越後上杉毘沙門堂

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【白倉城】越後上杉家家臣≪高津谷主膳≫の居城

2011.12.02登城 城址と推定される専福寺の入口石碑
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白倉城(しらくらじょう)は、別名「十日町城」と呼ばれ、古志十日町(現在の長岡市十日町)の市街地東側の

水田地帯、専福寺境内および旧火葬場附近にかけて所在したと推測されています。

上杉家家臣の「高津谷主膳」の居城といわれ、主膳が 【 会水城 】 に移るとともに廃城となったと伝わります。

真言宗大谷派の「専福寺」の境内に館があったと思われ、平城形式の館城だったようです。

現在、遺構は残っておりませぬ。

※日本城郭大系などより


城郭概略図です。
※ クリックして大きくしてご覧下さい。
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専福寺の山門です。歴史を刻む立派な門です。
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山門前は、駐車場なのでしょうか?よく判りませんが空き地になっていて二の郭のような・・・
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北方向からの専福寺と旧火葬場附近
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周囲の景色です。長岡の東山連峰が望めます。
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≪ ちょいスタTime ≫

「 高津谷主膳 」について

他の城郭研究資料または、フリー百科事典『 Wikipedia 』などいろいろな文献より抜粋し
源さんがアレンジさせて頂いております。
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高津谷主膳という武将については、上杉家家臣とだけしか判りませんが、長岡市の中心部の東側(浦瀬町)と

旧栃尾市との境界の「榎峠」附近が「高津谷高原」という地名で、その辺りに上杉家臣・高津谷氏の居城 

【 高津谷城(たかつだにじょう) 】 が所在したことから、当然、そことの関わりがあると推測されます。

高津谷氏という名は、上杉家臣団の名簿には、見当たらないので、上杉家臣の家臣の、また家臣

(陪臣(ばいしん))だった可能性が高いと思われます・・・???

また、【 高津谷城(たかつだにじょう) 】一帯は、越の国の「燃える水」、つまりは長岡市の「東山油田」の跡で

戦国当時に燃える水が発見されていたら、どうなっていたのだろうと想像してしまいます。

今となっては採算が合いませぬが、佐渡の金山、油田に天然ガスなど越後の国は、資源の宝庫ですね。



【白倉城】へのアクセス地図は、下記をクリックして下さい。
http://yahoo.jp/ceqXc7

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