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今金町に来て、4年8ヶ月。
正直、何も無い町だな〜と最初は不満がありました。
でも暮らしていると、自然がたくさんあり、食べ物がおいしくて
今では引越しするのが寂しいです。
旦那の転勤先が先日分かり、早速引越し作業中ですが、なかなか進みません。
30日に引越しです・・。間に合うのかな・・?
今金のお米を、引越し先に持っていきます。
今金町でのたくさんの思い出を胸に、30日に引越しです。
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旦那の帰りが毎日遅いです(´・_・`)
9時が当たり前で、最近10時って事もありました。
それから晩ご飯。
私も一緒に晩ご飯・・。
でも遅すぎて、お腹がすくから4時くらいにおやつをつまみ、10時に普通にご飯。
デブります(´・_・`)
土日に出張なども重なり、一人な事も度々ありました。
そんな夜は、お弁当を割引で買ってきて一人宴会(*´∀`*)
おやつも用意して、好きなジュースを飲んで、夜更かしして・・・
結局デブります(´・_・`)
で、旦那が私に悪いと思ってか、食事に連れて行ってくれたりします(*´∀`*)
お肉が分かりにくいですが、豚の角煮定食です。
きたひやまを通った時、元駅前の居酒屋さんに寄りました。
たしか980円?だったはず。
お肉が柔らかくて、脂の部分がトロ〜っと美味しい♪
そして誕生日も旦那は仕事へ・・
夕方帰ってきてから今金町内の「田なか」さんへ
久しぶりの天ぷら(*´∀`*)
サクッ・カラッと美味しかった(たしか1200円?)
エビが2本あった〜(*´∀`*)
ご飯が大盛り!!
手作り?のお漬物、美味しくて旦那の分も食べちゃった♪
結局・・・今年も痩せてない(´・_・`)
今週末には息子が冬休みで帰ってくるので、少しだけ私も忙しくなるかも(^^)
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久しぶりの更新です。
天気が良い時は、義実家へ行き来年の「ミミヅリ」の為に、ピン刺しを頑張っていました。
10月2日もいつもの様に実家で手伝いをして昼過ぎに帰ってきてのんびりしていると
普段は鳴らない家の電話が鳴りました。
ラグビーの顧問の先生からで、「新人戦の最中、相手選手とぶつかって鎖骨骨折しました」
突然の事でビックリして、ただ先生の話をボーゼンと聞いていると
救急車で試合途中運ばれたそうで、頭も打っているらしく心配でしたが
病院には到着しているので、検査結果の連絡を待つことに・・・。
30分後、「結果はまだ出ないけど、函館まで来てもらえますか?」と先生から。
旦那に連絡して、帰ってきてもらい急いで函館に向かいました。
途中先生から、「固定器具をつけて、骨がつくのを待つ事になりました。病院を出て寮に向います」
と連絡が入ったので、直接寮へ行きました。
先生と会って話を聞くと、骨は4〜5ヶ月このまま固定器具をつけて様子を見るのと
頭も打っていて、その時に脳震盪も起こしたと聞き、更に同じことを何度も言うらしく
私も一緒にいて息子が「片目のコンタクトがない」と3〜4回言っているのを聞き
相当やばいんじゃないのか・・・と不安になりました。
脳震盪では良くある事らしいのですが、やはり心配なので旦那が次の日も休んで
脳神経外科と紹介状をもらった整形外科に行きました。
脳はMRIで詳しく診てもらいましたが、問題はありませんでした。
試合当日の朝からの記憶は完全に無く、思い出すことも出来ない様ですが、
ぶつかった瞬間の怖いとか痛いとかの記憶もないので、本人には良いかも。
鎖骨骨折の方は、紹介状の病院では手術をした方がちゃんと骨がつくと言われ
成長期に曲がって骨がついてしまうのも怖いので、鎖骨骨折部分にプレート固定してもらう事にしました。
私はかなり動揺もしてしまって、先生の説明を聞いても把握できず質問も上手くできず
旦那は高校時代ラグビーをやっていたので、鎖骨骨折は良くある事らしく落ち着いていて
入院についての質問や、入院の書類関係やら全部やってくれました。
手術は全身麻酔になる為、4日に入院して麻酔の説明を聞き、5日午後に手術を行いました。
約2時間で手術は終わり、麻酔から目が覚めると「お腹すいた」と言ったので
今の手術って体にあまり負担がないんだな〜と思いました。
夜ご飯も完食して、7日には歩いて1Fの売店まで行ったので回復も早いです。
11日、明日退院なので函館行ってきます!
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ブログに訪問してくださった方、ご心配おかけしたと思います。
少しづつですが、心も体も元気になってきています。
4月・5月はどう過ごしていたか、自分でも振り返りたくない気持ちのせいかあまり記憶にありません。
それでも義両親のおかげで前を向ける様になりました。
3月から始まっている「ミミヅリ」を今回はお休みさせてもらおうと思っていましたが
色々と心配をかけている義両親の為にも、自分の体調や心の調子の良い時に手伝いに行く様になりました。
寒いのを義母が心配して、5月中から徐々に行き始めましたが
軽い対人恐怖症(?)になっていたので、初日は辛かったです。
たぶん、みんなに気を使わせていたと思います。
でも外に出る様になって、普通に生活出来るって幸せな事だなって思いました。
寂しさも、悲しさ、涙もずっと続く訳では無いですね。
色んな気持ちを自分なりにちゃんと受け止めて、周りの人の優しさも感じて
夫婦仲良く暮らしている方がまめたんも嬉しいと思って、一歩踏み出しています。
お兄ちゃんは慣れない寮生活で、最初の頃は相当辛かったと思いますが
きっと私たちに心配かけない様にとメール・電話は来ませんでした。
部活も色々迷って「ラグビー」にしました。
細い体で怪我とか心配ですが、意外に息子は楽しいらしいです。
こうして普通に生活しているのを、まめたんは天国で見守ってくれていると思います。
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息子を産んだ時は看護師さんや先生が、生まれる瞬間まで「頑張って!もうすぐだよ」なんて声をかけてくれたのに
分娩室は私のいきむ声だけ・・でも絶対痛いなんて言わないと決めていました。
赤ちゃんだって苦しくて痛いんだから、私は上手に産んであげたいと思っていました。
産まれた瞬間、先生が取り上げ看護師さんにすぐ渡しました。
私「男の子ですか?女の子ですか?」
先生「今の状態では分からないから、後でお話ししますね」
それだけ聞いて私は号泣・・。胎盤の処置も終わり、血圧や体温を計りながら
看護師さんが肩をそっと撫でてくれてました。
旦那も入ってきてくれて、二人で泣きながら早く赤ちゃんを抱っこしたいねと話しました。
病室に戻った後、先生が来てくれて「赤ちゃんは女の子でした。産まれた時に呼吸は無く死産です」と告げられ
旦那と息子が望んでいた「女の子」と聞き、また泣いて・・
その後小さな・小さな手のひら位の赤ちゃんを連れてきてくれました。
かわいい口は少し開いていて、小さな指にはちゃんと爪もあって、足だってふっくらとお肉がついていて・・
今も目を閉じると思い出すかわいい寝顔・・。
旦那と息子と私・・みんな泣きながら抱っこしました。小さくて600gしかなかった赤ちゃん。
義両親、私の母・姉も来てくれて、抱っこしてくれました。
命名「まめこ」
お腹にいる時から「まめたん」って呼んでいたので・・。
その日に義両親がまめたんに、沢山のおもちゃ・肌着・セレモニードレス・おくるみ・ピンクのリュック・
お菓子・ミルク・くまさん・ウサギさんのぬいぐるみを買ってきてくれて、4月2日に火葬の手配もしてくれました。
棺も病院の用意してくれる物を使うつもりでしたが、旦那が真っ白で中にピンクのパラの付いた棺を
見つけて用意してくれて、お骨も残る様に火葬してくれる所に電話してくれて
ピンクのかわいいお骨入れを用意してくれました。
綺麗なお花やリースも用意してくれました。
その夜旦那が付き添ってくれて、一緒の部屋に泊まりましたが
目が覚めて旦那の寝ている方を見ると、おくるみを抱きながら泣いていました。
「こうして抱いてやりたかった・・」と・・
4月2日、朝に最後のお見送りをしたくて先生に外出許可をお願いしました。
血液検査の結果が悪いので、本当は許されないはずですが許可してもらいました。
義両親・次男・三男も来てくれて、みんなでお見送りしてくれました。
旦那と義母が「ピンクのリュック背負って、忘れ物取りに天国に急いで帰ってる」
「また来てくれる」って慰めてくれました。
42歳でまたママのお腹にまめたん来てくれるかな?
また来てくれたら今度こそ絶対苦しい思いはさせないね。
そしてまた全部、同じ物用意して抱っこするね。
お兄ちゃんも4月4日に入学式で、私は何もしてあげれなかったけど義両親が全部用意してくれました。
義両親・北見から駆けつけてくれた母・姉、悲しい思いをさせた分これからは心配させない様に
夫婦で頑張っていくね。 まめこも見守っていてね。
これから赤ちゃんを産む予定のママ・パパ、元気な赤ちゃんが産まれる様に心から祈っています。
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