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学校に行かない11歳の哲学者・中島芭旺くんの名言が深すぎる…
学校に行かない11歳の哲学者・中島芭旺くん中島芭旺(ばお)くんをご存知でしょうか。
11歳の男の子です。
この男の子が初めて書いた本がベストセラーとなって、 その大人顔負けの言葉に「深すぎる」と絶賛され、 大注目を集めています。 ネットでつぶやく言葉が「深すぎる…」と話題沸騰したことから
「小さなからだの哲学者」と呼ばれています。 ・・・続きは👇
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心の指針
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〓魂は生き続ける〓
2013年9月25日: ロシアの物理学者、コンスタンチン・コロトコフ教授は、男性が他界する瞬間に特殊(バイオエレクトログラフィック)カメラのシャッターを押し、幽体離脱、つまり霊魂が肉体から離れていく様子を写し出すことに成功しました。
進化したキルリアン写真術のガス放電可視化法により、霊魂(生命体)が肉体から徐々に離脱していく様子を撮影することができました。
コロトコフ教授によると、最初にヘソと頭部から魂が離れて行き、最後に股間と心臓から霊が離れ、完全離脱した霊魂は無限の幻想世界にふわふわと浮いて行くとのことです。
キルリアン写真(キルリアンしゃしん、Kirlian photography)とは、対象物に高周波・高電圧を掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のこと。
撮影時には、周波数 3 kHz 前後・電圧 30 kV 以上が用いられる。 対象物から発散する水蒸気の電離・発光現象を撮影するため、撮影対象物は水分を帯びた物体であれば生体・非生体を問わない(握り締めることにより、僅かな汗を帯びたコインでも像を得られる)。
また、真空中では水蒸気が速やかに拡散するため、像を得ることが出来ない。
肉体の死後も魂は生き続け、宇宙に還ることを科学者が認める
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人は無意識的に自分の欲求や都合を正当化します。 厄介なことですが、人はそのことに気付きません。 それにしても、「あなたの考えはおかしいのだから、私の正しい考えに従いなさい。私の考えに合わせなさい」と言われれば腹が立ちます。 「私はこう思うんだけど、協力してもらえないだろうか」と言われれば、素直に協力できます。 「あなたの言動にみんなが困っている。やめてくれないか」と言われれば腹が立ちます。 しかし、「そんなことをされると私が困るんです。なんとかしてくれませんか」と頼まれれば、「そうでしたか。すみません。気が付きませんでした」と素直に謝ることが出来ます。 仏教では、人は欲や怒りや愚痴の煩悩の塊であるとされています。 自分の都合や自分の欲をはなれて物事を考えることが出来る人はいないとされています。 そこで、「間違っているのは相手である。自分は正しい」と主張するのは、自分の欲求や都合を押し付けようとしているのではないのだろうか。 そんな反省ができれば怒りも和らぎます。 怒りが和らげば、相手と丁寧に接することが出来ます。 頭ごなしに「お前は間違っている」と言われても、「本当に自分が間違っているのだろうか。相手の都合に合わなかっただけのことではないのだろうか」と考えることができれば、より正確な状況を把握できます。 人は心で思っていることをそのまましゃべっている訳ではない。 心と口は各々異なる。 そう言わずにはおられなかった言葉の裏にある自分の心を観ていきなさい。 釈迦は私たちにそんなことを教えてくれます。 |
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『ありがとう』
「ありがとう」は「有難う」です。
仏教由来の言葉です。
ある日のこと、釈迦が弟子の阿難に尋ねます。
「お前は人間に生まれたことをどう思っているのか」
阿難は答えます。「はい、大変よろこんでおります」 「では、どれくらい喜んでいるのか」と重ねて釈迦が尋ねると、阿難は答えに窮します。 そこで、釈迦は「盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)」 として知られる譬え話をします。 果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。 その亀は100年に1度海面に顔を出す。 広い海には1本の丸太が浮いている。 その丸太の真ん中に小さな穴が開いている。 丸太は風のまにまに波のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っている。 「阿難よ。 100年に1度浮かびあがるという目の見えない亀が、浮かび上がった拍子に丸太の穴に頭を入れることが有ると思うか」 阿難は驚いて、答えます。 「そんなことはとても考えられません」 「絶対にないと言い切れるのか」と釈迦が念を押します。 「何億年×何億年、何兆年×何兆年の間には頭を入れることがあるかもしれませんが、ないと言っても良いくらい難しいことです」と阿難が答えます。 「ところが、阿難よ。 私たちが人間に生まれることは、その亀が丸太の穴に首を入れることが有るよりも難しいことなのだ。 有難いことなのだ」と釈迦は教えます。 有難いとは有ることが難しい。 めったにないということ。 人間に生まれるということは、この亀が丸太の穴に首を入れることが有るよりも有ることが難しい。 有り難いことだと言っています。 地球上にどれだけの生物が存在するでしょうか。 約150万種類と言われています。 マンボウは1匹から3億個の卵が産まれるとか。 そうであれば、地球上に存在する生物の数は天文学的です。 2017年現在、人間は地球上に73億人超と言われていますが、生物全体からみれば、ほんの一部です。 他の生物に生まれず、人間に生まれることの難しさは気が遠くなるほど有り難いことです。 ところが、生まれ難く、有り難い人間に生まれても、 「何で生まれて来たのだろう」 「人間にさえ生まれなければ、こんなに苦しまなくてよかったのに・・・」 とか、生まれてきたことを恨むことさえあります。 生まれ難い人間に生まれても、生まれたことを喜べない。 何のために人間に生まれてきたのか。 何のために生きているのか。 苦しくとも生きなければならないのは何故か。 生きる目的がわからないからだと言われます。 生きる目的を知らされ、生きる意味を知らされた時、生まれ難い人間に生まれることが出来て良かったと感じることができる。 「人身受け難し 今已に受く」の釈迦の言葉は「生まれ難い人間に生まれることが出来て本当に良かった」という喜びの言葉として知られています。 「ありがとう」という言葉には、人間に生まれることが如何に有難いことなのか、人間に生まれることは極めて幸せなことなのだという釈迦のメッセージが込められていると言われます。 |





