松尾光太郎 de 海馬之玄関ブログ

大東亜戦争後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた「戦後民主主義→リベラル派」を果敢に批判します

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「精神障害者も社会に入れて」ですと? 考え違いもはなはだしい!

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一昨日、平成18年6月22日の朝日新聞の投書欄『声』(東京本社版)に共感せざるあたわざる投書が掲載されていた。茨城県の35歳のアルバイトの方のもの。匿名の投書である。その要旨を紹介する上でどの一句も削れないと思ったので全文引用させていただく。以下引用開始。


●精神障害者も社会に入れて

私は6年前にそううつ病と診断され、去年、精神障害者3級に認定されました。フリーター生活ですが、郵便局で延べ8年間勤めたこともあります。

しかし、今年働きだしたスーパーで、精神障害者だと分かると解雇になったのです。

いまだに、精神病は呪われた豪病だという偏見を持っている人がいます。実際、余計な誤解を受けないよう、精神障害者だということを職場にも友人にも告げない人が多いと思います。やはり私も、友人の半分には話せないでいます。

精神障害者といっても、私は病気を患っているだけです。薬を飲み生活に気をつければ、症状のコントロールも可能です。精神病が他の病気と変わらないということを、皆さんに知ってもらいたいのです。

その後、新しい仕事を見つけましたが、病気のことは隠しました。不採用になるのが嫌だったからです。

正しく理解してもらえるのなら、私は自分のことを隠さず正直に話したい。ありのままの私を社会に受け入れて欲しいのです。この投稿を匿名でするしかないのが、何より悲しいです。



私はこの投書を読んだときに、「「精神障害者も社会に入れて」ですと? 考え違いもはなはだしい!」と感じた。なぜか、それは、「精神障害者などは社会の足手まといにならないよう社会の周辺で逼塞されるがよろしかろう」ということではもちろんない(正直、本当にそう思っていたとしても、こんな主張を今時BLOGに書く勇気というか無神経さというかをお持ちの方はむしろ稀有の存在だろう)。私の不満は、投書の揚げ足取りに近いけれど次のような考えに起因する。すなわち、

精神障害者は病気ではないです。というか、
大なり小なりすべて人間は<なんらかの病>を患っているのではないですか。
ならば、精神障害者も当然社会の普通のメンバーですよ。
社会には、しかし、精神障害者への差別が色濃く残っていることは事実です。
それは承知していますが、精神障害者は社会の普通のメンバーですよ。
それをそう考えない社会の方が狂っている。
私もそう大したことはできませんが一緒に歩いていきましょう、と。


この考えは私自身の経験に起因している。それは、①私の極近しい人が今でいう統合失調症(Schizophrenia:まあ、2002年の病名変更までの用語で言えば「精神分裂病」)でありその介護経験があることと、および、②学部−大学院−駆け出しの社会人時代を通じて、足掛け10年、触法精神障害者の裁判支援→出所後の生活支援のボランティア活動に従事した経験の両者である。

これらの経験を通して痛感したことは、「世の中に普通の人間なんぞおらへん」「大なり小なり皆<狂っとる>んちゃうか」ということである。あるいは「精神障害者と呼ばれる人々の感じている世界はおそらくそうでない人がイメージする世界より柔和で優しい」「こんな世の中で、おかしくならない方が逆に変な人間なのかもしれない」ということだ。

実際、一般的には精神障害者と健常者の犯罪率では後者の方が遥かに高いことは刑事政策の常識である。つまり、あくまでも健常者に比べた場合ではあるけれど、精神障害者の過半は「他者を攻撃する暴力性や他者を欺く狡猾さ」をあまり持ち合わせていない(それらを行使することを躊躇する)人々なのである。

よって、冗談抜きに、「犯罪を犯す人が異常な=狂った人」とすれば精神障害者こそ普通の人であり、世間で普通と言われている人々が異常な人々であるとも言える。もっとも、かって「中国・ロシア・北朝鮮には犯罪がない」という今から思えば筋悪のジョークとしか思えない主張が進歩的と言われる人々によって語られていたけれど、私は一方で「犯罪も起きないような社会は極めて異常で歪な社会」だとも思っている。

尚、大急ぎで補足しておかなければならないと思うけれど、精神障害者の中には健常者に比べても際立って高い累犯性を示す一群のグループも存在している。このこともまた刑事政策的経験が教える所である。多少の誤解や偏見を恐れずに言えば、性犯罪の累犯者や傷害事件の累犯者の中にはこのグループにカテゴライズされる者が少なくはない。

ならば、累犯性のある触法精神障害者を「精神障害者≒弱者」として特別扱いすべきではない。彼等を対等な人格と看做し彼等と同じ目線で対峙すべきであり、他方、彼等が現実に示す社会的危険性を鑑みて、これら「犯罪を病気のように繰り返す」タイプの触法精神障害者はこの娑婆(=社会)から厳しく隔離&管理すべきなのである。逆に、彼等を弱者として特別扱いすることは彼等の社会的危険性を放置黙認する点で、組織暴力団や日教組等の反日−反社会的集団の活動を放置黙認することと等しい愚である。更に、それはヒューマニズムの装いを凝らしつつも触法精神障害者を対等な人間とは見ない傲岸不遜な態度と言うべきであろう。

精神障害者から刑罰や保安処分を受ける地位を奪い去るそのような態度は、カント『実践理性批判』『道徳形而上学言論』の言葉を借りれば、精神障害者の「人格を目的としてではなく手段としてのみ見る」人間性に対する冒涜であろう。それは人類愛に満ちた微笑の仮面に隠された人間の尊厳に対する侮蔑である。朝日新聞や岩波書店に代表される、大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義の民主主義観や人間観などはそのようなものかもしれない。尚、触法精神障害者を巡る犯罪と刑罰に関する私の基本的な考えについては下記拙稿を参照いただければ嬉しい。

山口県光市の母子殺人事件に死刑判決を

・応報刑思想の逆襲(1)〜(5−資料編)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11415049470.html


上で述べた実体験の中で、この社会が精神障害者に加えている酷薄かつ過酷な差別の実態はもちろん、多くの精神障害者が他の精神障害者を差別する悲しい場面にも少なからず遭遇した。また、なんといっても多くの精神障害者自身が自分自身を社会から<自己疎外>する健気なほどの優しさには正直胸を打たれた。だから私は匿名の投書子が「精神障害者も社会に入れて」と書き記されたことは十分理解できるし、不遜ながらその感情を共有できていると思う。けれども、「精神障害はふつうの病気にすぎない」「精神障害者も社会に入れて」という主張は間違いだと私は考える。

精神障害者とラベリングされる者もそうでない者も同じ人間である。これは、権利・義務の主体として同じ価値を持つなどという抽象的な話しにとどまるのではない。両者はその実存的なあり方において同一である。私はそう信じている。蓋し、「普通の人間なんかいない」のであり、存在するのは目も眩まんばかりの多様な個性を抱えながらも、ウィトゲンシュタインの言う意味での<家族的類似性>を分有するこの皇孫統べる豊葦原之瑞穂國の社会の対等な仲間としての人間だけである。畢竟、精神病もそのような数多ある多様な個性の一つにすぎない。私はそう確信している。

よって、私はこの匿名の投書子にこう言いたい。それは、私の中では天照大神と同一の神格である中島みゆきさんの言葉である。そして、匿名でなく投書できる社会を一緒につくっていきましょう。


元気ですか。どうしていますか。
きょうはひとりぼっちでいませんか。

いいことって、小さないいことって、
毎日ほんとうにいくつもいくつもいっぱいあるんだね。
けれど、とてつもなく大きな悲しいことも、
やっぱりどうしようもなくあるんだね。

明日なんてわからないし、
どんなに今日はいい日でも一秒後には炎の中かもしれないし、
まるでまっ白な霧の中、いつだって、
いまにも断崖に向かって踏み出しているかもしれないんだね。

けど、まっすぐに空を見て足を踏み出せたらって、
なかなかできそうもないけどさ、だから、なおさら、そうしたいと思うんだ。

たとえばあんたもひとりぼっちなら、
あたしはきっとそうやってあんたに手を出すよ。
きっと、そうやって 本気で あんたに手を出す。
わかるかい。

親愛なる者へ、 中島みゆき




(2006年6月24日:Yahoo版にアップロード)

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