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若い時代の職場環境は スポーツ施設に関係する場所や旅行に関連する施設でしたが いまは霞ヶ関の裁判所に月に4回〜5回程度、法廷で仕事というかボランティア活動をしています。弁護士は調査活動を苦手にしていますので、私自身で調査をして弁護士を付けずに、破産管財人や悪徳弁護士相手の訴訟活動です。裁判官もいろいろですので、日本の司法制度は信用できないと裁判官にも正論で討論を仕掛けています。
実際に訴訟活動を 自ら行う事で見えてきたことは 裁判官も 当然のことですが人間です。毎日トラブル処理を行うロボット化で一つ一つの訴状を真剣に読んでいないし、理解していないし、想像力もないというより、裁判所の民事訴訟は非常に大量の事件でオートメション的事務処理行政です。もし民間のような競争環境にあれば、間違いなく霞ヶ関の裁判所は倒産だと思いますね!全く合理的な感覚なしで無駄な時間を変えようとする知恵など皆無です。いつも私の口元は、こいつら何を勉強してきたのか、少しは頭を使えと言っています。そうは言っても、現在のトラブルを解決する場所は霞ヶ関しかないので、ここに足を運んでいます。
一つ手前の虎の門の特許庁にも月に2〜3回出かけています。自身で申請すれば、僅か数万円の印紙代だけで完了します。
しかし、私には絶対に出来ない仕事をして頂く人々が霞ヶ関には存在することで日本の国は世界では、素晴らしい平和国家であることには違いないので、文句も言わずに通っています。
やっと新規事業を遣れる環境になりましたので、誰も願っていながら出来ない事業に着手しました。老朽マンションの建替えを居住者負担金なしで実現する事業は 現状、95%の関係者が無理と言っていますので非常に遣り甲斐を感じます。
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男の生きかた
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凄い時代ですね!
20代のサムライが世の中を変えて行く
本当にそうだろうか?
長州では、藩の厄介者に金を出すはずがない
しかし、大砲も戦艦も僅か1年で手にする
明治維新の黒幕は、今も隠れて日本を見ています。
1856年・吉田松陰が松下村塾を開塾
1858年・大老井伊直弼の安政の大獄
1859年・吉田松陰(29歳)死刑
1860年・井伊直弼を暗殺(46歳)
1867年・坂本竜馬(32歳)・暗殺
1868年・明治元年 江戸から東京へ
1853年・袈嘉永6年 ◆ぺりー提督率いる米国艦隊が江戸浦賀に来航
◆吉田松陰が渡米密航を企てたがぺりー米国艦隊に拒絶
され野山獄に投獄される。 に学問と 時局の講義を始める。その門弟は 高杉晋作・木戸
孝允(桂小五郎・久坂玄端(くさかげんずい)・伊藤博文・
山形有朋(ありとも)など ゆる階層の反対派に対し大弾圧「安政の大獄」を強行 れる(享年46才) 応し、藩政府を萩から藩の中心地山口へ移す。これにより、
山口と松田屋はいよいよ維新回天の策源舞台となる
◆8月18日の政変で京都を追われた尊皇攘夷派の公卿・三条実 美(さんじょうさねとみ)ら七人が長州へ「七卿落(しちきょうおち」
逃げ延びる
◆この政変を機に新選組と名乗るようになる ◆高杉晋作が松田屋の玄関横にあった楓(かえで)の幹に(国家 ニ盡スノトキナリ)の文字を刻む 三条の池田屋で密会中、幕府の新撰組に急襲され多数の死
者を出す
◆蛤門(はまぐりもん)の変(別名・禁門の変)が起こり、長州藩の 俊英・久坂玄瑞ら多数が戦死
◆井上馨が湯田袖解橋(そでときばし)で、長州藩内の対幕府穏 健派(俗論派)に深夜急襲され瀕死の重傷を負うが、急きょ松
田屋へ運ばれ、所郁太郎(ところいくたろう)の応急手当で奇
跡的に一命をとりとめる
◆米・英・仏・蘭の四国連合艦隊は報復と威力を示すため長州 藩・下関砲台を攻撃し、これを壊滅・占領する。敗れた長州藩
は和を申し込む
◆幕府の第一次長州征伐が挙行される。長州藩は戦わずして 降伏、幕府に謝罪恭順の意を表す
◆急進派の主導者・高杉晋作はこれを不服とし、藩内穏健派(俗 論派)に対し、下関功山寺にて奇兵隊等諸隊を率いて決然挙
兵する 県有朋・井上馨・品川弥二郎ら)は萩へ向かって進撃。途中俗
論派を駆逐し、尊皇・討幕急進派で藩内勢力を統一支配する 長同盟を締結する
◆徳川慶喜(よしのぶ)が最後の幕府将軍に就任する ◆幕府は第二次長州征伐を挙行。長州藩の絶対優勢のもと休 戦となる が、薩長同盟の確認と薩長連合軍による討幕出陣の具体的
協議のため山口へ来る。枕流亭(ちんりゅうてい)に長期間滞
在し、長州藩士の木戸孝允・伊藤博文・広沢真臣(ひろさわさ
ねおみ)らと共に松田屋へもしばしば来駕し会談する。このき
朝廷から討幕の密勅と皇政復古の宣言とが発令され、品川
弥二郎はこの書状を携えて急ぎ京都から山口へ帰り彼等へ
伝える
◆長州藩が朝廷の勅許を得て、討幕出陣用の「錦の御旗」(にし きのみはた)を山口で製作する 発。薩長等連合軍(官軍)がことごとく勝利 |
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昨日午前10時半に裁判所で 出版詐欺師の10回目の公判を終えて
地下のミーティングルームで この詐欺事件を担当して出鱈目な破産調査をした破産管財人弁護士に対して任務懈怠事件の訴訟の打ち合わせをしていたら原告仲間からNHKやテレ朝やTBSで 先程まで目の前にいた詐欺師が逮捕されて連行される映像が流れているとのメールに驚きました。ということは 我々が公判している最中も 刑事は詐欺師を尾行していたということか 裁判所を出たところで 目の前が警視庁ですから
逮捕しやすかったかも知れません。
しかし、この詐欺師に関わってから20年、犯罪に気づいて調査を初めて13年間の長きを要しましたが遂に逮捕に至り安堵しています。
今後は 司法資格者サイド側の詐欺事件を生む裁判官と破産管財人の
微温湯的な倫理観欠如の司法資格者への罰則制度を如何に実行させるかを考えています。
投資詐欺の疑いで「バルチックカレー」元社長ら逮捕 読売新聞 実態のない事業への投資を持ち掛け現金をだまし取ったとして、警視庁などは25日、詐欺の疑いでカレーチェーン運営会社バルチック・システム(解散)元社長吉野幸則容疑者(48)=東京都江東区=と出版社あいであ・らいふ(破産)元社長嘉藤慎哉10+ 件容疑者(59)=渋谷区=を逮捕した。
逮捕容疑は2008年5月、あいであ・らいふが出版する雑誌に「サウジアラビアから中国に重油を輸入するビジネスに投資すれば、年間配当78%が可能」などと実態がない投資話を掲載。出資に応じた都内の無職女性(61)ら11人から計950万円をだまし取った疑い。
警視庁によると、いずれも容疑を否認している。
警視庁は10年、無登録で出資を募ったとして、金融商品取引法違反容疑でバルチック・システムなどを家宅捜索。全国の約300人が総額約2億3500万円出資していたことが分かり、京都府警など4府県警と合同で捜査していた。
バルチック社はカレー店「バルチックカレー」を運営していたが、08年9月に解散。バルチックカレーは現在別会社が営業している。吉野容疑者は同社経営の傍ら、1998年ごろから複数の投資話で80億円近くを集めていたという。
あいであ・らいふは雑誌「男の隠れ家」などの出版元だったが破産。同誌は別会社から出版されている。 |
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詐欺師の犯罪を解明することなど 多くの関係者に無理と言われて
開始した調査から8年目で 犯罪をほぼ解明してから
株主総会で詐欺案件を追求したら 自己破産に逃げましたので
債権者集会で 司法関係者の前で 事件の詳細を述べたにも
拘わらず 裁判官も 破産管財人も 私の主張を無視したことで
私の正義感が 怒りに変わり その債権者集会の司法関係者に
対して詐欺破産罪での 訴訟を開始しました。
詐欺破産者の資産の隠匿や擁護をしたり 調査等を怠ると
破産管財人にも 懲役10年以下1000万円以下の罰則となる
重大なる責任があるにも拘らず 誰が見ても手抜きの管財業務を
行いましたので 当然の如く 真実の追求を求めて 初めてのお使い
ではありませんが 素人弁護士役を務めることになりました。
現在、司法資格を持つ弁護士に裁判官は 相当のストレスで
毎日を 過ごしていると思いますが 自らの過ちは自らが責任をとる
以外に解決はありません。 弁護士資格を持つ日本人は一度資格を
取得すると安心という催眠術にでも罹ったかの如く、努力を忘れます。
司法関係者に今回の訴訟の この経験を
次回の破産事件には同じ過ちは起こさない為にも
この行動に意味を持たせたいと考えています。
弁護士相手の 裁判は 正義感だけで 十分に闘えます。
弁護士は 司法試験に合格した時点で 微温湯に浸かります。
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あと1時間で 最悪の年と さよならをする
東日本の津波の被害を映像でこれでもかというぐらい見せられると
気持が荒む多くの日本人がいることでしょう
東北の被害者の生活を 自身に置き換えると どんな辛い事にでも
耐えられるぐらいの津波被害でした。
来年は 東北の皆さんの住宅を いち早く建設できる
最善の方法を 考えたいと 新年を目前に
漠然と思っています。
本年は 最悪の年でしたが 最悪は最善に向かう
スタートの年でもある。
がんばろう 東日本 日本
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