|
人はなぜ生きているのか?
この問いに答えられる教師の方は、いかほどいらっしゃるのでしょうか。
そんな教師に教えられる児童、生徒、学生は不幸であります。
いや、教師ばかりではありません。親たちも生きる理由は分からないのです。
この世が地獄なのは、そこにすべての原因があります。
人はなぜ生きているのか?それは難しいことは何もありません。「生命の力によって生かされている」からなのです。
人は体内に血液が流れることによって生命の営みが行われております。血液は体内に酸素や栄養素などを送り、また用済みの排泄物を体外に送る働き、有害な菌などを退治したりします。この血液は心臓が鼓動することによって循環されます。
心臓の鼓動は筋肉の収縮によって行われます。この収縮は筋肉に電気を与えて行われておりますが、その電気は心臓の鼓動のパルス(周期的な電気)が頭脳から発信されるのです。脳から発信される電気は神経という電線を通じて心臓につながれております。
さて、頭脳というコンピューターが動くということは、そこにエネルギーがあるからなのですが、それは宇宙から来ているのです。それは遙か彼方から来るのか、あるいはすぐ近くの空間にあるのか分かりませんが、どちらにしても、この英知あるエネルギーは私たち体内に入り込んでおります。そのエネルギーによって生かされているのです。宇宙の英知、宇宙の力、神の力、創造主、自然の力、生命の力、名前はなんでも構いません。それが無くては私たちの存在はあり得ないのです。
体を何回も傷つけても、肉体はそれを蘇生しようと働きかけます。生命を維持させるために賢明になって働き続けるのです。それを自ら停止させる行為は、とても大きな犯罪であります。この行為は来世になって大きな災いとして降りかかって来ます。
私はこの大いなる「生命の英知」に生かされていることに、いつも感謝をしております。
|
まったく、その通りだと思いました!
では、「なぜ?」ではなく、「何のために?」
生きているのだと思いますか?
よく聞く言葉に「修行の為」と聞きますが、KUREOさんも、そう思われますか?
あっ! 2つも質問してしまいました(汗)
宜しければ、お聞かせ下さい!
2007/6/11(月) 午後 10:57 [ カッキー ]
なぜ生きているのか?というのは「宇宙の中で大いなる生命の力によって生かされている」からなのですが、
何のために?というのは個人が決めることだと思います。自分のために、家族のために、恋人のために、会社のために、日本のために、国のために、そして地球のために。
修行は信仰と同様、愛や慈悲心を持ち、自己の魂に光りを持つため行うことと考えます。
その光を得たのなら、修行や信仰はさほど意味を持ちません。私、修行というものは大きな重荷と思っていますので、とうの昔に捨て去りました。
また悟りというのは遠い所にあるのではなく、すぐ目の前にあるものだと思いますし、それをひたすら見て、そして理解することだと思います。一般の宗教的な修行は、悟りを得る方法としては、随分遠回りしているものと考えます。
2007/6/12(火) 午前 7:40
お答え頂き、ありがとうございます!
そうですね! 何の為に生きても良いのですね!
「修行の為」と考えて生活するのは、堅苦しくて、息が詰まりそうです(笑)
きっと、私のような凡人は「悟り」を得ようと頭で考えるので
そのように遠回りしてしまうのだと思います!(笑)
2007/6/12(火) 午後 11:54 [ カッキー ]