さて、日本はどうでしようか。日本の死刑の方法は明治時代より今に至るまで絞首刑です。ヨーロッパの多くの国は死刑制度廃止ですが、嘗ては八つ裂きや轢死や火炙りや絞首刑等々様々な残酷な方法が公開と云う方法でとられていましたが、その方法はあまりに残酷ということになり、ギロチンが主流になりました。これも思っだでもゾッとする大変残酷な刑ですが・・。日本は明治以来、一貫として絞首刑です。でも、絞首刑が如何に残酷な方法であるかは、処刑について公けにされていません。この方法は刑法で決められて明治以来変化なく実施されてきているのが現状です。絞首刑は、そのやり方いかんでは絶命まで苦しみが続いたり、絶命を早めるために落下距離を伸ばせば体重によっては首がちぎれたり血が飛び散ったり、残酷な処刑方法だそうです。近々、千葉景子氏が法務大臣のおり、死刑廃止論者の彼女は、絞首刑の見取り図を発表しました。
ある程度想像はしていましたが、仕組みや処刑室を観るのは初めてでした。
現在、日本の刑法の処刑該当項目に新たに『海賊』や『組織行動』が加えられていると前述した弁護士の田鎖麻衣子さん(NPO法人監獄人権センター ボランティア事務局長)の話でした。日本の処刑に関する刑法は絞首刑という残酷な処刑方法に加えて処刑適応の範囲が広がりさらに厳しくなっているということです。どうしてでしよう。
外国では上記のように残酷な拷問や処刑方法がとられてきましたが、近々フランスで2006年?を最後にヨーロッパの各国は『人権』を守る立場から死刑制度を廃止しました。でも同じ先進国の日本では、より死刑の適応範囲を広げることはあっても死刑制度を廃止しようとはしません。何がそうしているのでしよう。いろいろ考えてしまいます。日本は元々そんな国だったのか、と思い、そこで歴史をみてみますと、平安時代、不殺生を説く仏教が広まっていたこともあり中央政権では死刑が実施されない期間があったようです。
近年では、民主党が政権をとった三年間、江田五月・平岡秀夫の各氏が法務大臣のおり死刑は執行されませんでした。日本の死刑は法務大臣の認印があって実施されるのですが、自民党の鳩山邦夫氏が法務大臣の時は、一年間で八名もの処刑が執行されました。彼のコメントでは「正義を通すためだ」とあったようです。昨年では、谷垣禎一法務大臣のもとでもやはり鳩山氏と同じく八名の処刑が執行されました。
ということで日本の場合は、死刑制度が残置し刑法で規定されている以上、法務大臣の考え一つで死刑が実施することになっています。
さて、世界的には死刑制度が廃止の方向にあるのに、何故日本では死刑制度があるのでしようか。その大きな要因の一つには国民の多くが死刑制度を支持しているというところにあるようです。確かに世論調査によりますと80%余りも死刑制度賛成という結果が出ています。
この結果は、以前行われた調査でも同じような結果が出ています。
国民の多くは、死刑制度には抑止力があると思っているのでしょうか。一般的には諸外国に比べて日本では殺人が極めて少ないのも『死刑制度』があるからだと思われています。しかし、田鎖氏によりますと、死刑制度存置と廃止と殺人件数とは相関関係はないと明言。彼女はそのことの例として香港(死刑廃止)とシンガポール(死刑存置)をあげました。人種・宗教・文化水準等々極めて似通っているのに存置・廃止に関係なく殺人件数はともに減少の傾向にあるということで、死刑制
度の存置・廃止の在り方には関係ないということです。
そこで内閣府が五年毎に実施している世論調査を見てみますと、今回は、終身刑の項目を加えての設問。結果は、死刑制度の維持に関してはほとんど今までと変わらない結果がでたようです。そこで今一度、今回の結果を見てみたいと思います。この調査は五年毎に内閣府が実施しているもので今まで十回実施。今回は無期懲役に加えて『終身刑』を設問。米国では死刑を除けばもっとも重い刑が終身刑。日本は無期懲役刑となっています。終身刑の項目を入れたことで若干、廃止と維持の差は縮まったようですが、依然として死刑制度を維持することを賛成する%が85.6%と高い支持率を示しています。田鎖氏がこの死刑制度を支持する%が高い一つの理由として質問の設定に問題があると指摘していましたし、今回の結果にも日弁連は死刑制度維持のために誘導するような設問になっているとその問題点を指摘しています。
そこで、その質問を載せてみます。
○死刑制度に関して,このような意見がありますが,あなたはどちらの
意見に賛成ですか。
・(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである
・(イ)場合によっては死刑もやむを得ない
・わからない・一概に言えない
この質問の仕方だと、「どちらの意見」となっており、三択の形をとっているものの(ウ)として、わからない・一概に言えない、すべきなのにカテゴリコードとして(ウ)がなく二択を意識させるようになっている点がまず問題です。次に回答欄の文章に大きな問題があります。
(ア)では、「どんな場合でも」と作文されているのに対して(イ)では、「場合によっては」と作文。前者が限定的表現で後者は非限定的にっていてこの文章では、「どんな場合でもとするならば、少し無理があるのではないか、」それより(イ)の方が「場合によるとしてケースによるとするなら良いのではないか。
と判断されるように誘導された質問と疑われて仕方ない。このようにして得られた世論調査の結果を特別問題も感じないでそのままメディアが垂れ流すことで、一般市民も5年毎に実施する世論調査で「多くの国民が死刑を支持している」として同じような回答をしてしまうことに繋がってしまうと考えられます。
近年、日本でも問題視されているのは、『冤罪』の問題です。2014年3月27日で死刑執行の停止の判決が出た袴田事件(静岡の清水市で48年前に起きた殺人事件)ここで問題になったのは『冤罪』でした。ヨーロッパにおける死刑制度全廃の一つの理由に前述したように『冤罪』が挙げられていました。
○人間は、正解をだすこともあれば、失敗することもある。完璧ではない。
これが冤罪を重大視する理由でした。可視化の問題も表面化しつつあります。今後さらに冤罪の問題を『人権』と合わせて問題視することが急務と思っています。
次に問題とすべきこととして、死刑に関しては、全くと言って情報を開示しない日本の死刑制度の在り方にあります。処刑後、新聞の片隅にチラッと結果だけ簡単に報告されるだけで国民にはほとんど隠されているのです。後でも触れますが、この情報を全くと言って良いほど開示しないあり方は、一人の死を闇から闇に知らぬ間に葬られてしまっている現状は、「殺人を犯したのだから死刑は当然だろう」という短絡的な判断に結びつくと考えられます。田鎖氏の話では、最近になって情報公開を請求すると、氏名と実施期日は記載されているものが始末書として提
示されるようになったが、実は内容は実施日と執行時間の他はすべて黒で塗りつぶしてあるということです。過日、特別秘密保護法案のシンポジュウムでクリアリングハウスの三木由紀子さんが情報を国に請求すると黒で練り潰した書面が届いたということで、彼女は日本の情報公開への後ろ向き姿勢を指摘し批判していましたが、そのことを彷彿とする話でした。そこには様々な思惑があるのでしようが、しかし、そうであってもそれは始末書でも報告書でもない、と云わざるを得ません。
前述したように民主党が政権にあった時、法務大臣になった千葉景子氏(死刑制度廃止支持者)がやむなくニ名の処刑の署名に応じた時、見取り図を公開し、本人も法務大臣として国として署名した責任もあり死刑に立ち会ったということですが、そのようなことは、それまでは皆無でした。一枚のガラス窓を通して処刑執行人と刑務官の立ち会いはあるものの、そのようなことはすべて伏され、国の代表者の立会い確認も皆無と聞きます。
受刑者は苦しみ悶えて糞尿を垂らし誰にも知られず絶命するのです。
体型の故人さによるそうですが、人によっては首が取れたり、かなりの間苦しんだり「絞首刑」はかなり残酷な刑ということです。家族の立会い〈存置国の米国では家族が立会います〉もなく、報道されたとしても新聞の片隅に一・ 二行で書かれる程度です。「人の命は地球より重し」であるはずなのに・・・。
如何に犯した罪の代価と言え・・・。それこそ家族の人権も無視です。