越後上杉毘沙門堂

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【上条(じょうじょう)城】越後下剋上“上条の乱”の中枢舞台にして、上杉謙信公三番目の養子≪上条政繁≫の居城

2009.02.22 越後下克上では、謙信公の父君の宿敵≪上条定憲≫が居城した【上条城】
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上条(じょうじょう)城は、越後守護「上杉房方」の子、「上杉清方」が【上条城】に在して

上条上杉を称したのが始まりで、主な城主は、「上条定憲(じょうじょうさだのり)」です。

「上条定憲」の兄弟(弟と思われるが)上条定実は、1503年に越後守護職「上杉房能」の娘を

正室に迎えて、その婿養子となり「上杉定実(うえすぎ さだざね)」と改名します。

1507年8月には、守護代「長尾為景」(謙信公の父親)に担がれて義父「上杉房能」を倒します。

しかし、定実の実家である上条家においては、兄?「上条定憲」の反長尾為景の戦さとして

≪上条の乱≫が勃発し、謙信公の時代まで越後国全体が争乱の時代に突入することになるのです。
( 詳しく知りたい方は、下記の ≪ちょいスタTime≫ をご覧下さい。 )

上条城は、標高15mくらいの丘陵地にあり、西側の山に「(柏崎)黒滝城」があることから

おそらく通常は『 館城 』として使われていて、要害としての城は、黒滝城だったでしょう!?

まだ、雪深い時ですので遺構が良く解かりませぬが、、、ご了承を!!!


上条城の城郭概略図
※ クリックして大きくしてご覧下さい。
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上条城の入り口看板・・・とにかく位置が良く分からないです。
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上条集落センターの脇で下馬して登城して下さい。
※ 御殿(ごてん)川が内堀で、近くの鵜川が外堀の役目かな?
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上条城の登城口です。
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登ると直ぐに石碑があります。おそらくここは、二の丸かな?
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上条城の本丸址?・・・想像ですが、中央部が少し土塁などで高くなっているような?
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本丸郭の周辺を取り囲む郭址や土塁です。
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城郭西側から見た上条城址です。水壕跡と思われる遺構もありました。
※ 搦手口は、民家を通らないと行けなく、雪が有るので止め申した。
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上条城の遠景です。
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上条城が“館城”で、この“黒滝城”が要害だと思います。
※ 雪が深くて断念です。。。
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≪ ちょいスタTime ≫

☆☆☆ 越後国の下剋上の始まり〜御館の乱 ☆☆☆

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などの文献から抜粋し源さんがアレンジ

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永正3(1506)年、越中に出陣していた長尾能景が死去し嫡男為景(上杉謙信の父親)が

守護代を継ぐと、国人勢力と結んだ為景と守護職「上杉房能」との対立が顕在化します。

為景は同4(1507)年、「上杉定実」(上杉房能の娘婿養子)を擁立してクーデターを

起こし房能を自害に追い込みます。越後における「下剋上」のスタートです。

房能の死を知った≪関東管領:上杉顕定≫は、同6(1509)年に越後に侵攻し、為景・定実を

一旦、越中に追い落としますが、再び越後に侵入した為景軍に敗れ戦死しました。

これで「上杉定実」は、越後守護職に就任しますが、実権は守護代の「長尾為景」に握られていた

ため両者は次第に疎遠となり、「上杉定実」の弟である上条城主“上条定憲”と

枇杷島城主“宇佐美房忠”(後の謙信公の軍師「宇佐美定満」の父親)らが、中心になり

同11(1514)年に「長尾為景」討伐の兵を挙げましたが為景に鎮圧されました。

その後、為景の度重なる越中出陣で国人衆は疲弊していたため、これがチャンスとばかりに

享禄3(1530)年、上条城主「上条定憲」は、再度為景に対して兵を挙げました。

➝ これを ≪ 上条の乱 ≫ と言います。この乱は長期化し、

上条定憲方には、坂戸城主「長尾房長」や揚北衆(後の新発田衆)らが味方につき

長尾為景方には、北条城主「北条高広」・安田城主「安田景広」・古志長尾景信らが味方し、

越後国内は、両派に分かれて戦いが繰り広げられていきます。越後動乱の時代です!

そんな中、1530年2月18日に、越後守護代長尾為景の四男(三男とも)として、後の謙信公が

春日山城で誕生したのです。

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天文5(1536)年、「上条定憲」は攻勢に転じ≪春日山府中≫に侵攻しますが、

「三分一原の戦」で為景軍に大敗を喫します。しかし為景には、もはやこれ以上の事態を

収拾できなくなり、嫡男「長尾晴景」に家督を譲り隠居しました。

その後、“晴景”は父の“為景”と異なり「穏健政策」をとり、領内の国人との融和を図り

一旦は、越後における争乱を鎮めることに、ある程度成功するのですが、諸問題が起きるにつれ

再び、越後国内が乱れた際には、それらを抑えることはできず、弥彦山の黒滝城「黒田秀忠」など

の反乱等、越後国内の情勢はますます不穏になっていくのです。

そのような情勢の中、城下の寺院へ入門していた弟の長尾虎千代(長尾景虎、後の上杉謙信)が

還俗して【 栃尾城主 】となり、反乱を鎮め家中での名声を高め始めると、

家臣の一部の間で景虎の擁立を望む(既に晴景の嫡子・猿千代は早世していたので)ようになり、

長尾家は家中分裂の危機を迎えることになります。

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そこで天文17年(1548年)に、満を持して

越後守護職「上杉定実」の仲介のもとに、義理の弟「長尾景虎」(後の上杉謙信)が家督を

相続することになります。時に【景虎】19歳でございました。

晴景は、家督を譲って隠居し、天文22年(1553年)に、享年42で死去してます。

遡る事、天文19年(1550年)には、越後守護の「上杉定実」が死去。嗣子がなかったので、

越後上杉家(越後守護家)は断絶してしまうことになりました。これで、将軍足利義輝の命令で

「長尾景虎」(後の上杉謙信)が、21歳 で越後国主(守護)の座に就くことになったのです。 

一方、上条城主の「上条定憲」は以後、晴景・景虎(後の謙信)に従属しますが実子がなく死去し

このため、上杉謙信公は、能登守護職畠山義続(七尾城主)の次男で上杉氏の人質から謙信公の

第3番目の養子となっていた「畠山義春」を、1571年に上条氏の名跡を継がせ

義春は、「上条政繁」と改名したのです。( 下記参照 )

上条政繁は、上杉景虎のように人質から養子に迎えられていましたが、1578年の「御館の乱」では

「上杉景勝」に味方し、戦後“景勝”の側近となります。

上杉謙信公には実子が居なく、上杉景勝・上杉三郎景虎・上条政繁の三人の養子が居たんですね。

※ 上記記述に“「畠山義春」を、1571年に上条氏の名跡を継がせ”とありますが、これは義春は、
  上条氏の上条政繁の養子になったとされていて、養父の上条政繁と畠山義春は同一人物と
  いわれてきたという説からですが、『上杉家御年譜』では上条政繁と畠山義春を別人として
  記載しているなどいろいろの説があります。
  
※ もう一人養子ではないけど、猶子(ゆうし➝養子より縁が薄い関係)で山浦上杉氏を継いだ
  「山浦景国(国清)」(村上義清の孫説が有力)が居ます。

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一方の関東地方では・・・ 関東管領が新たな下剋上に巻き込まれていました。

前述にもあった謙信公の父親「長尾為景」の下剋上の相手である≪関東管領職≫

は、上杉顕定の死後、上杉顕定(1466年−1510年)➝上杉顕実(1510年−1515年)➝ 

上杉憲房 (1515年−1525年)➝上杉憲寛(1525年−1531年)➝上杉憲政(1531年−1561年) 

と代を重ねますが、北条氏康(後に養子と向かえる北条三郎=上杉景虎の父親)の下剋上により

≪関東管領:上杉憲政≫は、今度は越後国主の「長尾景虎」の元に逃亡し、氏康に嫡男を殺された

事もあり跡継ぎもなく、弘治3年(1557年)に上杉憲政は、越後国主である越後守護職「長尾景虎」

を養子に迎え、山内上杉氏の家督と関東管領の位を譲渡します。

ここに上記に述べた「上杉定美」の代で途絶えた≪越後上杉家≫の再興がなったのです。
( 謙信公以降は、越後上杉家を「長尾上杉家」とも呼びます。)

「長尾景虎」は、憲政の一字を賜り「上杉政虎」と改めます。その後は、将軍「足利義輝」の一字

を賜り、上杉輝虎(藤原輝虎)と改め、その後、1570年に春日山林泉寺の七世住職「益翁宗謙」

(やくおうしゅうけん)から一字を頂き、剃髪し「不識庵謙信(上杉謙信)」を号しました。

しかし、その後、、、

天正6(1578)年、謙信公が49歳で生涯を閉じると、養子の景勝と景虎が家督相続をめぐって

争う≪御館の乱≫が起こるのです。

ちなみに、景勝は、坂戸城主「長尾政景」の二男で、永禄7(1564)年に、養子となっています。

景虎は、北条氏康の七男の「北条三郎」で、元亀元(1570)年に氏康と和睦の際の人質として

春日山に入城し、後に養子として迎えられます。御館の乱は、景勝の勝利に終わり、

景勝は、7年にもわたる越後内外の諸所の内乱も平定し、越後国主の座に着きました。

以後、豊臣秀吉の時代、徳川家康の時代へと変遷していくのです。



上条城へのアクセス地図は、下記をクリックしてみて下さい。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=37.30746295&lon=138.56973162&sc=5&mode=map&pointer=on&home=on&hlat=37.3688961&hlon=138.5618611

閉じる コメント(14)

雪の中だと大変そうですね^^

2009/3/22(日) 午後 4:24 フィーゴたか

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源さん,勉強になりますね!
それにしても詳しいですね。
柏崎なんですか? 今年はバイクで走りたいと思ってるんですが。
まったく俗悪的ですね(笑)

2009/3/22(日) 午後 5:02 [ pikadane ]

>たかさん・・・まあ〜前の人の足跡も無かったですから、郭の奥に行くときは大変でした。

2009/3/22(日) 午後 6:28 上杉政虎

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>pikadaneさん・・・詳しくはありませんよ。調べたのをアレンジして載せてるだけですから(笑)
読者と一緒に勉強しているだけです。。。

2009/3/22(日) 午後 6:29 上杉政虎

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写真撮ってるから、本を出版出来ますね♪
新潟県内、こんなに沢山の城があったと思いませんでした。

2009/3/22(日) 午後 10:51 KAWA

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昨夜のドラマから、上条政繁の名前が出てきていますね。
実は、明日アップしようと思った記事に、この上条家につながる話があるのですが、ここまでの経緯。。。興味深かったです。
>畠山義春に上条氏の名跡を継がせ、義春は「上条政繁」と改名しました。
↑これで、どうして同一人物説があったのかも分かりました。m(_ _)m
ポチ♪

2009/3/23(月) 午前 11:33 ちぇるしー

>KAWAさん・・・先ずは100城制覇を目標として、いつかはブログ本にしたいな〜?と思っています。
でも、メジャーな城を一回りすると、その後のマイナーな城が大変なんです。。。

2009/3/23(月) 午後 7:54 上杉政虎

>ちぇるしーさん・・・歴史と一緒に登城すると面白いです。まあ〜事前の予習が大変ですがね(笑)

2009/3/23(月) 午後 7:56 上杉政虎

拙者は4年前のGWに行きましたが、積雪期に濠址を特定するのは至難の業ですね^^
この辺り、我が先祖(江戸時代ですが)と関連があるんですよ
そんな縁があって、柏崎市に「ふるさと納税」しちゃいました
「じょうじょうじょう」…茨城の「宍戸城」に次いでインパクトのある名前ですよね^^

2009/3/31(火) 午後 8:12 マイリバ

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>マイリバさんは、柏崎の血が流れているんですか〜!我が実の弟は、柏崎に住んでいます。この町は、越後の激動の時代の要だったですね。

2009/3/31(火) 午後 9:08 上杉政虎

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忍法トラバ返しじゃ・・・

2009/4/16(木) 午前 10:49 [ monta ]

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>もんた殿・・・ありがとうでござる!

2009/4/16(木) 午後 10:44 上杉政虎

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はじめまして前から気になってることがあります 墓の家紋ですが
我が家の近くの長尾家は 上杉笹と丸に木瓜の家紋で新潟のあたりかいずれにしても関東あたりの出と聞きました そちらの長尾家は巴紋を墓に使ってるのでしょうか?西日本では平家の関係と言われていますが巴の墓は見ないのです 又墓石に彫りにくいとも聞きます
九曜巴の墓は有りますか?

2012/1/25(水) 午後 6:24 [ くに ]

>kuni3211kn殿・・・長尾氏は鎌倉出身のようですね。詳細は[http://blogs.yahoo.co.jp/kagetora_nagao2007/17237373.html 坂戸城/実城編]に書いてありますのでご覧下さい。現在の越後長尾氏のお墓の紋については私の知識では判りません。申し訳ござらぬ。

2012/2/10(金) 午後 8:57 上杉政虎

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