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もう、終わってしまったが、2008年8月号まで、VISAの月刊誌に、東京大学薬学部准教授、池谷裕二氏が「ビジネス脳のススメ」を連載されていた。 脳の専門家の立場から、興味深い最先端の知識を分かりやすく解説する、すばらしい連載で、この一編のためだけに、妙に高いゴールドカードの会費を払っていたといっても良いほどだ。(もちろん、料金を払えばゴールドでなくても読むことができる) 毎号のように、「先月の学会誌にこれこれといった興味深いレポートが載っていた。簡単に説明すると〜」と始められるのだから、たまらない。 もちろん、学会誌であるから、「世間的に認められた確かな論」というより、最先端すぎてマユツバモノの論であることが、素人考えで見てもわかるようなものも多々ある。 それがいい。 だが、そのどれもが、世界の脳科学の最先端を探る、素晴らしい実験とアイデアの宝庫であったのは間違いがなかった。 たとえば、音痴と立体認識の関連という回がある。 ある学者が、音痴の人の特徴を探るためにデータを集めると、歌の下手な人たちは共通して物の立体認識が苦手だったというのだ。 いま、手元に記事がないために、ここは記憶に頼ることになるが、立体認識とは、展開図、つまり円錐だと扇形に円がちょこっとついているやつ、中学の図形なんかでよくでてきた、あれから立体の円錐を思い浮かべるという能力だそうだ。 具体的なテストは、被験者に展開図をみせた後、いろいろな立体をみせて正解を当てさせるというものだった。 結果からいえることは、どうも脳における「ヒトが立体を認識するフィールド」と「歌をうたうフィールド」が近いということらしい。 だから関連性があるのだ。 一見、まったく別の能力が、じつは密接に関係しているというのがおもしろい。 その話を聞いて、分子式は同じに見えながら、性質が全く違う光学異性体を思い出した。 まあ、この場合は音痴の例とは逆だが。 わたしは、個人的に、人の行動や性癖、認知、認識をすべて脳に負わせるのは間違っているのではないかと思っている。 たとえば、臓器としてみても、脳はその内容から考えて、決して肝臓より複雑で「上等」なものではない。 だからこそ、脳のわがまま、必要、欲求で、眠いのをこらえて起きたり、肝機能が弱っているのに、さらに処理出来ないほどの酒を飲んだりすることは、対等であるべき臓器にとって、アンフェアな扱いだと思うのだ。 身体は、脳のためにのみ存在しているのではないのだから。 わたしは半可通の素人だから、そう思うのだが、脳の専門家はどう思うのだろう? 連載の最後で、池谷氏は、「脳科学者がこんなことを言ったら、同じ専門分野の研究者にしかられそうですが……」と断って、脳と同じぐらい身体がスゴいのではないか、と述べている。 (以下、要約) たとえば、脳が疲れて眠ることもあるだろうが、時間を見て、ああ、もう寝なければ、と、考えて寝る方が多いのではないか? 眠気は脳の内面からわき上がるのではなく、横になって、布団にくるまり、部屋の電気を消して「眠くなる」のが普通ではないか。眠気は、通常、体や感興によって作られるのだ。 欲しいから買うのではなく、「見るから欲しくなる」ということは、ショッピング好きな女性ならよく知っているだろう。 そういった例から、私たちは、脳の内側から自然と状況が変化するというより、仕草や姿勢を意図的に変えることで、後追いで脳がそれに見合ったように追随するというシステムになっていることが理解できる。 ぜひ、この大切な点を見落とさないようにして日常生活を大切に送りたいものです…… どうです。やはり、良い学者というものは良い見識を持っているものだと、あらためて感心すると同時に、専門家の言葉であるがゆえに、最後の一文は大切にしたいものだと思いますね。 「ビジネス脳のススメ」は、「脳はなにかと言い訳する」として一冊の本にまとめられています。来年には、「2」も出るそうです。
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2008年10月21日
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「武田邦彦著 環境問題はなぜウソがまかりとおるのか The Lie of an Enviromental Problem.」2007年3月初版発行 を読んだ。 以前に、新聞の広告欄で見て、ぜひ読んでみたいと思っていたのだが、先日、やっと読むことができたのだ。 著者は、中部大学総合工学研究所教授。 目次を以下に示す。 第一章 資源7倍、ごみ7倍になるリサイクル 第二章 ダイオキシンはいかにして猛毒に仕立て上げられたか 第三章 地球温暖化で頻発する故意の誤報 第四章 チリ紙交換屋は街からなぜいなくなったのか 第五章 環境問題を弄ぶ人たち 各章ごとに刺激的なタイトルが並んでいるが、特に気になったのが、第二章ダイオキシンだった。 簡単に内容をまとめてみると…… 「ダイオキシンは、人類史上もっとも強い毒性を持つ化合物」で、「焚き火をしたり、魚を焼いたりするだけで発生する」というのは、ウソらしい。 著者も2000年まで、マスコミ報道のダイオキシン強毒説を信じていたそうだ。 だが、2001年に人体への毒物研究の第一人者である、東京大学医学部教授(当時)和田攻氏が発表した「ダイオキシンはヒトの猛毒で最強の発ガン物質か」という論文を読んで、「ダイオキシンは、それほど強い発ガン性を持たず、急性毒性という点では非常に弱いものではないか」と考えて調査を開始したのだった。 三年後、著者は「ダイオキシンにはほとんど毒性がない」ことを確信した。 かつて、ダイオキシンは水田用の農薬(CNP:水田除草剤)に含まれていた。 もっともダイオキシン濃度が高かったのは、1970年ごろで、当時は、ベトナム戦争でまかれた60倍もの量のダイオキシンが、水田に使われていたというのだ。 その上、ダイオキシンは、「人類が作り出した極めて特殊な化合物」などではなく、数億年前から自然界に存在していたのだ。 では、当時、ダイオキシンが猛毒とされたのはなぜか。 それは、いわゆる「ためにする」モルモット実験が原因だ、と著者は指摘する。 「ダイオキシンが毒性を示しやすいモルモット」を選んだ結果なのだと。 何のために? ダイオキシン問題をあおって、それを種に、金儲けをたくらむ団体および個人がいるのだという。著者は、一貫して、そういった利益団体を攻撃しているのだ。 現在では、ダイオキシンの毒性が弱いのは、専門家の間では周知の事実なのだという。 わたしは知らなかったなぁ。もちろん、専門家じゃないけどね。 あと、「第三章 地球温暖化で頻発する故意の誤報」もおもしろかったなぁ。 ざっと列挙すると、 「北極の氷が溶けても海面は上がらない」→北極の氷は、南極と違って水に浮いているので 溶けても海の体積は増えない。 「森林を増やしても二酸化炭素は減らない」→成長期に木は「体を作るため」に二酸化炭素を強吸収するが、成熟すると、あまり二酸化炭素を吸収しなくなり、枯れると分解されて二酸化炭素を放出する。 などがある。 木の二酸化炭素吸収については、林野庁の試算(子供向けサイト)で「自動車一台の出す二酸化炭素の年間放出量は2,300Kgで、スギの木が160本で吸収する」とハッキリ書かれているそうだが、それは間違っているのだという。 上記のサイトでは、その但し書きとして「50年生のスギの人工林には、1ヘクタールあたり約170トンの炭素を貯蔵……」と書いてあるそうだが、それはつまり「スギが死なないと仮定」した試算なのだ。 生き物である限り枯死したり、材木として利用しても、結局、最後は使いつぶされて、同じ量の二酸化炭素になるので吸収されない、というのが著者の意見だ。 確かに、南極の氷が解けたなら、あれは地面の上の氷だから水位は上がるだろうが、北極はあまり関係なさそうだ。 でも、だれか北極の氷が溶けて土地が水没するって言ったのかな? どちらかというと、北極グマが孤立して死ぬからカワイソウ、というのが最近の論調のはずだ。 植林がムダなのは、ちょっと意外だったけど、考えたらそうかも。 木は、「自分の体を作るため」と「維持するため」に、二酸化炭素を分解しているだけなのだし、維持するより体を作る方が、たくさん二酸化炭素を吸収するのは当然だ。 しょせん、石炭や石油として、何億年も前に、地中にカプセル化された高濃度な二酸化炭素を、エネルギーを取り出す代価として安易に使い続けたツケなのだから。 付け焼き刃で、現代の小さな木を植えても根本的な快活にはならない。石炭のもとになったシダ類は巨木だったようだし。 ただ、多くの木を植えて、それを様々に加工して、長く使えば、二酸化炭素対策にはなるようには思えるのだが。 著者は、行政とマスコミへの怒りのあまり、筆が走りすぎている部分もあるような気もする。 読者としては、冷静に内容を判断しなければならないだろうな。 (いま、このシリーズは3まで出ています)
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