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韓国の朴槿恵大統領を巡る疑惑が大騒動になっている。渦中の朴槿恵氏の親友の父で、朴氏が心酔していた人物は、「牧師」と呼ばれているが、降霊術を見せたり自分を弥勒菩薩と称したりするなど怪しげな新興宗教の教祖だったという。朴槿恵大統領は無宗教だと公言していたと記憶していたので、陰でこんなことになっていたとは意外だった。
韓国は、キリスト教の大変盛んな国である。しかし、統一協会をはじめとするカルト・異端も多く見られるため、韓国のキリスト教を批判する向きもある。だが、何だかんだ言っても、やはり本物が盛んだからこそ、偽物もたくさん出てくるのだろう。 なぜ韓国であれほどキリスト教が盛んになったのか。色々な要素が考えられるが、私が特に指摘したいのは、韓国人の民族性に合うよう、うまく文化適応することに成功したという点である。具体的には、牧師を頂点とする、儒教的な上下関係のはっきりした教会運営だ。 だが、韓国人に合うということは、逆に言えば韓国人以外には合わないということである。その辺を理解せずに日本で韓国方式をそのまま取り入れた結果、カルト化してしまった教会も少なくない。(幸い、私の知る韓国人宣教者たちはみな、日本を理解して、謙虚に日本の教会に仕えようとする人々である。) そこまで行かないとしても、日本の一部の教会には、殊更に韓国の教会を礼賛し、その真似をしようとするところがある。特に、今から二十数年前頃、その傾向が顕著だったように思う。如何せん、キリスト教人口が国民の1%未満の日本の教会。会員数1000人規模の「メガチャーチ」がいくつもある韓国の教会は、羨望の対象なのだ。 そんな韓国の教会の実態を象徴するのが、十字架のネオンである。韓国に行くと、夜、真っ赤な十字架が、いくつも、街中至るところに輝いている。それだけたくさん教会があるということだ。日本のクリスチャンはそれを見て感動し、手放しで賞賛する。そして自分たちの教会にも赤い十字架をつけようと検討を始める。十字架を赤くすれば、教会に人がたくさん来るだろうとばかりに… ところが、こんなニュースがある。http://japan.hani.co.kr/arti/politics/11628.html強風による落下の危険性や、夜間照明による住民の安眠妨害があるとして、安養(アニャン)市当局が教会団体と協議し、いくつかの教会で十字架の撤去や深夜の消灯が決定されたという。十字架塔には違法建築されたものもあり、前述のような弊害が社会問題になっているようだ。日本のクリスチャンには見えなかった「陰」の部分である。この情報はある韓国人牧師から聞いたのだが、「大事なのは、十字架のネオンを輝かせることではなく、イエスさまの光を世に輝かせることだ」というようなことを言っていた。 また、ある集会でのこと。某有名牧師が、「日本の教会を素晴らしいという人はいない。しかし、韓国の教会は素晴らしい」と熱心に語っていた。だが、同じ頃、私はある韓国人のクリスチャンが「日本の小さい教会は、家族的で素晴らしい。韓国の教会ではこのようなことはない」と誉めるのを聞いたことがある。確かに、「神は一人の人も滅びるのを望んではおられない」という真理を思えば、教会員の人数が多ければ多いほどよいと考えるのは当然だ。しかし、どうしても違和感を覚える。イエスは、九十九匹の羊を残しても一匹の羊を探す方だ。教会は、ただ人数を誇ればいいというものではないのではないか。 また、韓国のクリスチャンはとても熱心だ。朝早くから夜遅くまで、激しく声を挙げ、涙を流しながら祈る。日本のクリスチャンは、とても彼らに及ばないように思う。だが、果たして本当にそうなのだろうか。日本人と韓国人とでは民族性が違う。日本人はあまり感情を表に出さない民族だ。対して韓国人は、感情を豊かに表現する民族である。中身が同じ100だったとしたら、日本人は表に80しか出さないのに対し、韓国人は表に120出す。すると見た目には、日本人より韓国人のほうが40熱心に見えるのである。 韓国の教会には素晴らしいところがたくさんある。しかし、決して完璧であるわけではないし、日本の教会が彼らと比べて悲観することもない。見倣うべき点は見倣いつつ、日本の教会は自分たちに合った教会のあり方を模索していくべきではないか。
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