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YAMATOのブログ
長らくのご愛顧ありがとうございました。

書庫平成27年度山口・九州遠征

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知覧特攻平和記念会館

おはようございます!!なんか今日から暖かくなるそうで、大阪の桜の開花予報が3月26日だそうです!!が。。。。そのころにはもう、、、いない、、、大阪に(´・_・`)

イベント情報ですが3月6日に阪神基地で掃海艇「なおしま」と掃海艦「やえやま」が一般公開しているそうです( ゚Д゚)その様子を海から眺めておきます・・・。
10時から14時半までの受付ですので、お早めに〜(*´▽`*)陸自装備も展示しているそうですが、らしいですね(笑)やっぱり晴れ男が行かなきゃいけないのかなぁ(照

さて、今日は鹿児島県、2007年に南九州市に合併した知覧町に行ってきました!
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九州各地から飛び立った陸軍の特攻隊員1036名の数を超す灯篭が一帯にあります。

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映画「僕は君のためにこそ死にに行く」に使用された1式戦闘機「隼」の再現模型です。

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自分もこの映画で知覧を知り、特攻を知りました。。。

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中学生だったときから行きたかった場所です。

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もちろんエンジンなどは搭載されていない模型ですが、1式戦闘機「隼」の性能は
全長8.9m、最大速度は後期型で548㎞/h、武装は機首に12.7㎜機銃2門、特攻時は右翼に250kg爆弾、左翼に同重量の燃料タンクを搭載していました。

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特攻で使用された機体は陸軍97式戦闘機、1式戦闘機、飛燕や疾風も使用されました。

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乗り組んだのは17歳から20歳代の前途ある若者でした。

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こちらは航空自衛隊防府北基地で使用されていた練習機T-3です。
実はこの機体、射出座席が付いていないためパラシュートを使った脱出はキャノピーを開き翼の端っこまで走ってジャンプ!!!もしくは背面飛行をして重力で脱出するそうです(^▽^;)まぁ喪失することはありませんでしたので、この脱出方法を実践する人はいなかったようです・・・。さてあなたなら、飛行中の飛行機の翼を走ることができますか?(笑)私は絶対できません(;´・ω・)

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こちらの像は特攻の母と言われた鳥濱トメさん。富屋食堂の経営者で若い隊員たちからはお母さんと呼ばれ親しまれていたそうです・・・。1992年に亡くなられています。

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この像の向く方向は多くの特攻隊員が出撃後通った開聞岳、並びに多くの方々が散った沖縄に向けられています。

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ここに一枚の有名な写真があります。この写真が撮影されたのは知覧から少し離れた万世基地です。第72振武隊のうちの5名、前列左から早川勉伍長、荒木幸雄伍長、千田孝正伍長、後列左から高橋要伍長、高橋峯好伍長です。前列の左右早川伍長、千田伍長は18歳、後の3人は17歳の青年でした。1945年5月27日、全員散華されました。自分は今彼らとほぼ同い年の18です。時代は違えど同じ日本の若者です。
だから何?って思う人たちもいるかもしれませんが、決して同情しろ、なんて思いません。ただ、この人達のおかげで今の日本があり、今の人はそれを忘れようとしている、そんな人たちのことを覚えておいて欲しい。そう思います。

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横に特攻で亡くなられた方々を祀った特攻平和観音堂があります。

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観音堂の横には復元された、当時特攻隊員が特攻の日まで宿泊していた三角隊舎があります。ここで各地から集まった隊員が数日間を過ごし、中で宴会をしたり遺書を書いたりしていました。

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中には航空機の破片も展示されています。
当時、偽装の為屋根に草木をかぶせ、林の中につくられていたため通気性も悪くジメジメした空気だったそうです。

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決していい環境ではありませんでしたが、ここで数泊し、南の空に散華されました。

ここを回った後平和会館に行きましたが、平和会館内は写真撮影が禁止の為写真はありません。遺書、半分に割れた零戦、隼(飛燕がありましたが岐阜に里帰り中です)、疾風(はやて)、遺影、遺品を見学し合計で4時間ぐらいいましたが、それでも足りないぐらいの量でした。

入口から左右にずらりと並んだ遺影を一つずつ見ていくと、17歳、18歳、19歳と、まだ同い年ぐらいの青年の遺影も多くありました。見学者の方々も高齢者だけでなく若い方の姿もあり、ヤンチャそうな少年5人ぐらいが1人の少年の祖父?を探す姿もありました。遺書には「空母撃沈」など勇ましい言葉が並ぶも、中には家族を心配する遺書もあり、両親兄弟を残す心苦しさが伝わります。自分の親も同じなのですが、いくら息子が「自分が死んでも泣かず喜んでください」と遺書に書いてあっても残された両親は心の底から喜べなかったと思います。そうであってもそれを書けない時代だったのだと感じました・・・。韓国人の特攻戦死者もいて、ツアーで来ている韓国人旅行者達もいました。ここでは政治的ややこしさは置いといて、特攻や戦争で亡くなったり傷ついた人達に哀悼の意を表する場所です。

戦争を知らない若者だからこそぜひ訪れたい場所でした。まだ訪れていない方も、行ってみてください。
人々が二度とこんな戦争に巻き込まれないように、国を守る使命を負って海上自衛隊に入隊する覚悟がまた一段と増えた場所でもありました。

写真が少なく申し訳ありませんが、これは自分の目で確かめてください。もし滞在に日があるなら、鹿屋、万世にも記念館があるので是非訪れてください。

次は〜
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です。いや〜将来教育を受けることができることを祈って(笑)

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