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 雲ひとつない朝である。太陽がすべての雲を視界から消し去ってしまったようだ。日曜日だというのに消えることのない車の騒音を除いては、あらゆるものが穏やかである。鳩たちはトタンぶきの屋根の上で陽なたぼっこをしており、屋根の色とほとんど区別がつかない。涼しくてさわやかな空気にもかかわらず、風はそよともしない。

 思考と感情を超えたところに平和がある。それは政治家や僧侶やそれを探し求めている人の平和とは違う。それは探し求められるべきものではない。探し求められるものはすでに知られたものであり、知られたものは決して真正のものではない。
 平和は信奉者やそれを理論化してしまう哲学者のものではない。それは暴力に対する反応や反動ではない。平和に対立するものはない。いっさいの対立物、二元性の葛藤は終熄しなくてはならない。光と闇、男と女のような二元性は存在するが、それらの間に争いは決して必要ではない。 対立物間の争いは欲求、満足への無理強いや性の欲求や安全性を求める心理的要求が存在する時にのみ生じてくる。そして対立物の間の争いしか存在しなくなってしまう。
 執着と離脱という対立物からの逃避は、教会と法律を通じての平和への探求である。 法律は確かに表面的な秩序を与えることができるし、そうしてもいる。教会や寺院が与える平和は、混乱した心が逃避し得る幻想や神話である。しかし、これは平和ではない。シンボルや言葉は破壊されねばならない。平和を得るために破壊するのではなく、それらがまさしく理解することを妨げているために、徹底的に打ち砕かねばならないのである。
 平和は売り物ではないし、筒単に交換の利く日用品でもない。あらゆる形の争いが終熄しなければならず、その時おそらく平和は存在しよう。要求と欲求の全面的な否定や停止が必要なのだ。そうして初めて、葛藤は終息する。
 空の中に誕生がある。あらゆる内面的な抵抗と安全性の構造が死滅しなくてはならない。そうして初めて、空は存在する。この空の中にのみ、その美徳にいかなる価値や利益もない、あの平和がある。
 
 今朝早く、それはそこにあった。それは晴れてかすんだ空に昇った太陽と共に到来した。それは美に満ち溢れた驚くべきものであり、いかなるものも、いかなる犠牲も、いかなる信奉者も、いかなる美徳も、いかなる暗闇の時も要求しない祝福であった。それはそこに満ち溢れており、ただ満ち溢れた心とハートのみがそれを受け入れることができた。それはいっさいの尺度を超えていた。

クリシュナムルティの神秘体験より J・クリシュナムルティ著 めるくまーる社刊 おおえまさのり訳
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/1132370/s

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その空を悠然と往く一羽の鳥があった。

その鳥の名を人はこう呼んだ。

カルラと。

2009/12/26(土) 午前 2:41 [ たつのすけ ]

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コメントありがとうございます。

>>悠然と往く一羽の鳥

昔、悠然と夜空を飛行していた大きなブーメラン型UFOを連想しました。

2009/12/26(土) 午後 4:57 kae**gawa7


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kae**gawa7
kae**gawa7
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