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この表紙で、英語で、言っている!
「なぜ、私はクリスチャンでないのか」と。
だから、結論は、当然、必要ないである。
『宗教は必要か』 (1959年)「理性的な人なら誰にも疑えない、それほど確実な知識などあるのだろうか」。この書き出しで始まる本書は、近代哲学が繰りかえし取り組んできた諸問題を、これ以上なく明確に論じたものである。ここでは、分析的な態度を徹底しつつ、人間が直接認識しうる知識からそれを敷衍する手段を検討し、さらには哲学の限界やその価値までが語られていく。それはまさしく、20世紀哲学の主流をなす分析哲学の出発点でもあり、かつ、その将来を予見するものであったともいえよう。今日も読みつがれる哲学入門書の最高傑作。待望の新訳。
ラッセル,バートランド
1872‐1970。イギリス生まれ。ケンブリッジ大学で数学・哲学を学ぶ。ホワイトヘッドとの画期的な共著『プリンキピア・マテマティカ』によって数学基礎論に貢献。記号論理学を大成するとともに存在論・認識論に適用し、分析哲学の始祖として二〇世紀哲学の流れを決定づけた。 平和運動・社会運動にも挺身し、社会評論や倫理問題に関する著作も数多い。
1950年、ノーベル文学賞受賞(平和賞)
投稿者 韮沢 投稿日 2013/7/15
ラッセル一押しの名著。初読者には、つまずきのポイントもあるかも。
ベスト1000レビュアー2008年9月27日
1)「哲学原理」の直後に書かれた平明な小著。比較的初期の最もラッセルらしい時期の名著。
2)数学者で、明快・明晰のイメージが強いが、読んでみると、読後感は少し違う。明快な論理で果断な叙述と、案外好い加減と言うか、俗に言う英国経験的な経験・日常性重視の視点の混合が、読むものの調子を狂わすかもしれない。本書では比較的大人しいが、乱暴極まりない発言もあって、怒り心頭に発する読者もいると思う。しかし、我が身に振返って、自分の日常的思考を鑑みると、むしろラッセル的な考えが受け入れやすいことに気付く。帰納の不確かさのあまり反証主義へ傾斜するような極端さは無いのが良い。ああいう考えが田舎臭く、冴えない感じがしてくる。「真」、つまり真理論でも、信念に基づくが、事実との関係が鍵であること、虚偽の可能性を受け入れておくことが、真理論の基本姿勢というのは、健全に思える。 3)過去の思想や哲学の吟味には欠かすことが出来ない、思考のフレームワークと思えるし、この姿勢を拒否したところにalternativeがあるのか疑問だ。でも、かといって、ラッセルの哲学では、やっぱり何だか物足らないことも事実で、これじゃあ、色々言っても、常識の説明会みたいで、難しい本を読んでおかしくなった頭を良識に連れ戻す作用しか思い浮かばないようだ。「整合性の体系」こそ真理の条件だというブラッドレーやドイツ哲学は、胡散臭くもあるが、却って、日常性とは異なる世界観の可能性を示し、それが、時代の診断へとも繋がっていくような気もする。所詮失敗した残骸であっても、そっちのほうが懐かしい気もしてくる。 4)そうは言って、独特の文体とキャラクターで兎に角退屈させずに語りきる本書は名著中の名著と思う。 |
平和をつくる人々とは・・
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