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『出版警察報』(27号111頁)によれば、1930(S05) 年11月15日禁止。
禁止理由は
 
国軍の存立を破壊し、反軍思想の宣伝及び在支那人の国辱的行為の暴露、支那土人に対する日本資本主義の残虐行為、日本帝国主義の支那に対する搾取侵略の暴露等々は国交上其他に於ても面白からざる影響を与ふるものと認められたるに因る。(原文は漢字カナ文。正字は新字にした)
 
とされている。「反軍思想」のほか、「在支那人の国辱的行為」、「支那土人に対する日本資本主義の残虐行為」、「日本帝国主義の支那に対する搾取侵略」を「暴露」したことが問題にされたのである。具体的には次の二箇所が禁止相当箇所として引用されている。
 
兵士達には部署がきめられた。部隊は別れ別れになった。一部は、 蛋粉 ( たんぷん ) 工場へ向けられた。(中略)ペテンにひっかゝったように、 憤 ( いきどお ) ろしく、意外に感じなかっただろうか?〔16章〕
 
「俺等は、何のためにここへ来とるんだね?――折角やって来て、自分の肉親さえ、保護することも見ることも出来ねえって、……(中略)工場を守らす以外に、どこに理由が見出されるかね。」〔31章〕

 
なお、本書はすぐに改訂版が発行されたが、『出版警察報』(28号78頁)によれば、12月5日に発禁にされている。小田切秀雄による『黒島伝治全集』第3巻の「解説」は「改訂版が出たらしいがほとんど流布せず」(p407)としていて不正確である。
 
著作権:水沢不二夫

分割還付の開始

内務省警保局図書課による分割還付の開始
 
一九二七年(昭和二)八月一八日公示
一九二七年(昭和二)九月 一 日施行
 
出版法による出版物は出版法三〇条によって分割還付が実施されることになったが、新聞紙法による雑誌も便宜的に実施されることになった。
 
新聞紙法による雑誌は発行と同時の納本でよかったが、それ以前の納本も広く行なわれていた。
 
公式の分割還付1号は、屆出上は一九二七年(昭和二)九月一日を発行日とし、一九二七年(昭和二)八月一八日に納本された新聞紙法による雑誌「改造」であった。
 
しかし、一九二七年(昭和二)以前にも分割還付の記録らしきものがある。
中泉 春夫 一九二七(昭二)年度『出版年鑑』は、次のように記録する。
 
(引用開始)
「解放」創刊号コント四編のうちの一編『蕎麥屋の女』(伊藤 貌麒波売禁止さる、右は従来の何々何号は発売を禁止すとの例を破り、「蕎麥屋の女」二頁の記事は之を禁止すと命令し、其の部分切取り発売を許した。これは一新例と云ふべきもの。
(引用終了)
 
「解放」は第二次『解放』十月号のp75-76。1925年(T14)09月20日印刷納本・10月01日発行のもの。
伊藤,痢峩杖硫阿僚」は思いがけず佳作。
わからないのは押収の有無。発売頒布禁止処分の決定と同時に押収がなされた筈なのだが、中泉の記述は押収はせずに命令したかのようにも読める。
もし、押収が行なわれていなければ、「還付」とは言い難いが、印刷しただけで発売や頒布の予定のないと主張されるものまでも押收されていたから、押収は行なわれた筈である。
上記の号についても中泉 春夫 一九二八(昭三)年度『出版年鑑』には
「禁止部分削除発行の許可」と記されているので、そのように言っておくのも無難であろうが、
『日本新聞年鑑』(昭和3年版)は「分轄還付実施」(p11)と明言している。

 
内閲(内検閲)に関する資料イメージ 1
 
震災後の内務省新庁舎を見ると「受検閲控室」というのが設けられている。ここで内閲を待つこともあったであろう。

  生悦住求馬・門叶宗雄・鈴木琢二・石井栄三・久山秀雄・萩田保「新聞・図書検閲事務の実際」一九六七(昭四二)年十二月十四日『大霞会所蔵内政関係者談話速記録』『大霞会所蔵内政関係者談話速記録』大霞会
p32
○生悦住求馬(いけずみもとめ) 内閲制度というものがあったのです。ゲラ刷り原稿、検閲前に活字にしてゲラ刷りにして持ってくれば、便宜をはかって損害を軽減するために事前に見て、それで悪いところを赤線を引っ張って返してやる。それで一方をこっちに止めて置いて、いよいよ本物を納本してきたときに、それと対照して検閲する。
○萩田 いつごろから?
○生悦住 これは私は大正時代にやったのだけれども、相当古くからあったのです。

「土屋正三氏談話速記録」一九六七(昭四二)年十二月五日『内政史研究資料』59
p54
○ 土屋 それはありました。それは前にはなかったことなんです。これも山岡さんの発案でしてね。それで、「どうせあとで迷惑をするのも気の毒だから内閲ということをやってくれ。」ということで、原稿で見て、「これはいけない。」と思えば注意してやるのが親切でよかろうということでしたが、そんなことをされると図書課の人間は忙しくなってたまったものではないので、「それは局長困りますよ。」と言ったのですが、「そう言わんでやってくれ。」ということで、それでやりましたね。それでよく見て、よく白紙で出ていることがありましょう、あれが内閲で削られたものです。内閲のほうがどうしても厳しくなるのです。出してしまったものを押えるという時にはやはり人情がはいりますから大ていのことは我慢するが、内閲ですとその点は自由ですから、「ここはどうも危ないでしょう。」と言いますと向うでみんな消してしまいますから、したがって内閲したほうが激しいのではないですか。
○ 石田(雄) それは、実際に持って来たのは総合雑誌とかそういうものですか。
○ 土屋 そうですね。雑誌もあるし単行本あるし、雑誌が多いでしょうね。「中央公論」と「改造」とかね。
○ 赤木(須留喜) それは向うが持って来るのですか、指示して持って来させるのですか。
○ 土屋 それは向うが持ってくるのです。ひっかかると危ないですから。
p55
○ 石田(雄) そうすると、生っ粋の左翼のほうは必ずしも持って来ないわけですね。
○ 土屋 それはもちろん敵ですからね。(笑い)商売人が左翼の学者の論文を貰っても、これを載っけて押えられると損害だからというので、それで事前に来るわけです。
○ 伊藤(隆) それはしかし出版社へこういう制度があるということを知らせなけれはわかりませんね。
○ 土屋 それはもちろん警視庁から知らせてあります。つまり、「今度はこういうことになったから、危ないと思ったら持って行って見て貰え。」と言って教えてやるわけです。
○ 伊藤 それは原稿の段階でですか。ゲラでなくて
○ 土屋 概ね原稿ですが、時にはゲラで持って来る場合もあり、いろいろでした。とにかく出来上がったものではない。
 
※「山岡さんの発案」というのは誤認。

立花 高四郎 (警視庁検閲係長)『これ以上は禁止―ある検閲係長の手記―』先進社一九三二年(昭七)五月五日
p135
危険だと思ふ出版物を出した場合に、出版業者は、納本用だけ印刷してあとは印刷中止、形勢観望をきめることが流行して居る。内閲をして呉れないから、考へついたことだと云つて居るが、
 
※ 内閲廃止後も、このような実質的な内閲をさせる方法があった。

 

内務省官僚の宇野慎三(うの・しんぞう)の経歴

1890年(M23)12月:新潟市に生まれる。
新潟中学、第一高等学校を経て帝国大学法科大学政治学科に進む。
卒業と同時に官界に入り、東京府属兼内務省属となる。
新潟県理事官、内務省警保局事務官、内務省書記官と累進した。
(上記は『仏蘭西警察制度』に拠る。)


1918年(T07)05月01日現在:内務省地方局属。 上記「東京府属兼内務省属」はこの時か。
住所:赤坂青山南六一〇八 電話:芝七〇六五
1920年(T09) 05月01日現在:内務省警保局事務官。従七位。六等六級
住所:赤坂区青山南六一〇八 電話:芝七〇六五
1921年(T10)07月01日現在:内務省警保局事務官。正七位。六等七級
住所:牛込区市ヶ谷仲之町四一 電話:〓五〇四八 
1922年(T11)07月01日:内務省警保局事務官。正七位。六等六級(?)
1922年(T11)12月20日:『出版物法論』巌松堂書店、印刷納本
1922年(T11)12月23日:『出版物法論』巌松堂書店、発行
1923年(T12)05月15日:『出版物法論』巌松堂書店、再版印刷納本
1923年(T12)05月20日:『出版物法論』巌松堂書店、再版発行
1923年(T12)07月01日現在:内務省警保局事務官。図書課課長。従六位。五等五級
住所:豊多摩郡淀橋町角筈三一九
1924年(T13)07月01日現在:内務省警保局事務官。図書課課長。従六位。五等四級
住所:麹町区道三町二 官舍  電話:牛込五九一六
1925年(T14)01月01日現在:内務省警保局書記官。図書課課長。従六位。四等四級
住所:麹町区道三町二 官舍  電話:牛込五九一六
1925年(T14)07月01日現在:内務省警保局書記官。図書課課長。正六位。四等三級
1925年(T14):図書課課長在任のまま欧米出張中。
北米紐育(ニューヨーク)市に開催の「万国警察会議」に出席の後、欧州を視察。病を得て、帰朝後は専ら療養。
1926年(T15)01月01日現在:図書課課長職は別人(平田紀一)
1926年(T15)07月01日現在:内務省警保局書記官。正六位。四等三級
1927年(S02)01月01日現在:内務省警保局書記官。正六位。四等三級
同月:井上哲次郎『我が国体と国民道徳』発禁。初版は宇野が図書課課長であった1925年(T14)09月であった。井上哲次郎は貴族院議員を辞し、松村義一警保局長、平田紀一図書課長、課員が処分されたという。しかし、松村義一局長は翌1928(S03) 年には貴族院議員に勅選されているから、処分は配属変えなどの形式的なものであったろう。宇野に処分があっても同樣であったろう。
1927年(S02)05月13日:千駄ヶ谷の自宅で没。享年三十八。
同日:陞叙。
1928年(S03)09月01日:『仏蘭西警察制度』巌松堂書店、印刷納本。
1928年(S03)09月05日:『仏蘭西警察制度』巌松堂書店、発行。

MOJ76-2-29「文芸日本」

【発行】文学と美術社
【出版地】東京市麹町区一番町一五元園会館。
【編輯人・発行人】牧野吉晴。
一九三九(昭和一四)年五月五日発行。
創刊号の予告見本号。
四月三〇日印刷納本。
五月六日、安寧。削除。処分対象は牧野吉晴「事変夜話」。

p15の牧野吉晴「事変夜話」の「悪いことだが妾はあの人が戦死すれば好いと思ふ。さうしたらその時にこそ妾は本当にお国の為のお嫁さんになつて一生あの人の位牌と暮すのだが」に二重線と「○」。

創刊号が国会図書館にあるが、予告されている佐藤春夫の随筆の掲載はない。牧野吉晴「事変夜話」は全文削除されている。林房雄「文学論」は「釣物語」に変更。

「○」は検閲担当者による削除処分の判断・意見の記号。

http://www.geocities.jp/kafuka196402/

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