|
阪神間の国道2号線に走っていた、阪神電車のチンチン電車の“定点観測”のために
昨日は、まずは下見にDanjiri Guyさんに同行してもらい、行ってみました。
また、一部、どうしても現在の場所が分からない箇所があり
それについては、Danjiri Guyさんの知り合いの方に教えに貰いにも行きましてね。
阪神のチンチン電車の写真は、色々な本に載っています。
一気に持っている全ての本の写真を精査したら、バカみたいな量を精査しないといけないので
時間はかかるけど、1冊1冊行っていきます。
「宝塚の定点観測」は、写真の場所場所が“面”になっていますが
この「阪神のチンチン電車の定点観測」は、写真の場所場所が“線”になっています。
写真の場所場所が“面”の場合、「ついでに、あの場所も撮っておこう」が出来ますが
写真の場所場所が“線”の場合は、その「ついで」が出来ません。
また「宝塚の定点観測」では、ヒントになる建物等が写っていますが
「阪神のチンチン電車の定点観測」では、震災で殆ど無くなってしまっています。
つまり、ヒントが少なすぎるんです。
と言うことで、神戸市の阪神間については、Danjiri Guyさんに「何処から撮ったか」を
現地を回って教えてもらいます。
昔の写真にあった建物の多くは、震災でつぶれていて、今は新しくなってるので
こりゃ、教えてもらわないと、分からんわ。
で、その後に、Danjiri Guyさんの祭り関係と思うんだけど
“村”の長老的存在の方に、写真を見てもらい、現在の場所を教えてもらいます。
その“長老的存在”の方は、酒屋さんを営業してまして
お店の一角は“立ち飲み屋”さん形式になってました。
このお店の方以外にも「長老的存在」の方が数人おられましてね。
この方々がいなかったら、絶対に分からない写真もいくつかありました。
また、「ああ、ここは昔、○○があったな」ってことも話していました。
今の土地勘があっても、様子がすっかり変わってしまってますので
昔から住んでいた人にしか分からないですね。
先ほど“村”と書きましたが、この地域は“ムラ”ではありません。
(↑ 意味が分からない人は、自分で調べてね)
今は「○○町〇丁目」となっていますが、昔は「○○村」と呼ばれてい
いまも、その名前で呼んでいました。
小さい頃からずっと住んでいる人が多く、
70歳過ぎの爺ちゃんから、20代の学生までがチャンと付き合いをしています。
また“祭り”を引き継いでいるためか、年功?がキッチリしていて
今の日本には数少なくなった、“文化継承”って言うものを感じましたね。
いやね、私には、そういったものが無いので……。
まぁ、これについては、後日書きましょう。
で、私のブログを読んでくれている方にもお会いしました。
「最近、文句ばっかりだね」とご指摘・・・・・ネタが無いものでね・・・・・
この「阪神のチンチン電車の定点観測」は、いつ出来上がるのかしら?
西宮市・尼崎市・大阪市は分かっていても
写真の数が「宝塚の定点観測」をはるかに超えるからな・・・・・・
さて、これからどうやって、写真を撮りに行くか思案中のゲバゲバ君でした。
つづく
ゲバゲバ君
|
阪神のチンチン電車の「定点観測」
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
この間、阪神電車の尼崎駅近くに行きましてね。
まぁ、仕事中でしたので写真は撮ってないんですが
「宝塚の定点観測」が終わったら、「阪神のチンチン電車」の定点観測に使える場所がありまして。
場所は、ここ ↓ 例によって「今昔マップ」からの地図です
で、「鉄道ピクトリアル」っていう、鉄道雑誌がありましてね。
結構マニアックな内容が書かれた雑誌ですが
その中に「阪神電鉄」の特集号がありまして、昔の阪神電車の写真が載っています。
まずは1枚目の写真。 明治の開業直後に撮られた写真です。
橋の下に流れる川は庄下川。 建物は多分、阪神電車の尼崎駅と思われます。
左岸から、西に向かって撮ったと思われます。
2枚目も同じく、阪神電車の尼崎駅の横の、庄下川を渡る電車の写真です。
右岸から、北東に向かって撮ったと思われます。
阪神電車は、明治32年に神戸市加納町〜尼崎市の尼崎までの「神阪電気軌道」が最初。
後に大阪まで伸延して「摂津電気鉄道」に社名を変えて、後に「阪神電気鉄道」に。
写真の地図は明治44年ですから、
先の2枚の写真の10年後の地図になります。
今行っている「宝塚の定点観測」は、阪急電車。
実は昔々、この阪急電車と阪神電車は、ものすご〜く、仲が悪かったですからね〜。
阪神電車の阪神国道線(チンチン電車)・尼崎海岸線・甲子園線(今は全て現存せず)や
電車じゃなくて道路の兵庫県道42号線、それに阪急電車の伊丹線・今津線などなどは
その「仲が悪かった」時の産物なんです。
まぁ、阪急電車と阪神電車の客層も違いますけどね。
阪神間は、阪急電車・JR・阪神電車の3本の電車が並行して東西に走っています。
しかも、お互いの距離が短い!!
日本でも珍しいかもしれない場所なんですね。
おしまい
ゲバゲバ君
|
|
現在行っている「宝塚の定点観測」の、現地撮影はあと数回。
このね「定点観測」って、やり始めるとムチャクチャ時間がかかるんですよね。
昔の写真を見て“何処で” “どの方向に向かって”撮ったかを、調べないとね。
漠然でも別にいいんだけど、やはり正確にしたいし・・・・・・。
それに、場所は分かっても現地に行ったら、写真が上手く取れない場合も多いし。
いや、道路が拡幅していたり、新しく建物があって邪魔だったり、クルマが多すぎたり・・・・・。
まぁ他にもいろいろあるけど、
今回行っている「宝塚の定点観測」の次は、候補として挙げてるのが「阪神電車のチンチン電車」。
え? 阪神電車にチンチン電車なんか無いって?
あったんですよ、昔は。 昭和50年の5月6日まで走ってたんですよ。
上の写真は「住吉駅前」〜「灘高校前」を走るチンチン電車。 昭和48年。
チンチン電車が走っている道路は、国道2号線。
まぁ、これは何処から何処に向かって撮ったかは、分かります。
ところが、上の写真が分からないんです。
撮った場所は国道2号線にあった「森具」という停留所なんですが
停留所の東側か西側かが分かりませんし、どの方向に撮ったのかも分かりません。
ヒントは3つの看板と、向こうに見えるマンションですが・・・・・・。
この上の写真も分かりません。 昭和35年、「田中」の停留所にて撮っています。
写真の左上の端っこに、チラリと六甲山脈が見えますんで、北東に向かって撮ってるんでしょうけど
「田中」停留所の、どの位置なんだよ・・・・・。
上の2枚は「徳井」停留所です。 昭和37年。
もう、これはお手上げ状態に近いです。
上の写真は、阪神電車の武庫川線。 東鳴尾駅周辺です。
昭和35年に撮られた写真ですが、「東鳴尾駅周辺」と書かれていますが
撮った場所・方向は数メートル単位で完全にわかります。
この写真は、先ほどの写真の場所から、
土手を降りて数メートル北に行った場所から撮ってます。
上の写真は、武庫川駅です。 これは簡単ですね。
今じゃ、綺麗な立派な駅になってますけど・・・・・・。
あ、因みにこの武庫川線、大東亜戦争(太平洋戦争)のさなか
突貫工事で造られた、川西航空機の工場への通勤客・物資輸送のための路線でした。
全国でも珍しい3線軌条であり
また、戦争中・戦後間もない頃は、このチンチン電車が走る線路に
国鉄(←のちのJR)の蒸気機関車が走るという、
今では考えられないムチャクチャな線区でした。
上の写真は、「上甲子園」停留所の近く。
国道2号線から分かれて、甲子園球場に向かう「甲子園線」の起点です。
これはね・・・・・もう・・・・ピンポイントで分かります。
因みに、私が生まれた病院は、この写真のすぐ近く。
全く何も説明が無くても、即わかる写真です。 完全にピンポイントで分かります。
ピンポイントで分かる3枚の写真や、武庫川線は
何処から、どの方向に撮ったかがすぐ分かるのは・・・・・
・・・・だって、私の生まれ育った、西宮市だから・・・・・。
でも、国道2号線の写真は、生まれ育った場所じゃないから、分からないんです。
こうなると、「宝塚の定点観測」のように、時間がかかるんですよね〜。
ですから、次のような写真は、もうお手上げ。
漠然とした場所しか分からないんです。 どんな写真かと言いますと・・・・・・
・・・・・・阪神電車の尼崎海岸線・・・・・・
駅は、阪神電車本線の出屋敷を起点に、高洲・東浜しかありません。
上の2枚の写真は、出屋敷〜高洲。 下の写真は東浜(廃止後)です。
実はこの「尼崎海岸線」は、先ほどの「武庫川線」と「甲子園線」に関係している線区でした。
どう関係していたか、定点観測の時にお話ししますね。
大きい目で見ると、実は阪急電車も関係してきますけど・・・・・・。
何処から、どの方向で撮ったか分からない写真は
写真にチラッと写っている看板を、
Danjiri Guyさんにもらった昔の住宅地図で調べていくんですがね・・・・・。
時間はかかるけど、皆さんもやってみては?
はまると、結構面白いですし、その地の歴史とかも分かりますよ。
おしまい
ゲバゲバ君
|
全1ページ
[1]





