GWも最終日…(涙) 毎度のごとくだんじり、家族で近場へと相変わらずな連休となりました。 今日は4月29日に行われた羽曳野市鍛冶町の入魂式の模様です。 このだんじりは平成12年和泉市唐国より購入された「大佐」製作のだんじり。 新調年不詳ではありますが、明治20年あたりのものかと。 鍛冶町購入時に勾欄を追加する等の修理がおこなわれましたが、十数年の年月を経た今回 「北本工務店」で修理が行われ、大きな変わりはないですが灰洗いもなされ綺麗になりました。 ▲踏切付近でだんじり発見。前に子ども達を乗せお披露目曳行です。 ▲踏切を渡り会館前を通過、古市小まで。今回はやりまわし無しでUターンし帰ってきました。 ▲小屋のある誉田八幡に到着。 ▲境内に据え置かれ少しの時間だんじりも見学。 ▲お祝いに出されていた西之口。こちらも大佐作のだんじりで平成8年鳳北王子より購入。 ▲こちら馬場町。平成元年の記念すべき年に和泉市上伯太が大下工務店で新調され、平成18年に購入。 鍛冶町の皆様、入魂式誠におめでとうございました。 9月の祭礼はなにかと忙しく見る機会も少ないので、また誉田の地を訪れる事ができよかったです。 誉田八幡に行く度に拝殿の彫刻、南大門の獅噛みを撮影しようと思うのですが、だんじりを見てる うちについド忘れしちゃいます。。。 またの機会があれば必ず撮影と肝に命じた入魂式となりました。 |
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この日は、淡路遠征しておりましたので、見に行けずです。
誉田八幡は、晩にしか行った事ないんで、いっぺん昼見に行きたいですね〜
2012/5/6(日) 午後 6:25
国松君さん
昼の誉田も名作の彫物も拝めいいですよ(笑)
夜もなかなか見所があると聞いてますが、逆に夜は見た事ないんで見に行きたいです。
2012/5/6(日) 午後 8:13
誉田八幡宮は、応神天皇を主祭神とし、古くから応神陵の近くにあって、御陵祭祀を司ってきました。
応神天皇は、皇室系図である「帝記」や宮廷物語である「旧辞」あるいは「古事記」・「百済記」などによって4世紀後半に実在した人であると考えられています。
河内地方は、4世紀後半には瀬戸内交通の重要性が加わり、一層開発が進んだと考えられます。
応神天皇は、河内地方を支配して、ここに新王朝を築かれたと思われます。
秦の始皇帝陵などと共に世界でも屈指の大帝王墓−応神陵・仁徳陵−をはじめ、倭の五王時代の天皇陵はほとんどが、この河内、和泉地方につくられています。
応神天皇の崩御に際して御陵がこの誉田の地に築かれたのは、このように天皇ゆかりの地であったことと、4・5世紀代におけるこの地方が、重要な位置を占めていた地理的環境によるものであると考えられます。
当宮に伝わる、応神天皇陵陪塚丸山古墳出土の馬具(金銅製透彫鞍金具)に象徴されるように、当時の金工、木工、革工などの秀れた工芸技術は、日本文化の基礎を築くものであったと云えるでしょう。
2012/8/13(月) 午後 6:23 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]