だった。

  説教も言葉につまり、祈りも身がはいらないまま終わった。

  日曜礼拝が終わり信者が三々五々教会を出て行く中、1人摩耶に似た女性が残った。

   彼は、動揺する胸を沈めながら、女性に近づき尋ねた。

  「この教会は初めてですよね。」

   彼女は顔を赤らめて

  「ええ、初めてです。」

  「この教会をどのようにしてお知りになったのですか。」

   彼女はちょっと戸惑ったが

  「最近、この近くに越してきたのです。」

  「関東の方ですか。」

  「ええ、そうです。東京にいました。」

  「どうして関西訛りがないと思いましたよ。」

  「ご家族の紹介ですか。」

  「違います。犬の散歩をしてこの教会の前を通りがかったら素敵な賛美歌が聞こえで

   きたのです。そこで日を改めて一度覗いてみようと来ました。」

  「そうでしたか。どうですか。ここの教会は・・」

  彼女は顔を赤らめて   

  「ええ、教会の雰囲気っていいですね。」

  「そうでしたか。これからもお通いになられますか。」

  「ええ、お願いします。」

  「ところでお名前は?」

  「栗本摩耶っていいます。」

  「えっ!!」

   彼はドキもを抜かれた彼女の口から摩耶っていう名前が飛び出したからだ。

  「ま、摩耶さん・・で・・で、ですか?」

  「ええ、変わった名前でしょう。」

  「わ、私の知っている人に摩耶っていう女性がいましてね。」

  「えっ、そうなんですか。」

  「な、なんですが、姿もその女性とそっくりなんです。び、びっくりしました。」

   彼女は伏し目がちに顔を赤らめながら窓の外に目をやった。

   <この仕草まで山辺摩耶とそっくりだ>

   彼は高校時代の生徒会室での窓の外に目をやる摩耶の仕草を思い浮かべた。

  「そうですか。人間にはとても良く似た人がこの世の中にはいると聞いたことがありましたが

   牧師先生のご存知の方と名前まで同じなんて光栄です。」

  「い〜や、こんなことがあるものですね。不思議です。ですからずっと何かおつきあいしてい

   たような気分になれます。今後とも宜しくお願いします。きっと何かのご縁でしょう。」

   左千夫がそう言うと栗本摩耶は恥じらいながら彼がまた驚くようなことを言った。

  「実は、私の高校時代に付き合っていたボーイフレンドが牧師先生にとても似ているです。

   これって奇遇ですよね。」

  「えっ、わ、私にこれまた奇遇ですね。まさか名前まで同じではないでしょうね。」

  「雄平って言いました。先生のお名前は?」

  「私は、神馬左千夫っていいます。」

  「よかった〜。名前まで同じだと何がなんだか・・」

   彼女はそう言って立ち上がった。

   すらっとした均整のとれたスタイルのいい美人で、十数年前の山辺摩耶うり二つだと左千

  夫は改めて思った。

   それだけに複雑な思いが心を過ぎる。すっかり身も心も牧師になっていた彼に一陣の嵐が

  吹き抜ける。教会を出て行く彼女を見送りながら彼は思った。

  <これは神様からの引き合わせに違いない。あんなに恋いこがれた俺。そのために牧師の道

   を歩み始めたのだ。これは 神様からの恵みだ>

   彼はの心につと出てくる思いがこれだった。

   (続く)

  神馬左千夫は、高校時代身も心もひとりの女性に心奪われてまるでストーカー如き思いで、

 山辺摩耶の後を追い求めた。そのきっかけは入学時の生徒総会の折りの役員紹介だった。人

 には一目惚れがあるとは知っていた彼だったが、まさしくそれは電撃的な一目惚れだった。

  彼は、入部していた剣道部を退部。直ぐさま生徒会役員に立候補。願いが叶えられて生徒

 会役員に収まった彼は、彼女が彼女の父の転勤で仙台に転居するまで、毎日のように生徒会

 室に通い、「摩耶」の一挙手一投足に目を奪われた。彼女が微笑むと、彼も自然と微笑み、

 彼女が語り出すとまるで有名歌手の歌に聴き入るようにうっとりした。何気ない仕草、生徒

 会紙を印刷するために手を挙げたり差し出したり体を起こしたりする仕草。役員会議で役員

 1人1人に気を遣い語りかける目線。その一つ一つが彼の心を捉えて離さなかった。家に帰

 っても想いは「摩耶」のことばかり、机に座って教科書を開いても教科書のページのあちこ

 ちから摩耶のささやきがもてくるようにさえ感じた。左千夫は生まれながら純な所があり、

 それだけに彼女への思いは一方的ではあるが純愛にそのものだった。だから不純な思いやた

 だいたずらに欲望から湧き出でるようなものではなかった。

  悲しいことに熱烈に思いを寄せた摩耶が突然、彼に何も告げずに仙台へと転居した。

  それは彼にとっては衝撃的な出来事。このことを知った当初は全くしんじられなかった。悪

 夢を見ているようでさえ感じた。彼が彼女の転居を知ったのは副会長からだった。どうしても

 信じられない彼。虚脱状態で授業中は机にうつ伏してノートに摩耶、摩耶と書きなぐりろくろ

 く授業を聞かなかった。クラスメートや生徒会役員達ともほとんど口を利かなくなり、1人悶

 々とした。何日も放課後になると真っ先に生徒会室に飛び込んだ。もしかして摩耶の姿がある

 のではないか。彼は彼女が座っていた椅子に座り彼女の微笑みを思い浮かべた。でも、彼女は

 いなかった。

  やがて、彼は生徒会に辞表を出し役員を辞める。生徒会にいる必然が彼には感じられなくな

 ったからだ。

  摩耶に「ラブレター」を出したのはそんな経緯の末だったが、彼女からの返事は彼女が通っ

 ている教会や牧師のことばかりで彼の愛の告白には一言も触れられてはいなかった。

  彼は、ショックを受け何回も読み直したが、幾ら読み直しても告白への返答は書かれてはい

 ない。むしろ彼へは信仰を持つことの勧め言葉が添えられているだけだった。

  彼は、手紙を読みながら怒りに怒った。

   <何故、宗教などに夢中なるんだ。宗教は人の心の弱さにつけ込んだ精神的詐欺だ。>

  そんな思いが湧き出てくる中、手紙を破り捨てようとも考えたが破り捨てると彼女への繋が

 りがそれきりになりそうに思え出来なかった。

   彼は荒れ狂う海に投げ出されたような思いに襲われ、あちこちの古本屋を歩きまわった。

 彼女を心を捉えたキリスト教なるものを知ろうと適当な本を探し歩いたのだ。そんな彷徨う中、

 彼はある古本屋で「内村鑑三」の著書と出会う。その本とは『余は如何にしてキリスト信徒に

 なりしか』という内村鑑三の若き日から米国での信仰への目覚めの経緯を書いた本で、何とな

 くその本を買い入れて学校の図書館でそっと読んだ。読んで行くにつれ彼はキリスト教って言

 うのがそれ程おかしな宗教ではないと思い直す一方、内村の個性にも惹かれた。そこで「摩耶」

 の願いを叶えるべく信者を通り越して牧師になろうと思いたった。それ程、「摩耶」対しての

 想いが強かった。彼の信仰にいたる経緯は、おおよそ牧師たるべき、信者足るべき精神状況で

 はなく、本音は「摩耶」を手に入れるためと言った方が良かった。彼の純愛は信仰への道とし

 ては不純なもので、おおよそ牧師への道においては全く不純そのものの動機であった。

  でも入り口がどうであれ、彼の心の中にこのことを契機に「キリスト教」と言う宗教の存在

 が根付いたのだ。彼は親の反対を押し切って大学を東京神学校へと駒を進めた。神学校に入っ

 た彼は真っ先に「摩耶」に手紙で知らせた。

  摩耶の返事は直ぐ来た。そこには彼の入信を喜び、牧師の道を歩み出した彼に満願の思いで

 祝福の言葉で満たされていた。

  この手紙を契機に二人の文通が始まる。彼はこの文通の再開を小躍りして喜び、送られて来

 る彼女の手紙を丁寧に分厚いアルバムに一枚一枚手紙を広げ、キスをしてファイルした。

  順調過ぎる東京神学校時代。左千夫は彼女との結婚を夢見て、彼女から誉められるような牧

 師になるために彼は必死で神学校に通う。

  やがて文通が功を奏したのか、左千夫は仙台での彼女とのデートに漕ぎ着ける。踊る気持ち

 で彼は彼女に会いに行った。二人で彼女の通っている教会を見たり、名取川添いに東北大のキ

 ャンパスや青葉城跡や美術館を巡ったりした。幸せ過ぎる一日で、瞬く間に仙台の一日は終わ

 った。 彼は、この日が来たことを神に感謝した。

   しかし、そんな中、貿易関係の商社にいた彼女の父親が渡米することになり、彼女は悩み

 に悩んだ末に父親の後を追って渡米。これが二人の出会いの悲しい別れとなる。

  

  
  左千夫は自分の勉強室にこもって山辺摩耶に初めてラブレターを書いた。西日が勉強部屋一

 杯に差し込む夕暮れの時、彼は机に向かって人生初めてのラブレターを書いた。でも、どのよ

 うに自分の気持ちを伝えたらいいか分からず一枚の便箋に書くにもままならず2時間余り悪戦

 苦闘して書き終えるのにかかった時間が二時間余り・・。十数枚の便箋を使った末でやっと一

 枚のラブレターを書き終えた。

  内容は、入学直後から一目惚れだったこと。生徒会では胸躍る日々を過ごしたこと。突然の

 転居でショックを受けたこと。これからは文通を通して交流を深め交際をしたいこと等々を書

 きしたためたのだ。

  程なくして左千夫の元に摩耶からの手紙が届いた。高まる気持ちを抑えて、封を切ると一枚

 の写真を添えて便箋一枚の手紙が入っていた。

  写真は教会の写真。手紙の内容は、もっぱら教会のことだった。仙台に転居した摩耶は家族

 の薦めもあり仙台市内の教会に通い始めていたのだ。彼女の一枚の便箋の内容はもっはら教会

 に通う幸せが書かれているだけで、彼の愛の告白に対しては一言も触れず、彼への一言は生徒

 会での活動のお礼だけだった。この内容に釈然としない彼は読み終わると呟いた。

  <何なんだ。俺の告白に何も応えていないじゃ〜ないか。そんな冷たい女だったのか。>

  手紙の最後の一行にはこう書き添えられていた。

  <左千夫さんも是非、教会に一度足を運んで見て下さい。主にありて・・。>

  そんな添え書きを読んで彼の山辺摩耶への思いはいっぺんにさめたのだ。そればかりか怒り

 がこみ上げてくる。

  <摩耶はそういう女だったのか。宗教は精神的詐欺なんだ。そんなものに騙されるなんて

 ・・。>

 それっきり一度きりで二人の文通は途絶えた。

  人が何故、ありもしない世界を信じ、「幸せ」を感じるのか、おおよそ宗教には無関係の家

 庭に育ってきた彼。当然な思いだった。それにプラスしての左千夫の告白に対しての摩耶の無

 反応。

  何枚も便箋を使っての彼にとっては人生一番の大仕事だったラブレター書き。それが摩耶の

 手紙で一喝された印象を受けた思いがした。 

 しかし、左千夫には何故か否定したはずの摩耶への思いはつのる。彼にとっては初めて心奪わ

 れて心寄せた女性だったからだ。

  そんな時、ぶらり立ち寄った旭書店で内村鑑三の「余は如何にしてキリスト信徒なりし乎」

 が目に入った。<内村鑑三と言えば明治の思想家だ。この彼が何故キリスト教に?>そんな思

 いと摩耶のこととが入り交じり初めてこの本を通してキリスト教の世界に立ち入ることになる。

  読んでいくと内村鑑三の強烈な個性に惹かれて内村鑑三にのめりこんでいく。

 彼が東京神学大学に駒を進めたのは「摩耶」の手紙から来る反動と、それをきっかけとして出

 会った内村鑑三の著書からの影響だった。   
 


   

  
  山田吉造が教会に来なくなってから1ヶ月。彼と入れ替わるように一人の女性が教会に来るよ

 うになった。その女性との出会いが彼の人生の「歯車」を狂わせることになる。その経緯を書い

 てみよう。

 
  初夏の陽ざしが強まる5月の第三日曜日。その日は空は雲一つない清々しい日だった。日曜礼

 拝の朝を迎えた牧師「神場左千夫」はいつものように洋服ダンスから法衣を取り出す。

 その法衣は黒で胸元に金色の十字架が縫い込まれていた。その法衣を身に付けると彼は大きく深

 呼吸して書斎に掲げられた十字架の前で手を合わせる。そして靴に履き替え、ゆっくりと廊下を

 歩き教会に出る扉の前に立つた。母屋と教会を仕切るものは木造りの扉一つ。教会からは妻の弾

 くバッハの「衆讃前奏曲」のオルガンが流れてくる。毎回のことなのだが、再び彼は高まる気持

 ちを抑えるように扉の前で黙祷し十字を切る。

  これは彼の日曜礼拝に向かう彼の大切な日課。彼にとっては一週間の中で一番の大仕事なのだ。

  週の半ばに行う信者を対象にした牧会も大変であったが、なんと言っても日曜礼拝は彼にとっ

 ては一週間の中では最大の仕事であった。日曜礼拝の演題は礼拝が終わった翌日から始まる。

 彼の属している教団の仕事・信者宅の訪問・教会での信者との対応・週報「めぐみ」作成、日曜

 学校とバイブル教室、そして牧会と仕事が沢山あった。

  このようにいろいろな仕事が待っていたが何をいっても日曜礼拝の演題の草稿づくりにエネル

 ギーを使った。

  その草稿の殆どは、妻が寝入った後、彼の書斎で祈りに始まり祈りで終わる静かな夜の一時に

 考え作成した。そんなこともあって母屋から教会への出入り口の扉の前に立つと決まって胸は高

 まるのだ。扉を開けると、常連の老若男女が20名ばかりつつましく座っている。

  中央の演壇に彼が歩み出ると、妻のオルガン演奏は終わる。

  それに合わせて演壇に置かれた分厚い聖書に手を置いて彼の礼拝の開会の祈りが始まる。

  祈りが終わると参列者一同で賛美歌を歌う。



  その日の演題は、旧約聖書の「ミカ書の四章」の聖句から「アメリカのイラク戦争突入」に関

 してだった。何故、アメリカがクェート侵攻のイラクに対して戦争を始めたのか、それをミカ書

 をもとに話すのがその日の演題だった。

  彼はミカ書の一節を読み始める。


  
   「さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。

    彼はその道をわれわれに教え、

    われわれはその道に歩もう」と、

    律法はシオンから出、

    主の言葉はエルサレムから出るからである。


    彼は多くの民をさばき、

    遠い所まで強い国々のために仲裁される。

    そこで彼らはつるぎを打ちかえて、鋤きとし、

    その槍を打ちかえて、鎌とし、
 
    国は国にむかってつるぎをあげず、

    再び戦いのことを学ばない。

   
    彼らは皆そのぶどうの木の下に座し、
   
    そのいちじくの木の下いる。

    彼らを恐れさせる者はいない。

    これらは万軍の主がその口で語られたことである。


  彼は、そこで聖書を閉じ、再び祈りを捧げる。彼の祈りは「イラク戦争」のことだった。一

 週間かかって書き上げた彼の説教はミカ書の戦争否定、軍備撤廃のことだった。その日の彼は

 説教に熱く燃えるはずだった。

  しかし、説教と途中、彼は一瞬話が途絶えた。彼はハッとしたのだ。参列者の後方に彼の視

 線は一瞬釘付けにされたのだ。

  パッと人目をひくような若い女性が彼の目に飛び込んできたのだ。 

  <えっ、あ、あれは摩耶!!う、うそっ!!> 

  彼の目に飛び込んできた女性とは、彼が高校時代に激しく恋いこがれていた初恋の女性、

 「摩耶」だった。いや、彼にはそう思えたのだ。細面で大きな潤んだ瞳、形の良い鼻と魅惑的な

 厚い唇。きめ細かな透き通るような肌。すらっとした長い足。均整のとれた体。彼が高校時代に

 一目惚れしたその女性、それが「山辺摩耶」だった。

  高校に入った彼は、部活動として直ぐ剣道部に入る。小学校時代から母親の薦めで町の剣道道

 場に通っていた彼。中学時代の頃から夢はインターハイでの剣道部門で優勝することだった。

  しかし事態は急変する。入学して間もなく新入生対象の生徒会集会が体育館で開かれた。この

 集会のおり、一年生全体の前で生徒会役員紹介があった。会長・副会長・書記・会計・監査等々

 8名程の役員が紹介された。その役員の中に彼女「山辺摩耶」がいたのだ。左千夫は一級上の彼

 女の姿に釘付けになった。彼女は回りがパッと明るくなるような美人だったからだ。

  彼の心は踊り胸は高まった。まさしく一目惚れ。その時に彼にとっては転機が訪れた。役員に

 1名欠員があり、その補充を新入生にお願いしたいというのだ。

  彼は身を乗り出しその話しを聞いた。当然、彼はそれに飛びついたのだ。彼女は生徒会役員の

 会計を担当していた。欠員は書記1名だった。

  なにをおいても彼女をものにしなくてはと、彼は決断する。直ぐ親に相談なしに剣道部に退部

 届けを提出。書記候補に立候補したのだ。幸い応募者が彼の外に誰もいず信任投票と言う形で彼

 は書記にすんなりと選出されたのだ。

  それから一年間、彼はこの美しい「摩耶」との生徒会活動を通しての触れ合いは彼にとって幸

 せそのものだった。生徒会室で彼女と向かい合う時、顔は紅潮し、言葉もつまる程。でも、彼は

 彼女の潤んだ瞳を見るだけでも「幸せ」だった。文化祭・体育祭等の生徒会行事に彼は勉強を放

 り出してまで没頭した。無論、彼女を射止めるためだった。

  しかし、そんな月日は瞬く間に過ぎてしまい、高校三年生になった彼女は生徒会役員を引退。

 居場所をなくした彼はすぐ生徒会を降りたのだが、残念なことに彼の気持ちを伝えることもなく

 「摩耶」は父親の仕事のために仙台に転居してしまったのだ。彼はそのことを知ると慌てた。

 何とかして自分の気持ちを彼女に伝えたい。彼は焦った。暮れ方、西日が差し入る自分の部屋で

 彼は、初めて「恋文」を書いた。  
  


  

   
 

  左千夫牧師は、突然申し訳なさそうに話し出した吉造の「夢の話」を興味深く聞いた。聞きな

 がらそこまで「競輪」に熱を上げる吉造がまるで別種のような人間にさえ見えた。生き甲斐って

 それぞれ異なるけれど、狂おしいばかりに競輪に入れ込む彼が、それが彼の全存在を賭けても良

 い程の生き甲斐になっているのを知り羨ましくさえ感じた彼。目を輝かせて語る彼の顔をしげし

 げと覗き込んだ。「イエスが競輪選手となってバンクを走る」この突飛な夢を吉造は瞳を輝かせ

 語り続けた。話し終わると、彼は

  「どげ〜。ことか。牧師先生に聞かんとと思い話したじゃけんど・・。どがもんですだ。」

  左千夫牧師はその質問の彼の真意が今ひとつ分からず問いかける。

  「そんなに競輪がお好きなんですね。いいじゃ〜ないですか。」

  「牧師先生、ほんとそぎゃ〜思うとか。」

  「ええ、そう思いますよ。」

  吉造は怪訝そうに左千夫牧師を見る。

  「わしの妹は、この話ばしたら、なま〜怒りおって、信心が足らんだと・・。」

  「ほほ、そして?」

  「確かに、そげんなことかと思うじゃけんど・・。洗礼をば受けても、少しも以前と変わりお

   りましぇん。布団に入っても天井さ、競輪のバンクに見えよる。競輪をば忘れることは到底

   わしには出来んだ。」

  「そのようですね。」

  「なら、洗礼はわしにとって何の意味ば、ある?牧師先生どう思うますけん?」

  「そう言われるのは、洗礼を受けると世界が変わるとでも?」

  「そうだ〜。妹はそう云いよるけん。だども、洗礼を受けても毎晩、大分の競輪場が出よって

   、ついにはイエス様さあ〜。競輪選手になりおった。妹は、わしに飽きれおって食前でのお

   祈りではこう祈りおっただ。」

  「ほう、どんな風に?」

「わしに悪魔さついておるけん。神さんに申し訳ないと、洗礼は兄にはきかんと・・。そんな

   ことば云いよって、わしゃ〜、兄弟でもがんたれじゃ〜。頭も気持ちもがんたれじゃ〜。」

  「がんたれ?」

  「できが悪いということですだ〜。」

  「ほほう、そんなことはありませんよ。山田さんはとっても純粋で真っ直ぐな方ですよ。」

  「またまた、先生さぁ〜。そげな見え透いたことを・・・。」

  「いいえ、山田さんが教会に通って来られ、礼拝中慎ましく祈りを捧げておられるのを見て、

   そう思っていましたよ。」

  「牧師先生にそう思ってもらうことは、てげ〜、嬉しかことか・・。」

  「山田さん。競輪ってそんなに楽しいことですか。」

  「ああ、わしにとって、三連単を当てた時は、もう天国でさぁ〜。こう気持ちがパッと明るく

   なって・・。全てが嬉しか。体に自信ば〜沸いてくるだ。」

  「三連単?今までで三連単で当てたのはどれ程でしたか?」

  「240万円程が最高で、えれぇ〜、気持ちさもらしてしべんちびりおるほどだ〜。」

  「240万?びっくりですね。幾ら使ったのですか。」

  「いや、その時は、1,000円だ〜。」

  「千円が240万!!!びっくりですね。それは気持ちが舞い上がりますね。」

  左千夫牧師は、吉造のさりげなく云ったこの額にあきれる程びっくりした。

  「だども、それが天国でも、それは極くまれのことだ〜。地獄の方が多いじゃけん。」

  「ほう、地獄ね。それって赤字っていうことですね。それはどれ程ですか。」

  吉造は肩をすぼめ両手を左千夫に投げ出すように広げて

  「牧師先生に話せる額ではないけん。云えんじゃ〜。」

  「そんなに大きな額?」

  「家が一軒建てる額ですばい。」

  「えっ、家一軒!」

  左千夫牧師はびっくりした。

  「だども、先生さ、一度、競輪ばやってみんさい。三連単ば当てると牧師先生云われる天国

   程の嬉しばきよるよってん。」

  吉造は左千夫牧師の話は続く。最後に左千夫牧師は山田の手を握って祈った。



    天の神様、この山田さんの心に神様とともにある喜びと心のやすらかさをお与え下さい。

    僕(しもべ)は、あなた様とともにある日を願っています。恵みの多からんことを・・。


  それから何故か山田の教会通いはパタリと途絶えた。ある日曜日の礼拝後に妹の岩崎が左千夫

 牧師のところに来て、申し訳なさそうにこう云った。


  「先生。ほんまに申し訳あらへんことになりました。実は、兄が突然置き手紙を置いて家を出

   たです。牧師先生には洗礼までお願いしたのに・・。そう思うと申し訳なくて申し訳なくて

   ・・。」

  左千夫はびっくりして聞き返した。

  「えっ、そそ、それは本当ですか。まま、またどうして・・・。」

  妹は、ショルダーバックから封筒を取り出し、左千夫に差し出した。

  「これを読んでください。私の兄に接する仕方があきませんでしたんや。」

  左千夫は茶封筒から折りたたんだ便せんを取り出して広げた。

  そこには、たどたどしい字でこう書かれていた。


   ここにいると、お前さんのこごとがつらか。家を出る。釜が崎に行く。そこで仕事ば見つけ

  て働くけ〜。いずれ連絡するけ〜。捜がさんでほしいけん。じゃ〜。世話ばかけてすまん。

   また、いずれやけん、な。


  左千夫がふっと深い溜息をついた。  
   
 

  

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