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「合掌した手」を中心に、千の手が広がる本像
合掌した「手・掌」は、触れているようで、お互いに触れてはいない。
そして、「少し、左側から」仰ぎ見ると、
向って右側の手が、まっすぐに伸び、右の頬が理知的に見える。
左側の手がふっくらとなり、左の頬がふっくらとなり、慈悲の顔が見える!
お顔も、右の方の目が「くっきりと開いて」黒目もはっきりと。
左の方は、ここから見ると、よくは見えない。
少し、目を伏せている、ようにも「細く」見える。
すばらしい。
そこから動くことができなくなった。
しゃがんで、下から、ひたすら、拝んでいた。
千手観音様は、
足元にひざまづいている者を、
慈悲の瞳で見下ろして、いました。
周りの大勢の人々は、立ったままで見ているので、
そのお顔を知らない。
お寺で拝む人々だけがこの一番素晴らしい姿に逢うことができる。
〇 〇 〇 〇
西国33所第5番札所である葛井寺の本尊で、天平彫刻の最高傑作の1つ。
優美な表情、均整の取れた体や衣の表現は、究極の天平美といえる。
千手観音像は、40本の手で千手をあらわすのが一般的だが、本像は大手・小手あわせて1041本をもち、
合掌した手を中心に千の手が広がる本像の表現は見事である。
千本以上の手を持つ千手観音像は、本像しか確認されていない。
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クリスチャン(父)の仏教美術の旅
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このシリーズは私の亡父が自分で撮った仏教美術に関する厖大な写真アルバムから仏教美術の旅をするシリーズです。亡父は熱心なクリスチャンで、祈りの人でした。その父が見つめた仏像や寺院。そこに父は何を見たのでしょうか。このシリーズは父の心を知る私の旅にしたいと思っています。
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今日は、父のアルバム第十四集から昭和44年11月に自由律俳句同人誌『白嶺』の仲間たちと奈良に吟行の旅に出かけ立ち寄った十輪院の写真をのせてみることにしました。昭和44年といいますと、私が中高の美術教師になって四年目で26歳の時の頃かと思います。私が教員生活にも慣れクラブにクラスに意欲的に取り組んでいた頃と思います。父は、当時大手の食料品の子会社に代表社員として転任していました。父は、特に同人誌『白嶺』の編集に生きがいを感じ時々同人仲間と吟行旅行に出かけていたようです。
仲間たちと立ち寄った十輪院は奈良県にあり、実は父の俳句の師・心の師である青木此君楼氏の書が十輪院の座敷に掲げられているのです。『月明天青海大』
と師が彫ったものです。論語?からとったものかな・・。
また、重要文化財となっている石仏龕が本堂にあり全国的にも有名な寺です。
父がその時撮った写真が下の写真です。私の実兄から貰い受けたカメラで撮られた写真ですが、この写真を通して父の思いが感ぜられます。
この石仏龕は十輪院の本堂に収められている大変珍しいものです。
この十輪院は、もともと元興寺の別院として9世紀はじめに建立されたとされていますが確かな年代は分からないようです。この別院の名前が『十輪院』とされたのはどうやら鎌倉に入ってからのことらしく「地蔵十輪経」からきたということです。この寺は地蔵信仰として庶民から尊ばれ鎌倉時代ではかなり栄えたということでこの写真では出来栄えは今一つ分かりませんが、三体の仏の顔はいずれもふくよかで童顔。優しさに溢れている石仏達のようです。
本堂前の私の父です。
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昭和40年1月2日 冬晴の日 父は俳句の友である吉田冬樹氏とともに奈良の浄瑠璃寺へ
○アルバムの書かれた父のメモから
吉田冬樹君と奈良→浄瑠璃寺→岩船寺→加茂を訪ねる。浄瑠璃寺の石棟の立つ九体寺口にてバス下車。浄瑠璃寺まで約3キロ。途中、廃屋となった村の集会所前にに一群の地蔵尊の石仏あり。鎌倉時代のものと想像せらる。
浄瑠璃寺の手前約3丁位の曲り角、右側にある阿弥陀坐像。高さ5尺、半肉陽刻。
上品上生の阿弥陀仏で、弥陀定印を結び、八分びらきの連座の上に趺坐す。上に石笠を置き雨露を凌ぐ。
徳冶2年4月29日造立の銘あり。(鎌倉末期)
私が大学三年生の時、義兄の親が歌人で月刊誌を手作りで出されておられ、その母に勧められその会員として短歌を作っていた時があってその句会の帰り大和平野の野仏を見て回ったことがありました。その時、感じた野仏の素朴さ・単純さ・無名の石工加えて、風雨にさらされての摩滅し苔むす野仏に惹かれました。このような石仏化が盛んに作られ出したのが平安時代の後期。実は日本の数ある仏像では一番多いのは石仏なのです。庶民信仰として路傍や墓地等に置かれいちいちお寺にお参りしなくてもこの路傍の石仏に手を合わすだけで済むのが庶民に親しまれた理由かと思います。ここには自然崇拝と仏教の合作を感じます。お地蔵さん(地蔵菩薩・道祖神)。野仏は正しく絢爛豪華な寺や名仏師が彫った仏像でなく何気なく立ち進み、いつも村人たちとともにあって自然災害や凶作や家内安全を守り、村人を優しく見守る優れたものです。
石と言えば、私の大好きなミケランジェロを思い出しますが、彼曰く「切り出した大理石に人物がうずくまっている。私は手を貸してそっと引き出すだけだ。」と・・。
確かに石には無言の強さや語りかけるものがあるようです。
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8年前大阪は箕面市桜井の実家から亡き父が撮った写真のアルバムが80冊届きました。このアルバムには家族や俳句同人や知人等の写真。旅先での写真等できちんと整理してまとめられています。父は何時の頃からか私の直ぐ上の兄からカメラを譲り受け好きな仏像等を撮り続けることになります。素人カメラマン?の誕生です。父はこのカメラはを後生大事に持ち続けその後、80冊にも及ぶアルバムを残すことになります。特別高価なカメラではないけれど二眼レフ。父は器用ではないのですが、カメラを取る時中々どうして目の付け所がうまいのです。このブログで是非このアルバムでシリーズを書こうと思ったのですが、今になってしまいました。
ここにきて何とかして父のアルバムから寺・仏像等を拾い出し『父の仏教美術の旅』と称してこのシリーズをスタートしたいと思うようになりました。今のところ週一回のペースでこのブログに取り上げたいと思っています。
さて、そのスタートは、父と私とで義兄の実家のある榛原を訪れた時からとします。スタートは私が20歳の大学生の時の四月としましょう。遥かな昔・・。黄いばんだ父の白黒写真からスタートします。
訪れたのは室生寺です。ここは真言宗の寺でここの五重塔は十数mで小さいがとてもバランスのとれた塔です。建てられたのは相武天皇が病に倒れた時、竜神が現れて病が直ったとか、5人の僧侶の祈願で治ったとして建てられたと言われています。八世紀〜九世紀にかけて作られ五重塔が現存するもので日本では一番小さな塔で平成10年の台風で激しく傷み、新しく再建された。それまでは室生寺では現存するものの中で一番古いとされていた。本尊は釈迦如来です。
その時、読んだ私の下手な短歌を載せておきます。
室生寺の屋根に若葉の影乱れ又落ちかかる石畳路
五重塔の下で
だ
室生寺の山門
上から見た金堂
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一昨日、実家から亡き父のアルバムが宅急便で届きました。ダンボールにして八箱。アルバム |

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