越後上杉毘沙門堂

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【七尾城/二の丸編】上杉家と織田家の狭間で揺れた≪能登畠山氏≫の居城

2011.04.10登城 二の丸の石垣
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他の七尾城記事もお立ち寄り下さい。
【七尾城/百間馬場編】
【七尾城/調度丸編】
【七尾城/本丸編】

七尾城の概要は、【七尾城/百間馬場編】]をご覧頂くとして、本記事は≪七尾城のあらまし≫を、七尾城史資料館パンフから抜粋し掲載します。
七尾城のあらまし
守護大名として170年間、能登を統治した畠山氏の居城で、今から約400年前に滅んだ中世の拠点城郭です。山全体が城とも言える集合城として、築城学からも規模の大きさからも大変優れたものでした。
初代「畠山満慶」の頃は、砦のようなものであったと思われますが、その後の応仁の乱や一向一揆、百姓の強訴など、戦国時代の前ぶれが、地鳴りのように押しよせてくる状況の中で、徐々に強固な山城に作り上げられてゆきました。遊佐・温井、長、三宅などの重臣によって、何度か内部争いがあったのですが、外からの危機には、この争いを止めて団結するという家風が、ともあれ170年の治政を支えてきたのです。しかし、戦国怒濤の中で、織田方と上杉方に別れ、そのことによって城も畠山氏も共に滅んでゆきました。
上杉謙信は有名な、かの九月十三夜の詩をこの城でよんだと言われておりますが、勝利のうま酒を飲み干して、その半年後にあっけなく病で死を迎えました。その後、織田信長の配下である前田利家が能登の領主となったのです。しかし、もはや山城の時代ではないと考え、小丸山に移り、そこを中心にして今の七尾町を作りました。

また、駐車場のパンフには、このように書かれています。
七尾城跡中心部の縄張り
七尾城は、もっとも大規模な戦国期拠点城郭であるとともに、戦国期と織豊期(しょくほうき)のもっともすぐれた山城構造の全貌を知ることができる城郭だと評価できる。史跡としての価値はきわめて高い。さらに七尾城は単なる立て籠もりの砦ではなく、日常的な政治活動や生活をし得た拠点城郭であり、多数の屋敷跡が集結した壮大な城郭構造は、まさに「山上都市」として七尾城が機能したことを示している。

まさに、五大山城の一つに数えられ、上杉謙信公が居城【春日山城】に匹敵する巨大山城です。

※ 越後上杉氏の家臣「上条政繁」と「畠山義春」との関係は【上条城(柏崎)】を参照下さい。


城郭概略図です。
※ クリックして大きくしてご覧下さい。
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七尾城史資料のパンフ内ある当時の城郭絵図です。
※ クリックして大きくしてご覧下さい。
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七尾城史資料館附近の七尾城登口の石碑
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七尾城史資料館と懐古館と旧大手道
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七尾城史資料館にある薬医門の扉
※ 西光寺寄贈:七尾城本丸へ通う城山本道の入口にあった薬医門であると記されています。前回記事に西光寺の門が搦手門であるという話と、この門の話が同じなのか違うのかは判りません。
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七尾城大手口番所
※ 大手道から登城すると、七曲という仕掛け道を過ぎると大手口の番所があります。
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沓掛場
※ この郭で、城内に入城するため、一旦、身なりを整えたそうです。
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沓掛場で身なりを整え登城いたしまする。大手道から袴腰郭を経て三の丸へ向います。
※ 上の写真で、谷越えの大手道を真っ直ぐ行くと「とよの水」経由で調度丸、本丸へと続きます。沓掛場附近から安寧寺経由で袴腰に出てから三の丸へ行くことも出来ます。
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安寧寺跡です。
※ 現在は、畠山氏の墓碑や七尾城攻防戦で滅んだ武士たちの慰霊碑などがあります。
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安寧寺跡と三の丸の間には、袴腰と呼ばれる郭があります。
※ この郭から三の丸へは、数段登る形になり、かなりの高低差があります。
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袴腰から崖を登るように三の丸の北側へ登城します。
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三の丸全景です。中央部には石塁群が見られます。
※ 南北110m、東西25mを測り、七尾城の曲輪のなかで最大規模を誇ります。南側の二の丸とは、深い「堀切」で仕切られ本丸を中心とした主郭とは別の曲輪群を構成する。
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三の丸虎口です。石塁が多いのは虎口が石垣で細工されていたのでしょう。
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三の丸の虎口と二の丸への城道
※ 谷方向には、二の丸を取り囲むように、いくつかの帯郭、腰郭が見られるようになります。
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三の丸、二の丸間の大堀切
※ 大きな尾根を真っ二つの大堀切です。二の丸への高低差もかなりのものがありました。
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三の丸からの二の丸虎口と北側の櫓址と思われる高台
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二の丸全景
※ 二の丸は、本丸に次ぐ第二の拠点であり、尾根の分岐点に築かれ、周囲をたくさんの曲輪が取り巻いています。
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二の丸の温井屋敷側の虎口と石垣群
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≪ ちょいスタTime ≫

「 第一次七尾城の戦い 」について

他の城郭研究資料または、フリー百科事典『 Wikipedia 』などいろいろな文献より抜粋し
源さんがアレンジさせて頂いております。
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七尾城の戦いは、天正4年(1576年)11月から天正5年(1577年)9月にかけての能登国七尾城で続きます。

発端は天正3年(1575年)8月、天下布武を目指す「織田信長」が、家臣「柴田勝家」に越前侵攻を命じ、

当時越前を支配していた石山本願寺の下間頼照ら1万2000人の宗徒を処刑させたことに始まります。

これに対して越後の「上杉謙信公」は強い危機感と不快感を抱き、それまで結んでいた【上杉織田同盟】を

破棄し、翌天正4年(1576年)には、それまで対立していた「本願寺顕如」と和睦し、共同して信長と対決する

ことにしたのです。

天正4年(1576年)9月、謙信は2万の大軍を率いて、先ず越中に侵攻します。

越中は、もともと河内畠山氏が守護でしたが、戦国時代に入ると守護代の神保氏、椎名氏らが力をつけて

互いに覇権を争っていました。

能登畠山氏では、畠山義綱が永禄9年(1566年)に家臣団によって追放され、その後釜として擁立された

畠山義慶も天正2年(1574年)2月に不慮の死を遂げています。
( これは一説に家臣の遊佐続光と温井景隆による暗殺とも言われています。)

そしてその後を継いだ弟の畠山義隆も天正4年(1576年)に死去し、遂にはその義隆の子で未だ幼児の

畠山春王丸が擁立されるなど著しく不安定に陥りました。

謙信公の大義名分は、かつて畠山氏から人質として差し出されていた「上条政繁」(こと畠山義則?義春?)を

新たな畠山氏の当主として擁立し、かねてから乱れている能登の治安を回復するというものでした。

これに対して、能登城内では老臣筆頭「長続連」の指導の下、籠城戦と決定します。

続連が七尾城の大手口、温井景隆が古府谷、遊佐続光が蹴落口をそれぞれ守備することを決めます。

さらに続連は謙信公の背後を撹乱するため、笠師村や土川村、長浦村などの領民に対して一揆を起こすように

扇動したのです。ところが、謙信公の方が上手で、かつて一向一揆に悩まされた経験から一揆に関する情報網が

あり、これらを全て鎮圧した上で七尾城を囲んだのです。

しかし、七尾城は畠山義総によって築かれた難攻不落さで縄張りも広く、春日山城にも匹敵する堅城だったため

さすがの謙信公も攻めあぐね、そこで七尾城を孤立させるためにその支城群に矛先を転じます。

鹿島郡中島町谷内の【熊木城】、珠洲市正院町川尻の【黒滝城】をはじめ、羽咋郡富来町八幡の【富来城】

羽咋郡富来町の【城ヶ根山城】、羽咋市柳田町の粟生七郎の【粟生城】、

鳳至郡柳田村国光の牧野上総介【米山城】などが、あっという間に落城し七尾城は孤立してしまいます。

しかしそれでも、堅城を頼む七尾城の長続連らは降伏しなかったのです。

そして越年した天正5年(1577年)3月、小田原城「北条氏政」が、謙信公の領地である「上野国」に大軍を

率いて侵攻しようとしたため、謙信公は帰国することを余儀なくされます。

このとき、謙信公は、熊木城に「三宝寺平四郎」、「斉藤帯刀・内藤久弥・七杉小伝次」を黒滝城に、

長景連を【穴水城】に、長沢光国と白小田善兵衛を【甲山城】に、轡田肥後と平子和泉を【富来城】に

藍浦長門を【石動山城】に、上条織部と畠山将監をそれぞれ配置した上で一旦春日山に戻り、第一次の戦いが

一旦終了します。


※ 上条政繁についての源さんの見解は 【 春日山城/毘沙門堂・御屋敷編】の≪ちょいスタ≫をご覧ください。


【七尾城】へのアクセス地図は、下記をクリックして下さい。
http://yahoo.jp/s7t0Z6

閉じる コメント(6)

二の丸まではご一緒しましたが・・その後はげんちゃん一人旅。

ほほ〜、こんな風になっていたのですね。

ってことで・・七尾城は素晴らしい!!
お勧めポチ☆

2011/11/23(水) 午前 0:43 ♪rogumama♪ 返信する

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おやおや,ママさんと別行動でしたか。
景虎君はどちらと一緒に行動されたんですか?

2011/11/24(木) 午後 8:07 [ pikadane ] 返信する

>ログママ姫・・・ここは本当にお勧め山城でござるな。

2011/11/27(日) 午前 10:04 上杉政虎 返信する

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>pikadane殿・・・景虎はログママ派でござるゆえに、源さんとは袂を分け申した。一時間後には帰参を許しましたけど。。。

2011/11/27(日) 午前 10:05 上杉政虎 返信する

顔アイコン

はじめまして、七尾城攻略の様子詳しく説明されていて良く分かりました。
良く調べられましたね。有難うございました。

2011/12/2(金) 午後 7:27 カワラヒワ 返信する

>カワラヒワ殿・・・ありがとうござる。行かれる時の参考にして頂ければ幸いでござる。

2011/12/5(月) 午後 6:46 上杉政虎 返信する

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