私の中で超激熱。そう、コンクリート船です(^^♪
日本では現在のところ残存するのは山口県の笠戸島に一隻
そして広島県呉市音戸の瀬戸に一隻、安浦に2隻残存しています。あとは硫黄島に米軍のものが放置されていますね。
今回はそのためだけに自転車で来たんですよ、バカですね(笑)
まずは音戸の瀬戸にある漁港で防波堤として残されているコンクリート船です。
これは防波堤の手前にある「防波堤建設記念碑」近くには戦艦日向、戦艦伊勢サルベージの際の慰霊碑もありました・・・。
そしてこれが防波堤となったコンクリート船。正式には「被曳航油槽船」
山口県笠戸島にあるものと同型で、動力を持たず、曳航し運用しました。
全長52m、幅5.8m
船首部分は鉄で強化されています。戦争中、鉄が不足しコンクリートで船が作られました。日本だけでなく、各国で作られたんですよ。
海中の船体部分です。航海中は船体は船首を残し水中にあり、その中に燃料を入れていたそうですが、使われることはほとんどなく、過去の航空写真では笠戸島に数隻が浜辺に停泊している写真があります。
マンホールみたいなものは給油口です。有名な武智丸同様に武智造船所で作られました。武智造船所は兵庫県高砂市の天川にあり、現在は播磨マリーナになってます。
右側は建設後船体の上に盛られたコンクリートですが、左側の階段の下は船体です。
どこか昔の潜水艦のような船体ですね
当たり前ですがコンクリートでした。まぁさすがに鉄筋は入れていたようですね
ゴミが詰め込まれてました(;^ω^)
呉駅を出て自転車で寄り道しながら2時間かけて
武智丸です。こちらは第1武智丸艦首。同型4隻がありましたが、第3武智丸は触雷沈没、第4武智丸は終戦後完成しましたが神戸沖で台風により座礁、解体されました。
船倉部分ですが右舷側に傾き満潮時は海面下となります。
船体は2E型戦時標準船と同じような船体で建造され海軍に引き渡された後、瀬戸内海を中心に南方へも輸送任務に就きました。
ちょうど船橋があった場所です。台風のたびに漁船などが被害にあっていた漁港を守るために予算の都合上、廃船となった武智丸を防波堤にすることとなりました。
海底を粗朶を敷き置換砂を敷き詰め、2隻を並べたのちスクリューシャフトを抜いて船体に穴をあけ船体を沈めました。
1950年当時は上構部分はあったのですが朝鮮戦争の際に鉄が不足しそのたびに持ち出されていったそうです。
第2武智丸の船内はな〜〜〜んもありません。
ただ本当に足元に気を付けないと落ちて死にます(笑)
第2武智丸は甲板に降りることができます。右の白いのは貝殻です( *´艸`)
保存状態もよく、大戦中第2武智丸は触雷していますが軽微な損傷で済んだほど、コンクリートといえど強靭な船体だったようです
第2武智丸の船首です。こんな今の人絶対興味持たない者数時間かけて見に行くんですから私はそうとう古い人間になってしまったんでしょうね(笑)
錆びてはいるものの昔と全く変わらない美しさを保ったままの船首です!!
もしかしてまだ少し動いてるのではないかと思わせる跡ですね(;^ω^)
70年以上前のお船をこうしてみることができるのも安浦の皆様の尽力のおかげなのだと実感しました。
夕暮れでしたが、また自転車で広島駅に戻る時間も体力も気力もなかったので自転車を解体、電車で帰りました(-_-;)
以上でコンクリート船終了です。