あらせぶ

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各分野の著名人が語るという「おやじのせなか」の記事が1992年から朝日新聞で掲載開始されて現在も連載されています。この中から話題性のあるものを取り上げてみていきます。皆さんが経験された「おやじのせなか」はどんなものだったでしょうか?また御自分の「おやじのせなか」はこれまでどんなもので、今後はどういうものになっていくのでしょうか?
 
アスリートシリーズで吉松育美さんに引き続き、中本健太郎(なかもと・けんたろう)さんにご登場いただきましょう。
中本健太郎さんは1982年生まれ。山口県菊川町(現下関市)出身。山口県立西市高等学校から拓殖大学卒業。高校時代は全国レベルの選手ではなく、拓大時代は箱根駅伝で7区走者で出場(16位)。安川電機に入社後にマラソン選手に転向。2011年びわ湖毎日マラソン4位で世界陸上大邱大会男子マラソン代表に選出された。昨年のロンドン五輪で6位、今年の世界陸上でも5位と連続入賞し、いずれも日本男子の最高成績。
                                (中本健太郎さん 
イメージ 1(106) 中本健太郎さん  黙々と努力する先輩ランナー
 
父も実業団のマラソンランナーでした。現役選手の気持ちを、よく分かっているからなんでしょう。親子で陸上の話は、ほとんどしません。僕が五輪や世界選手権の代表に決まっても「楽しく走れ」と言われるぐらい。それでも、弱音を吐かずに黙々と努力をする姿勢は、父から学びました。
 父は、決して好成績を残した選手ではありません。引退してからも市民ランナーとして走り続けています。時間を見つけては、本当にコツコツ練習していた。40歳ぐらいのときに、シティマラソン福岡で表彰台に上がったことがありました。子ども心に、胸が震えたのを覚えています。
 僕自身も、すごい選手ではない。陸上を始めたのは高校からで、大きな大会に出たことはなく、拓殖大学4年で箱根駅伝を走ったときは7区で16位。安川電機に入社後も、3年間は挫折ばかりで目の前に引退がちらついていました。
 転機になったのが2008年2月の初マラソン。チームメートの代役で出場が決まり、「もしかしたら最後になるかも」と覚悟を決めて走りました。2時間13分54秒の3位でゴールしたら、父がこっそり立っていた。「応援には行けない」と言っていたのに、僕が切羽詰まっていたのを知っていたんですね。
 そこから少しずつ記録が伸び、30歳にして2時間8分35秒の自己ベストが出ました。ここまで続けて来られたのは、ずば抜けた才能がなかったからだと思います。努力するしかなく、結果が出れば、まだ成長できると夢を持つことができた。枠にはめることなく「自分のしたいことをしろ」と、励ましてくれた父に感謝しています。
 昨年息子が生まれ、父の気持ちが分かるようになりました。自分を支えてくれる大切なものを守っていかなければならない。できたら息子の記憶に残るぐらいまで現役を続けたい。
 引退したら、父と市民レースで勝負です。一度、高校生のときに一緒に走ったのですが、そのときは負けているので。
  
朝日新聞 201399日)
 
mont-livre

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30歳になってやっと目が出るというのも珍しいし、いくつになってもあきらめるなということですね。

KAZUSAGA

2014/3/30(日) 午前 10:45 [ あらせぶ ] 返信する

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中本選手は北九州の選手でもあり、注目していました。
マスコミもあまり騒がない、控えめな選手です。
実績も残しておりますので、頑張って次のオリンピックでメダルと期待しております。

2014/3/31(月) 午前 8:07 [ 何時も好奇心 ] 返信する

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