◆吉田松陰が渡米密航を企てたがぺりー米国艦隊に拒絶
され野山獄に投獄される。
1856年・安政3年 ◆吉田松陰が野山獄を出獄後、「松下村塾」を開いて門弟たち
に学問と 時局の講義を始める。その門弟は 高杉晋作・木戸
孝允(桂小五郎・久坂玄端(くさかげんずい)・伊藤博文・
山形有朋(ありとも)など
1858年・安政5年 ◆大老・井伊直弼(いいなおすけ)は幕府の内外を問わず、あら
ゆる階層の反対派に対し大弾圧「安政の大獄」を強行
1859年・安政6年 ◆吉田松陰が江戸へ護送されて死刑に処せられる(享年29才)
1860年・万延1年 ◆桜田門外の変。大老・井伊直弼江戸城へ登城の途中、暗殺さ
れる(享年46才)
1862年・文久2年 ◆福沢諭吉らの遣欧(けんおう)使節が出発する
◆高杉晋作が長州藩を代表して清国・上海へ出発する
1863年・文久3年 ◆伊藤博文・井上馨(かおる)らが英国へ軍事研究のため出発
◆長州藩が下関海峡通過の米・仏・蘭の船舶を不意打ちで砲撃
◆高杉晋作が「奇兵隊」を創設する
◆浪士組(のちの新選組)結成
◆長州藩主・毛利敬親(もうりたかちか)は、内外の情勢変化に対
応し、藩政府を萩から藩の中心地山口へ移す。これにより、
山口と松田屋はいよいよ維新回天の策源舞台となる
◆8月18日の政変で京都を追われた尊皇攘夷派の公卿・三条実
美(さんじょうさねとみ)ら七人が長州へ「七卿落(しちきょうおち」
逃げ延びる
◆この政変を機に新選組と名乗るようになる
◆高杉晋作が松田屋の玄関横にあった楓(かえで)の幹に(国家
ニ盡スノトキナリ)の文字を刻む
1864年・元治1年 ◆池田屋事件が起こる。長州・土佐・肥後の尊皇の志士ら京都
三条の池田屋で密会中、幕府の新撰組に急襲され多数の死
者を出す
◆蛤門(はまぐりもん)の変(別名・禁門の変)が起こり、長州藩の
俊英・久坂玄瑞ら多数が戦死
◆井上馨が湯田袖解橋(そでときばし)で、長州藩内の対幕府穏
健派(俗論派)に深夜急襲され瀕死の重傷を負うが、急きょ松
田屋へ運ばれ、所郁太郎(ところいくたろう)の応急手当で奇
跡的に一命をとりとめる
◆米・英・仏・蘭の四国連合艦隊は報復と威力を示すため長州
藩・下関砲台を攻撃し、これを壊滅・占領する。敗れた長州藩
は和を申し込む
◆幕府の第一次長州征伐が挙行される。長州藩は戦わずして
降伏、幕府に謝罪恭順の意を表す
◆急進派の主導者・高杉晋作はこれを不服とし、藩内穏健派(俗
論派)に対し、下関功山寺にて奇兵隊等諸隊を率いて決然挙
兵する
1865年・慶応1年 ◆挙兵した急進派(高杉晋作を筆頭に、木戸孝允・伊藤博文・山
県有朋・井上馨・品川弥二郎ら)は萩へ向かって進撃。途中俗
論派を駆逐し、尊皇・討幕急進派で藩内勢力を統一支配する
1866年・慶応2年 ◆土佐藩士・坂本竜馬の仲介斡旋で長州・薩摩の両雄藩が薩
長同盟を締結する
◆徳川慶喜(よしのぶ)が最後の幕府将軍に就任する
◆幕府は第二次長州征伐を挙行。長州藩の絶対優勢のもと休
戦となる
1867年・慶応3年 ◆高杉晋作が病死。東行庵に永眠する(享年27才)
◆薩摩藩の西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀(こまつたてわき)ら
が、薩長同盟の確認と薩長連合軍による討幕出陣の具体的
協議のため山口へ来る。枕流亭(ちんりゅうてい)に長期間滞
在し、長州藩士の木戸孝允・伊藤博文・広沢真臣(ひろさわさ
ねおみ)らと共に松田屋へもしばしば来駕し会談する。このき
朝廷から討幕の密勅と皇政復古の宣言とが発令され、品川
弥二郎はこの書状を携えて急ぎ京都から山口へ帰り彼等へ
伝える
◆長州藩が朝廷の勅許を得て、討幕出陣用の「錦の御旗」(にし
きのみはた)を山口で製作する
◆坂本竜馬、京都の近江屋で暗殺される(享年32才)
◆徳川慶喜が大政奉還を申し出る
1868年・明治1年 ◆鳥羽・伏見の戦
◆西郷隆盛・勝海舟会談により江戸城が無血開城
◆上野戦争、二本松戦争、会津若松戦争、長岡戦争などが勃
発。薩長等連合軍(官軍)がことごとく勝利
◆江戸を東京と改称
1869年・明治2年 ◆榎本武揚(えのもとたけあき)との函館戦争に官軍が勝利
◆京都から東京へ遷都(せんと)
◆大村益次郎が京都で暗殺される。享年45才
1870年・明治3年 ◆山県有朋が兵制改革の整備を進める