『生と死の狭間』

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 昨年の1月9日より時々書いてきた「特定秘密保護法と日本の死刑制度」を昨年の12月上旬よりある旧友の『死』を巡っての手作り本に刺激されて、書いてきた『特定秘密保護法と日本の死刑制度』のシリーズを旧友から送られてきた手作り本のお返しとして私も手作り本とすべくその下地として、全面的に書き直し改めて書庫に『生と死の狭間』と言うタイトルで掲載してきました。何とか一区切り出来そうなのでこの書庫に載せた今回のシリーズをさらに手作り本にすべくさらに書き直しこの度やっと完成。早速旧友に送りました。内容的には、全くのお粗末なものですが、また、いずれ元気の内に機会があれば第二作として書いてみたいと思っています。しかし、今回何とか書き終えてホッとしています。これでしばらく中断していました『私のイエス伝』に気持ちを向けて書いてゆけそうです。また、この書庫の『私の紙芝居』の『裸で逃げた少年』があと少しで滞りって未完・さらにブログ友達からの希望で『望郷の犬』という紙芝居を書き始めましたが、わずか二回掲載した時点で滞った状態。そちらも再開しなくてはと思っています。

お粗末な本ですが、もし希望される人がいましたら、「ゲストブック」に内緒でご住所等をご連絡下されば無料で贈呈します。(送料もこちらで負担します。)

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受刑者は苦しみ悶えて糞尿を垂らし誰にも知られず絶命するのです。体型の故人差によるそうですが、人によっては首が捥がれたり、かなりの間苦しんだりする場合もあり、「絞首刑」はかなり残酷な刑ということです。家族の立会いもなく、報道されたとしても新聞の片隅にほとんど誰にも気づかれずに1・2行で書かれる程度です。「人の命は地球より重し」であるはずなのに・・・。如何に犯した罪の代価と言え・・・。情報開示もなく闇から闇へと葬られるのです。それも時には冤罪での死刑もあって・・。刑の情報開示は国民には必要です。国民として知る権利があります。それが民主主義の根幹です。なのにどうして民主主義を謳う日本が情報開示については内向きで消極的なのでしょう。もしこれが日本の国民性とならば、どのようにして秘密裡に事を処理する国民性がうまれたのでしょう。
それを国民性とした場合、次のように無理やり理解してみました。それは深く日本の風土と関係しているということです。おおよそ米国には米国の風土が、ヨーロッパにはヨーロッパの風土が、中近東には中近東の風土が、否応なしにそこに住む人々の生活なり、生き方に深く関係してきたように、日本もまた気候風土の中から国民性が生まれてきたはずです。そう考えると、日本が四方を海に囲まれ、春は野に花が咲き、夏は緑の木々に蝉しぐれ、秋は葉が色づき落ち葉が舞い、冬は野も山も銀世界に・・。このような花鳥風月の細やかな四季の変化は、外の変化に心が共鳴し、自然に「和する」心を育てていく。「和」の心は日本の風土が生み出した素晴らしい点かと思います。このディテールを感じる心は、深く文化に根付き「茶道」「華道」のような「侘び」や「侘び」といった表現に見られるように静かで内から外へと染み出てくる「美」を感じ取る感性を形作ってきたと思います。これは砂漠地帯で生まれたキリスト教やイスラム教のように厳しい自然の中で「神と対峙する」ことを通して「自己を深める」世界とはかなり異なった世界と言えます。一面赤茶けた大地と青い空・夜の満天の星空、そのような自然の中、そこに置かれた人間は、自ずと天に向かって「私」という存在を問いかける。(ヨブ記のヨブのように・・)「対峙」するわけです。ヨブは言います。「私はあなたのことを耳で聞いていましたが、今や私の眼があなたを見たのです。それゆえ私は自分を否定し、塵芥の中で悔い改めます」と・・。
ヨブ記は、正しく友と神と対峙し『人間の存在を神の存在』を問いかける。対峙することに原点の物語がヨブ記かと思います。この物語で代表される直接的に相手に向かって自己の「存在」を表出すると言う「対峙」の世界がキリスト教のベースにあると思います。キリスト教が中近東を出てヨーロッパに伝播し、それぞれの風土の中で変化していきますが、(この著しいものは、ロマネスク様式・ビザンチン様式・ゴシック様式等の風土に敏感な教会建築といえましょう。)しかし、「対峙する」姿勢がその基盤にあり、それが「自己表出」することでコミュニケーションを形作り、人間であり続けることの自覚が『人権』という形で深まっていったのではないかと、考えます。加えて西ローマ帝国と東ローマ帝国に分かれ今でいうフランスとドイツとイタリアに分かれても領主が点在し、戦いも頻繁、人の交流も多い中、自然と開放的な国民性を形作ったと思われます。(特にイタリア人の開放的な気質は、それに加えて明るい地中海の海洋性気候が加わったのでしょう。)
日本の場合は、風土から来るナイーブな世界に根を降ろし、加えて他国・多民族ととの争いがなく、人的交流も少なかっただけに自然と閉鎖的な国民性を形作ったと言うことが出来ます。(江戸時代の鎖国がその例かもしれません。江戸の庶民は結構開放的だったようですが・・。)
しかし、一方それは外に表されるものから内を感じ取ることで「形」を重んじることに繋がっていったのではないか、と思うのです。「外見」・「形」を重んじ「恥」を掻くことを良し、としない。そのような文化を生んできたと思います。私は日本の良さは良い意味では単純化された中での『形の美の文化』だと思っています。先ほどあげました「茶道」や「華道」がそうですし、「合気道」等あげれば幾つもあるようです。それらは形の美の中に高い日本の精神性を感じるのです。特にその中に流れるのは形の美に込められた『意気』『気迫』それがこの美の命ではないか、と考えます。
形に意気・気迫を感じることは、『死』についてもでも感じるのです。それは死にざまでもあり、死に方と言うべきものです。その冴えたるものが切腹です。果敢に『死』の形を決めようとする形の『美』をそこに見るのです。その典型的な事件が私の二十代頃にありました。日本の社会を震撼とさせた三島由紀夫の割腹事件です。三島由紀夫は日本を代表する文学者の一人ですが、その三島が市ヶ谷の自衛隊の駐屯地に突如仲間と共に立てこもり、憲法を改正し、軍隊による日本立国を訴え、割腹自殺を図り、『楯の会』の仲間森田必勝の介錯で命を落としたあまりにも衝撃的事件で日本中は騒然としました。彼は「儀式的厳粛と崇高な自己犠牲の悲愴美を、思春期の心に刻みつけて以来、条件反射のように、愛と死の両極を結ぶ媒体として、切腹の意義を把握している」(行動学入門)と語ったように、この事件は自衛隊の蜂起を促すというよりも、文学的才気をして、彼の文学的世界を『死』(英雄的犠牲美)という彼特有の美学に結び付け完結させた事件だったと思っています。
この余りにも潔い死は、赤穂浪士の主君の仇討を通しての切腹と言う潔い死・会津藩士の少年白虎隊が戦いの劣勢の中、飯盛山での武士の本分を果たすべく自刃を決行したことや、第二次大戦における『特攻隊』員の若き兵士が「靖国で会おう・靖国に神となって会おう」を合言葉にして飛び立ち敵の艦隊目がけて散っていった「命」を懸けた「死」にも感じるのです。ある共通した義・形・美を感じるのです。ここにはおおよそ『人権』とか、その人そのものの『実存』の問いかけはありません。私だけの思いかも知れませんが、「信念」やある「義」を通すための美学しか感じ取れないのです。今回の死刑制度の世論調査の結果、そこの調査には世論操作があったとしても多数の人が「殺人を犯したのだから、当然死を持って償うべきだ。」とするのは、当然、被害者の家族の感情を思いやっての意見かと思いますが、その意識の底には「死」は一つの「形」であり、人としての「義」を立てる術と考えることも出来るのではないでしょうか。

 日本人は、流行に弱く「長いものにまかれろ」と言う気持ちに陥りやすい。その方が安心出来るし、人との繋がりも生まれやすいと感じるのです。個としての主張でなく、一人で行動をとるのではなく行動をとる場合は集団に帰属して横並びで主張する。マイノリティーではなく、マジョリティで強調する。これを良いように理解するならばみんなと「和」する。取り立てて物事を荒立てない、いうことになるのでしょうか。この体質は、ときには右倣えとなり、企業戦士となり、縦系列に順応し滅私奉公の生き方を良し、とする社会を高度成長時代に作り出してきました。その猛烈的な生き方が日本の高度成長を成し遂げたわけですが、じっくり自分に向き合い、生き方なり世界観を深めるといった個の問題が忘れがちになってきたことも事実です。定年後、趣味も自分なりの生き方も持てず、人生は定年で終わったと言わんばかりにただ何となく日々の流れに身を任せている人々が沢山存在します。
 確かに日本の社会は、ここにきて格差が広がりつつありますが、一億総中流社会と呼ばれた1970年代。人々はこぞって三種の神器を求め、ローンを組んでのマイホームやマイカー時代。それは小市民(
プチ・ブルジョワの時代の到来でもあり、子供たちには習い事を・・・。しかし、それにつれて近所の繋がりが弱くなり、小市民としての生活を享受。しかし、それはネガティブな生き方で一見平穏で平和にも見えますが、しかし、小市民として生活を享受している時は、ドイツのヒトラーがそうであったように無自覚のままある一定方向に流れ出すと、その中に内在していたリビドーが群れて高まり一度に危険な方へと雪崩のように崩れ出す危険も潜んでいると感じています。小市民でいればいる程、リビドーは高く、高いということは、不安や恐怖が強いということでもあるのです。そのリビドーは自分たちをより良い国、つまり「善」として考え、そのために仮想の敵国「悪」を作る必要に迫られてくる。今、秘密保護法や武器輸出緩和・集団的自衛権行使容認等々・・矢継ぎ早に進む日本にふと、リビドーが御嶽山のように、桜島のように高まりつつあるのではないか、と一抹の不安を感じるのです。
 ここでヨーロッパの死刑制度全廃の動きで触れておくことがあります。それはフランス革命で『自由・平等・博愛』を勝ち取り人権宣言をしたフランスが実は死刑制度全廃を踏み切ったのはヨーロッパの中では一番遅く1981年に入ってからでした。しかも、存置を望む声は高かったのです。それを全廃に踏み切れたのは政府でした。政府が強引に押し切って廃止に踏み切ったのです。現状では、存置派と廃止派のパーセンテージは逆転して廃止派が上回っているそうです。

 日本ではどうなのか、『和』を重んじる反面、その一方にあるものは大衆迎合(ポピュリズム)です。これは日本の大きな特徴でメディア自体も政治家も、民意を裏切らない、裏切れないのです。先ほど書きましたがマイノリティーではなくマジョリティに靡くのが大きな特徴で、それゆえに日本の民主主義はまだまだ先で成熟しないと言えます。過去、選挙制度でも、郵政民営化に於いても政治家自身が常に多数派に身を置こうとするのです。と言うことを考えると、政治がメディアを誘導し、メディアがポピュリズムから抜け出せないで政治の姿勢に迎合する、といった悪循環がある以上死刑全廃は今後も実現は出来ないでしょう。ただし、米国が全州において死刑全廃を踏み切れば日本も死刑全廃を踏み切ると思われます。米国が日本にとってのポピュリズムだからです。米国という大国への迎合から来るもので日本が主体的に決断することは出来ないと思います。
 日本国憲法に次のように書かれています。
   第十一条・・国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。        この憲法が国民に保障する基本的人権は、犯すことの出来な          い永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
  第十三条・・すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸           福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しな          い限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を尊重する。
 
 現在の日本の死刑制度が、如何に重罪であっても受刑者が闇から闇へと葬られるのは、この憲法の基本的人権・個人の尊重を完全に黙殺した扱いではないか・・
と思うのです。と書きますと、死刑判決を受けた受刑者には人権などない。そこまで人権に配慮すれば、それは人権の乱用だ、と指摘されるかも知れませんが、どのような犯罪・殺人があっても受刑者は確実に「人間」であり、どのような人間であっても人として尊重されなければいけない。私は思います。
 
 
 
  さて、日本はどうでしようか。日本の死刑の方法は明治時代より今に至るまで絞首刑です。ヨーロッパの多くの国は死刑制度廃止ですが、嘗ては八つ裂きや轢死や火炙りや絞首刑等々様々な残酷な方法が公開と云う方法でとられていましたが、その方法はあまりに残酷ということになり、ギロチンが主流になりました。これも思っだでもゾッとする大変残酷な刑ですが・・。日本は明治以来、一貫として絞首刑です。でも、絞首刑が如何に残酷な方法であるかは、処刑について公けにされていません。この方法は刑法で決められて明治以来変化なく実施されてきているのが現状です。絞首刑は、そのやり方いかんでは絶命まで苦しみが続いたり、絶命を早めるために落下距離を伸ばせば体重によっては首がちぎれたり血が飛び散ったり、残酷な処刑方法だそうです。近々、千葉景子氏が法務大臣のおり、死刑廃止論者の彼女は、絞首刑の見取り図を発表しました。
 ある程度想像はしていましたが、仕組みや処刑室を観るのは初めてでした。
 現在、日本の刑法の処刑該当項目に新たに『海賊』や『組織行動』が加えられていると前述した弁護士の田鎖麻衣子さん(NPO法人監獄人権センター ボランティア事務局長)の話でした。日本の処刑に関する刑法は絞首刑という残酷な処刑方法に加えて処刑適応の範囲が広がりさらに厳しくなっているということです。どうしてでしよう。

 外国では上記のように残酷な拷問や処刑方法がとられてきましたが、近々フランスで2006年?を最後にヨーロッパの各国は『人権』を守る立場から死刑制度を廃止しました。でも同じ先進国の日本では、より死刑の適応範囲を広げることはあっても死刑制度を廃止しようとはしません。何がそうしているのでしよう。いろいろ考えてしまいます。日本は元々そんな国だったのか、と思い、そこで歴史をみてみますと、平安時代、不殺生を説く仏教が広まっていたこともあり中央政権では死刑が実施されない期間があったようです。
 近年では、民主党が政権をとった三年間、江田五月・平岡秀夫の各氏が法務大臣のおり死刑は執行されませんでした。日本の死刑は法務大臣の認印があって実施されるのですが、自民党の鳩山邦夫氏が法務大臣の時は、一年間で八名もの処刑が執行されました。彼のコメントでは「正義を通すためだ」とあったようです。昨年では、谷垣禎一法務大臣のもとでもやはり鳩山氏と同じく八名の処刑が執行されました。
 ということで日本の場合は、死刑制度が残置し刑法で規定されている以上、法務大臣の考え一つで死刑が実施することになっています。

  さて、世界的には死刑制度が廃止の方向にあるのに、何故日本では死刑制度があるのでしようか。その大きな要因の一つには国民の多くが死刑制度を支持しているというところにあるようです。確かに世論調査によりますと80%余りも死刑制度賛成という結果が出ています。
 この結果は、以前行われた調査でも同じような結果が出ています。
 国民の多くは、死刑制度には抑止力があると思っているのでしょうか。一般的には諸外国に比べて日本では殺人が極めて少ないのも『死刑制度』があるからだと思われています。しかし、田鎖氏によりますと、死刑制度存置と廃止と殺人件数とは相関関係はないと明言。彼女はそのことの例として香港(死刑廃止)とシンガポール(死刑存置)をあげました。人種・宗教・文化水準等々極めて似通っているのに存置・廃止に関係なく殺人件数はともに減少の傾向にあるということで、死刑制
度の存置・廃止の在り方には関係ないということです。
 そこで内閣府が五年毎に実施している世論調査を見てみますと、今回は、終身刑の項目を加えての設問。結果は、死刑制度の維持に関してはほとんど今までと変わらない結果がでたようです。そこで今一度、今回の結果を見てみたいと思います。この調査は五年毎に内閣府が実施しているもので今まで十回実施。今回は無期懲役に加えて『終身刑』を設問。米国では死刑を除けばもっとも重い刑が終身刑。日本は無期懲役刑となっています。終身刑の項目を入れたことで若干、廃止と維持の差は縮まったようですが、依然として死刑制度を維持することを賛成する%が85.6%と高い支持率を示しています。田鎖氏がこの死刑制度を支持する%が高い一つの理由として質問の設定に問題があると指摘していましたし、今回の結果にも日弁連は死刑制度維持のために誘導するような設問になっているとその問題点を指摘しています。
 そこで、その質問を載せてみます。

死刑制度に関して,このような意見がありますが,あなたはどちらの

 意見に賛成ですか。
・(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである
・(イ)場合によっては死刑もやむを得ない

・わからない・一概に言えない


 この質問の仕方だと、「どちらの意見」となっており、三択の形をとっているものの(ウ)として、わからない・一概に言えない、すべきなのにカテゴリコードとして(ウ)がなく二択を意識させるようになっている点がまず問題です。次に回答欄の文章に大きな問題があります。
(ア)では、「どんな場合でも」と作文されているのに対して(イ)では、「場合によっては」と作文。前者が限定的表現で後者は非限定的にっていてこの文章では、「どんな場合でもとするならば、少し無理があるのではないか、」それより(イ)の方が「場合によるとしてケースによるとするなら良いのではないか。

と判断されるように誘導された質問と疑われて仕方ない。このようにして得られた世論調査の結果を特別問題も感じないでそのままメディアが垂れ流すことで、一般市民も5年毎に実施する世論調査で「多くの国民が死刑を支持している」として同じような回答をしてしまうことに繋がってしまうと考えられます。
 近年、日本でも問題視されているのは、『冤罪』の問題です。2014年3月27日で死刑執行の停止の判決が出た袴田事件(静岡の清水市で48年前に起きた殺人事件)ここで問題になったのは『冤罪』でした。ヨーロッパにおける死刑制度全廃の一つの理由に前述したように『冤罪』が挙げられていました。
 
○人間は、正解をだすこともあれば、失敗することもある。完璧ではない。
 
これが冤罪を重大視する理由でした。可視化の問題も表面化しつつあります。今後さらに冤罪の問題を『人権』と合わせて問題視することが急務と思っています。
 
 次に問題とすべきこととして、死刑に関しては、全くと言って情報を開示しない日本の死刑制度の在り方にあります。処刑後、新聞の片隅にチラッと結果だけ簡単に報告されるだけで国民にはほとんど隠されているのです。後でも触れますが、この情報を全くと言って良いほど開示しないあり方は、一人の死を闇から闇に知らぬ間に葬られてしまっている現状は、「殺人を犯したのだから死刑は当然だろう」という短絡的な判断に結びつくと考えられます。田鎖氏の話では、最近になって情報公開を請求すると、氏名と実施期日は記載されているものが始末書として提
示されるようになったが、実は内容は実施日と執行時間の他はすべて黒で塗りつぶしてあるということです。過日、特別秘密保護法案のシンポジュウムでクリアリングハウスの三木由紀子さんが情報を国に請求すると黒で練り潰した書面が届いたということで、彼女は日本の情報公開への後ろ向き姿勢を指摘し批判していましたが、そのことを彷彿とする話でした。そこには様々な思惑があるのでしようが、しかし、そうであってもそれは始末書でも報告書でもない、と云わざるを得ません。
前述したように民主党が政権にあった時、法務大臣になった千葉景子氏(死刑制度廃止支持者)がやむなくニ名の処刑の署名に応じた時、見取り図を公開し、本人も法務大臣として国として署名した責任もあり死刑に立ち会ったということですが、そのようなことは、それまでは皆無でした。一枚のガラス窓を通して処刑執行人と刑務官の立ち会いはあるものの、そのようなことはすべて伏され、国の代表者の立会い確認も皆無と聞きます。
 受刑者は苦しみ悶えて糞尿を垂らし誰にも知られず絶命するのです。
体型の故人さによるそうですが、人によっては首が取れたり、かなりの間苦しんだり「絞首刑」はかなり残酷な刑ということです。家族の立会い〈存置国の米国では家族が立会います〉もなく、報道されたとしても新聞の片隅に一・ 二行で書かれる程度です。「人の命は地球より重し」であるはずなのに・・・。
 如何に犯した罪の代価と言え・・・。それこそ家族の人権も無視です。
                             
日本とアメリカが先進国の中で数少ない死刑を取り入れている死刑存置国だということを知っていますか。加えて死刑存置国のアメリカと日本とでば趣が異なるのです。そのことについては、日本の死刑制度のところで触れたいと思います。さて、ヨーロッパ各国では死刑廃止への取り組みはフランス革命以後、啓蒙主義の影響もあって国民の多数意思を反映する形で導入されてきましたが、アメリカの場合はどうでしょう。建国精神に見られるようにあくまでも民意を反映する形で死刑廃止の取り組みが行われてきました。ある意味で歴史の浅いまま、先進国の先を行くような民主主義を導入した国だったのです。それが啓蒙主義を取り入れて成立した主権在民・共和制・三権分立・そして合衆国憲法を修正した人権の権利章典だったのです。この権利章典では、当初の条項から奴隷制度の禁止・黒人参政権・婦人参政権等々条項追加し現在に至っています。そのような一面では民主的アメリカで死刑が執行されたのは、もっとも古い記録は1608年でした。当時は、英国の植民地であったウァージニア州。当時英国は植民地に厳罰主義を当てはめたのです。この厳罰主義派は、窃盗等の微罪でも死刑対象になったということです。その後、13の植民地で成立したアメリカ合衆国で死刑制度が成立し執行されたのは1790年でした。しかし、その後死刑存置国については米国(合衆国)は紆余曲折、死刑廃止に及んだ時もありました。経緯をみますと、ヨーロッパの啓蒙思想を受けながら1794年には第一級殺人以外は死刑を廃止し、一時は死刑廃止運動が東部地区を中心に広まります。ミシガン州・ロードアイランド州などはむしろヨーロッパに先駆けて死刑廃止を廃止したのです。そしてこれらの州での死刑廃止を受けて東部の州が次々と死刑廃止を打ち出していきます。しかし、これとは別に南部のアメリカで次々作られていく植民地では収益をあげるためにアフリカより連れてきた黒人奴隷を拘束し、彼らを保護するために法定刑による処罰の条文を謳うことに反対する植民地が多くなります。しかし、やがて南北戦争が勃発、北部が勝利をおさめることで、南部の各州は奴隷たちへの犯罪に対しての死刑制度の見直しの動きが高まります。そして、ついには、罪を犯した者には、必ず死刑が適応する法律(絶対法定刑)としての死刑廃止が各州で見られるようになってゆきます。しかし、1930年前後に起きた世界大恐慌では犯罪が多発、第一次大戦・ロシア革命等の争いが勃発する近代においては治安維持のため死刑が幾つかの州で復活。現在では2/3の州が死刑を取り入れています。その大きな理由が死刑による犯罪抑止効果を狙ったもので、啓蒙思想に見られた人権保護的観点から後退、抑止効果と被害者側の権利を根拠にしたものになっているようです。 ここでヨーロッパ各国と米国の成立で著しい違いは、やはり新大陸という特異性にあるように感じています。ヨーロッパ各国にとって新大陸は全くの新天地であったこと。ローマ・カトリックや英国国教会(メイフラワー号で代表されるように・・)からの支配や干渉がなかったこと。ヨーロッパのような分厚い岩盤ともいえる文化を含めた歴史の厚みがなかったこと。これらがヨーロッパ各国の新大陸への進出を可能にし、黒人奴隷社会を生み出し、銃社会を生み出すことにも繋がったということです。特に『西漸運動』で西に向かった開拓者は「神の名」のもとに先住民を銃で殺し蹴散らして追い詰めて恵まれた土地を彼らから奪い取って行くと言う戦いが幾度も展開していくことになるのです。その時彼らが肌身離さず身にけていたものが『銃』でした。この銃が如何に米国に広くいきわたっているか。現在の米国での銃犯罪が頻繁に起きていることからも分かります。彼らにとって銃が無ければ自分を守れないとまでに意識の底に定着してしまったのです。米国の中部から南部にかけての州には黒人も多く、犯罪が多発、資本主義の性でもあるのですが、格差社会の際立つ合衆国、加えて多民族国家となりつつあり米国。下層階級では犯罪が絶えません。自ずと「死刑は必要」とする人々が多数となります。死刑制度は各自治州の判断に任せられてはいますが、犯罪が多発するなかで死刑制度は犯罪抑止に必要。むしろ、刑の執行内容を人道に反しない方向を模索すべきだ、という声も高まり人道的な立場で電気椅子が導入されます。しかし、電気椅子は非人道的だとされて青酸ガスによるガス室刑を導入する州が出てきます。こんな時死刑執行に際して『冤罪』ということが問題となっててアメリカ・イリノイ州のライアン知事が2000年に死刑の一時執行停止を宣言するということが起きます。それ以後、死刑の判決を受けた受刑者に冤罪が次々と発覚、それら一つ一つの冤罪の有無が明らかになるまで死刑執行は停止すると宣言すると言う事態まで発展します。しかし、このことから端を発した真偽の明らかにするための委員会が設けられたものの、現在まで多くの州では処刑方法を人道的なものに代えることはあっても死刑存置州となっています。
そこでここでヨーロッパの死刑廃止制度をとった国々をみてみます。その主な理由をあげてみますと、冤罪と人間の人権を鑑みて次のような三点を挙げています。

○「人間は、正解をだすこともあれば、失敗することもある。完璧ではな   い。」

○「人間の感情は、一定ではなく変化する。」

○「人間は、自ら、間違いを発見し、修正する能力を持っている。」

 ここに流れるものは、人間は絶えず変化し成長もするし変化し自らを修正出来得る能力を潜在的に持ち合わせているという『人間』そのものへの見方です。人は、何時の世も環境に左右されながら前に進んでいく。様々な要因を抱えながら人は犯罪を犯し人を殺める。それは『人間』として捉える大前提です。
さて、凶悪犯罪者を死刑によって殺すのは決して問題の解決にはならないと思っています。被害者の家族からみれば大きすぎる悲しみや、加害者に対しての激しい怒りの感情は、被害者に近ければ近いほど言葉に尽くせない程のことかと思います。人間は感情の動物です。以前、日本において光市の母子殺害事件があり、第一審では無期懲役の判決が出されそれに対して現大阪市長が「死刑にすべき」と言ったことがありました。広島高裁では差し戻しとなり最高裁で死刑が求刑された事件。被害者の夫が「絶対に死刑にしてほしい。そうでなければ、加害者が出所した場合、私が加害者を殺す。」と強い調子で一審での不服申し立てをしましたことがありました。この一連の様子はマスコミでも大きく報道されました。その時被害者の夫から私が感じたことは、彼が終始、被害者の権利を主張する中、当然のことながら妻と子への愛情に底打ちされた『感情』。その感情に支配された揺るぎない決意というものを全面に感じました。当然のことと思います。しかし、そう自分に言い聞かせても何故か釈然としないものを感じました。俗に言う「仇を討つ」ことが出来、「恨みを果たす」ことは出来ても果たしてそれで良かったのか・・という思いでした。罪は罪として償うことは大切だけれど、果たして「死」に追いやることで問題は解決するのだろうか。残された被害者側の感情をそれで収めることが出来ても亡くなった被害者は戻ってこない。とするならば、加害者に一縷の気持ちの変化と成長に望みをかけて加害者の生の輝きのため『無期懲役』なり『終身刑』の刑に服して刑務所で日々ボランティアをさせるなり、被害者や社会に対して償いをさせるべきではなかったか、と思うのです。私が被害者側にいたと仮定して思ってみた場合、加害者への激しい怒りを持ちながらも加害者に被害者側の心意を伝えて『無期懲役』と考えたのではなかったかと思うのです。人は関わりによって変化し成長するたとえそれが死刑囚であっても・・。月日の経過とともに被害者の家族にも加害者にも変化する感情と変化せず深まる思いとがあると思っています。加害者も被害者もその中で変化し、対峙する時もやってくるのではあるまいか。終身刑・無期懲役の長いスパンで人間再生に向かっての行動を起こす。これが俗に言う『修復的司法』とよばれる方法で、双方に変化が生じたら加害者と被害者遺族がコミュニケーションを設ける場を設定、人間の可能性にかけて加害者の謝罪や損害賠償を促し更生を図る方法があるのではないか、と思うのです。
ヨーロッパと米国の死刑制度に触れながら、最後は日本の一裁判のことを取り上げてみました。そこで、次号は死刑制度を締めくくるにあたって日本の死刑制度について触れておきたいと思います。
 
ここでアメリカの独立宣言を見てみます。
 
われわれは、自明の真理として、すべての人は平等につくられ、
神によって、一定の誰にも譲ることのできない権利を与えられており、これらの権利
の中には生命・自由および幸福の追求が含まれていることを信じる。また、
これらの権利を確保するために政府が設置されること、そして、その正当な
権力は被治者の同意に由来するものであることを信じる。そして、いかなる
形態の政府であれ、もしこれらの目的を破壊するものとなった場合には、国
民はいつまでも政府を改廃し、かれらの安全と幸福をもたらすだろうと認め
られる原理を基礎とし、それに役立つ権限と機構を持つ、新たな政府を組織
する権利を有することを信じる。(トーマス・ジェファーソン・第三代合衆国大統領)
 
この独立宣言は、前号の人権宣言と比較するとフランスのヴォルテールやㇽソーの啓蒙思想に大きく影響を受けていると判断されますが、実はこの独立宣言が起草されたのは、フランスの人権宣言の前でした。この立派な独立宣言を見る限り米国もいずれは死刑制度全廃を踏み切ると感じさせる内容になっていますが、しかし、悲しいかなこの宣言の成立には多くの血が流れ、この宣言と矛盾した形で多数の黒人奴隷が存在したのです。この宣言にみられる『自由・平等・幸福』はフランスの人権宣言『自由・平等・友愛』を思わせます。但し、これは黒人やインディアンには無関係なもので、この宣言の草案を書いたジェファーソンその人自身が多数の奴隷を所有していたのです。(彼の言葉に『白人は、肉体的にも能力的にも黒人に勝っている』があり大きな矛盾ですね)。この矛盾は彼だけの矛盾ではなくアメリカ合衆国のそれ自体の矛盾でもあります。1950年代のキング牧師で代表される『公民権運動』が起きるまでの200年間、公然と人種差別が行われました。この公民権運動を通して黒人の権利が回復したものの、黒人への差別意識は今もって米国の白人の意識の中に根強く、特に下層民を対象に綿々と脈づいているようです。そのことは、近々の警察官による黒人射殺事件でも感じ取れますし、陪審員制度をとっている米国では、白人と黒人の死刑の比率は圧倒的に黒人が多いのです。
ここで再度、アメリカ合衆国がどのようにして成立したか、を見てみたいと思います。新大陸が発見されてからヨーロッパの国々(イギリス・スペイン・ポルトガル・フランス・オランダ等々)は競うようにして新大陸に渡ります。やがて、そして矢継ぎ早に13の植民地が出来ます。この13の植民地、もとになってアメリカ合衆国を形作るわけですが、当初(1778年)独立を宣言した時のアメリカ合衆国は、大西洋とアパラチア山脈にはさまれた狭い地域で13の植民地の連合体しかすぎませんでした。しかし、その後100年の間に面積は凡そ4倍、人口は14倍にも増えました。新天地の先住民が争いを嫌ったインディアンだったとはいえ、この面積の拡大は異常ともいえ世界史上でも稀と言われています。この領土拡大には一体何があったのでしょうか。
そこで再度、領土拡大について考えてみましょう。当初は英国がニューイングランドを植民地に、フランスがルイジアナを植民地にし、主として英国とフランスが主導権を握っていましたが、東部を中心に、オランダやスペインやスウェーデン等も次々と植民地を作ります。英国は、その後植民地戦争でフランス・スペイン等の植民地を次々と奪い取り、東部一帯を握り先住民を駆逐しながら西へと領土を拡大していきます。それにつれ工業も発展しますが、相次ぐ戦いで経済が疲弊。そこでやむなく植民地の住民に重い税を課しますが、これまた住民が激しく反発、英国は重税を破棄、それに代わる財源として「茶」を貿易を独占しょうとします。しかし、これらの英国の次々と打ち出す強硬な政策に植民地13州の不満が頂点に達し英国の駐屯兵と植民地住民とが争う「独立戦争」が勃発します。1775年のことです。この独立戦争で次第に英国は劣勢となり13の植民地は独立し英国との講和条約で、ミシシッピ川より東側の土地を譲り受け、領土が倍増します。やがて主権在民・共和制・三権分立が成立。今に至るアメリカ合衆国の基が出来上がります。その後の領土拡大は、平和的な領土割譲だけでなく、メキシコとの戦争によって実現したのです。この戦争をアメリカ人は正義の戦争としました。また、西部開拓や太平洋までの開拓は、「神から与えられた使命だ」と提唱され、アメリカ人の西部開拓を突き動かす時代精神となりました。これを「西漸(せいぜん)運動」といい開拓した農地は自分のものとなったため、多くの人々が家族ぐるみで西の新天地をめざします。しかし、そこは元々、インディアンと呼ばれた先住民が暮らす土地で、「西漸運動」は先住民の土地を奪うものでした。先住民は棲家を奪われ、1300キロ離れたオクラホマに強制的に移住させられたりしました。過酷な旅でこれによって飢えや寒さや病気のため多くのインディアンが亡くなったと言われています。強者が弱者を食い物にしたのです。
 圧迫に抵抗する先住民とアメリカ連邦政府との間には、たびたび戦いが起きました。戦闘のたびに武力の劣る先住民は敗北します。
ここに彼らインディアンの価値観を示す、『インディアンの誓い』を載せておきます。
おお、大いなる精霊よ、その声を、私は風の中に聞き、
その息吹は、この世界のすべてにいのちを与える、
大いなる精霊よ、私の祈りをおきき下さい。
私はあなたのまえに一人の人間として、あなたの多くの子供たちの一人として立っています。
私は小さく弱い。私にはあなたの強さと知恵が必要です。
どうか私を美の中にあゆましめ、赤々と焼ける夕空をいつまでも見守らせてください。
私の手が、あなたの創ったすべてのものを大切にし、
私の耳が、あなたの声をききもらさぬようにさせて下さい。
あなたが私たちにお教えになったことども、
 一枚の木の葉、一つの岩の下にもあなたがそっとひめた教訓の数々を知ることができるように、 
私を賢明にして下さい。
おお、私の創造者よ、私は強くありたい。
私の仲間にうちかつためにではなく、
私の最大の敵、私自身とたたかうことができるように。
汚れのない手と、まっすぐなまなざしをもっていつでもあなたのみもとに行くことが出来るように、
やがて、私のいのちがあの夕焼けの空の色のように消えるとき、
私のたましいが、なんの恥じ入るところもなく、
あなたのみもとに行くことが出来るようにさせて下さい。
しかし、このように謳ったインディアンは十九世紀を通してその人口は激減していきます。「人は生まれながらに平等に造られている」という崇高な理想により独立を宣言したアメリカ合衆国。この差はなんでしょうか。

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