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鋼の錬金術師 −Tales of another もうひとつの物語− БРАТЬЯ 兄弟の、互いへの想いと母への思慕をうたった歌です。 映像は第3話「おかあさん・・・」と第38話「川の流れに」での母の思い出が流れています。主に第3話が主軸となっています。 前半のナレーションなしの部分は、母との思い出。懐かしくてあったかい、そしていつまでも浸っていたくなるような優しい思い出です。 次に、エドとアルのナレーションが出た部分では、兄弟が母の人体錬成を決意するまでの映像。 そしてエドの「取り戻そう、全てを!」の台詞の後は、今度は自分の家を焼いて旅立ちを決意したシーン。 見事にシンクロしています。 間奏部分で外を見ていて実際には兄弟が紙で鶴を錬成した場面を見ていなかったのに子どもに「見てみて!」とたぶんせがまれて、トリシャが優しく振り向くところが大好きです。おかげでブラーチヤを聞くたびに、このシーンが頭の中をフラッシュバックします。 続いて第2期オープニングでラルクの「READY STEADY GO」。最後に持ってきたのは、やっぱ劇場版のテーマソングに決まっていたからなんでしょうね(トリをとった形)。フェスでは一番最後にラルクが登場してこの曲でライブしたそうです。いいなー!! 第5章 旅は続く 主に第4クール。ブラーチヤで母との思い出を見たばっかなので、スロウス封印の場面は心にぐっときます。よく、できたわね。後片付けも、ちゃんとするのよこの台詞が入ってたのが嬉しかった。 ナレーションはエドとロイ。鋼の二人の主役です(と勝手に私が思っている)。トリを勤めるのは、やはり主役の役目でしょう。 第48話「さようなら」のエドとロイの会話が再録されています。が、テレビシリーズを何度も何度も何度も!!繰り返し見たおかげでちょーっと違和感が(苦笑)。見すぎて声優さんの息遣いまでも覚えちゃったので・・・。ここでは、エドがちゃんと「さいなら」と発音しています。個人的に「さよなら」のほうがいいんだけどなー・・・。アニメエドは原作のクソガキ(褒めてます)のエドと違って、結構おぼっちゃんだと思うのです。クソ真面目なんだけどわざと強がって、ガキっぽくみせて不良っぽくみせてるっていうか(あの学ランがまさにそう)。原作エドの学ランは、どっちかっていうとアレが心底カッコイイと思っていそう。 われわれに出来ることは、いつだって、目の前にあることだけだ つい最近15巻を読んだおかげで、この台詞が妙に心に残ってしまいます。 15巻157ページの台詞ではこうあります。 この国を護るだなどと言っても実際はたった一握りの人を守るので精一杯ではないか そしてそんな己に腹が立つ!!と。アニメロイは、それでも私は許せない。あの男がと。あの男・・・大総統。もっとも、大総統がホムンクルスであることを知っている、知っていないの差はありますが、それでも後に正体を知ってなお大総統を目指すことを諦めていない原作ロイに比べたら、随分と幼くみえてしまいます。上を目指す動機が、原作のようにどしんと構えていないせいもあるのでしょう。 以前テレビシリーズのレビューで書いたことあるけど、アニメロイの動機は「理不尽な命令を受けたくなかったから」という、あくまでも受け思考で原作ロイのように自ら進んで何かやろうというのではないんだもの。だから個人的な恨みを晴らすべく大総統邸に侵入するというクーデターを起こすことしかできなかった。味方は、自分についてきてくれるリザ、そしてロイの人柄を慕った部下やアームストロングしかいなかった。味方をつくろうともがいている今の原作ロイと、ハナから味方をつくろうとしなかったアニメロイ。 もっとも他に同様に大総統に対してクーデターを起こす一派(おそらくアニメじゃ名前の出てこなかった東方の老将軍率いる派閥。ロス少尉やブロッシュ軍曹も参加)があったので、ロイが大総統を滅ぼしたことと老将軍一派が軍を制圧かなんかしたというふたつの要素が重なったおかげで、幸運にも首謀者として見なされることがなかった、というだけ。ちょっと見渡せば、味方をつくるチャンスはいくらでもあったかもしれないのに、ロイはなんて視野が狭かったんだーと思わなくもないです。実は老将軍が全てを把握してて、ロイが北方で反旗を翻したを知るやいなや騒ぎに乗じてクーデターを起こした〜のかもしれない。アームストロングが全てを知っていたに一票。なんにしろ、ロイは運がよかった。ほんとに、周りのみんなのおかげでロイは生かされている。 いつだってあるさ。夢よりも自分よりも大事なことは。 エドは自己犠牲で成り立っていると思います。そして余りにも強すぎる責任感。自分がなんとかしなければ。そうなったのは、たぶん人体錬成で母を2度殺し(スロウスを含めると3度。1度目は病気の母を救えなかったこと)弟の体を鎧にしてしまった罪悪感があるから。弟をよみがえらせたら自分は消える、そうテレビシリーズの時第五研究所でつぶやいたのが忘れられません。 私は、自分より大事なことってないと思うけど。自分と同じくらいに大事なものはあっても。なんでも自分を低く低く見せちゃうのは罪悪感がひどすぎて「自分は幸せになっちゃいけない」と勝手に思い込んでいるんじゃないか。自分の幸せが周りの幸せにもつながると思えない不幸が、彼の一番かわいそうなとこだと思います。劇場版も同じですな。だから、見てるこっちはもどかしい。 で、エドとロイの会話の続きがあります。 「さようなら」でのシチュエーションと違い、「一緒に来るな?」と言ったロイが道は違っていたといい、ロイとは別の方法でホムンクルスをなんとかしようとした(元凶を断とうとした)エドが結局同じ道を歩いていた、という。 オレに残された選択は、ひとつしかなかった アルを蘇らせる。アルの記憶を消すことによって、お互いがお互いを錬成するという無限ループを避けた。もう、なりふりかまっていられなかったから。それだけエドは追い込まれていたと思う。 そして最終回の映像へ。 ここのロイの台詞は雪山にこもる前なんだろーな・・・ 最後のエドとアルの台詞は、名台詞だと思います。釘宮さんの台詞がテレビシリーズと違って力が抑え気味なのは何か意図があってのことなのかな。 フェスでは朴さんと釘宮さんがエドとアルのように手を上にかざしています。 ・・・行きたかった・・・ ちなみにこの後「扉の向こうへ」をイエロージェネレーションがうたってます。先ごろ解散されたそうで・・・残念(ってこの曲しか知らんけど)。6月に生歌聴いたけど、すんごい良かった・・・!! 「扉の向こうへ」(現実世界)行ったエドの物語でしたから>シャンバラ、ラストに持ってきて映画につなげる〜という意味では上手い構成の仕方。この曲って、アニメ版の世界観をよーく表しているし、あの切ない曲調が大好きです。 ちなみついでに(←?) 2番目のシャンバラの予告トレーラーがDVDに収録されていますが、実際の12月開催のフェスやその後1月から期間限定で配信された映像では、朴さん・ボンズの南プロデューサー・水島監督のお三方のコメントがついてました。そこでテーマが<純愛>と南Pがおっしゃって、それを受けて朴さんが「エドとアルの」と言った瞬間に「それはない」てなことを南Pがおっしゃったと記憶してます。純愛、これが一体誰と誰のなんだ!!と巷で話題になったような・・・。どうしてDVDに収録してくれなかったんだろう。実はこれが一番見たかったりした。 ***** てなわけで、ようやく鋼フェスレビュー(というか感想)終了です。
書き上げることができて、自己満足中。 |
鋼レビュー(アニメ)
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鋼の錬金術師 −Tales of another もうひとつの物語− レビューっつーか、語ってます。 第3章の次は、第4期オープニング「リライト」。風雲急を告げる物語を端的に示している。 線路で一度振り返るものの、それは険しい表情で、すぐに前に向いてきびすを返すエドは、もう2度と戻ってくるつもりはないんじゃないかと嫌な予感がしていた本放送。で、アルは決して振り返らないっていうのは、アルに何か不吉なことが起きるんじゃないかとやっぱり嫌な予感がしてました。そもそもエンディングで、門を境にエドとアルが分かれてたくらい。 そしたら案の定・・・ 第4章 ホムンクルス そういえば、前にも考えたことがあった。私はどこから来て、どこへ行くのか。 この章の始まりは、完全なるホムンクルスになる前に赤い石を食べているところから始まる。やがて彼らは人間にはないホム独自の能力(液化・不死の体・変形する体の一部・変身・硬化・再生力・自らの欲望に忠実・爪が伸びる)を得ていく。 グリードの始まりから終わりまでを背景に、語りはエンヴィーとグリード。グリード役の諏訪部さんもハガレンフェスに出演のオファーが来ていたそうですが、ちょうど他の舞台と重なってしまい辞退されたそうです(諏訪部さんの日記より)。残念。 この章では、いろいろと新事実が発覚。 ・グリードが封印された頃(140年前。具体的に言えば大陸暦1775年あたり)にプライド(キング・ブラッドレイ)誕生。先代ラストがいた。 ・ダンテがホムンクルスに7つの大罪の名を与える。人間の罪から生まれたものだから ・・・・・・人間の罪って言ってるけど、ダンテ自身の罪じゃん、とツッコミ。なんか自分は悪くないって言ってるみたい。何か事件があるたびに犯人の罪というよりも社会のせいにしてしまうようなタイプなんでしょう>ダンテ。たまたま犯人がオタクだったら、オタクみんなを犯罪予備軍扱いするよーな感じ。 ・グリードがダンテの元から去ったのは、自由という欲望を得たかったから(建前) ・グリードがダンテの元から去ったのは、かつてグリードの元となった人物はダンテを愛していて共にいkることを望んでいた。だが、自分が死んだ後ホムンクルスとして蘇ったのは、人体錬成した張本人ダンテが彼を愛していたからではなく、単なる実験にすぎなかった。(赤い石の効果を見るため)これを知ったから、ダンテの側にいることができなかった。望まれて生まれてきたわけじゃないと絶望した?あるいはホムンクルスである自分もかつての自分もダンテに本当に愛されているわけじゃないと絶望した?両方かも。 ・・・・・・ん?てことは、 1)ホーエンハイムの手により、最初のホムンクルスエンヴィー誕生 2)それを見たダンテが次々にホムンクルスを誕生させる。 (人体錬成で体の一部が失われるが、どうせそのたびに生き延びるべく肉体を入れ替えていたので問題ない) 3)「戦争をけしかけ、希望を求めるべく賢者の石を人間につくらせる〜をホムンクルスにさせる(ダンテ自身の手は汚さない)・その際の邪魔者は抹殺」と同時に、ホムンクルス自体をつかって実験。 例:グリード(赤い石の効果を知る) ということになる。 ホムンクルスという存在は、自分が自分であることを確かめようともがいているのかもしれない。 どこから来て・・・誰かに求められて誕生したのか。 どこへ行くのか・・・愛され続けて最期を迎えることができるのか。 人ではなく、人の創りし者ホムンクルスとして生まれた彼らは、それを至上の命題として捕らえていたのではないかな。もっとも、彼らの名前である7つの大罪に阻まれているけれど。つまり、ダンテがわざわざ7つの大罪の名をつけることで、彼らを束縛していた。もしかしたらだけど、先代ラストがいなくなった理由はそこにあるのかもしれない・・・ダンテへの反抗。そもそもラスト「色欲」は一番愛情と関係があると思うんだよね。 グリードは、原作の方がホムンクルスとしての矜持があったように思う(ラストもね)。でも、<死>(この場合他人の手で生かされない、自分の命は自分のもの)すら欲望に招き入れたアニメグリードは、より欲望が強かったのかもしれない。たぶん、グリードが一番求めた欲望は、ダンテの愛情だ・・・。だから、ダンテの屋敷に自然と足が向いてしまった。だがそれは、決して手に入らなかった。 エンヴィーの言う<愚かな人間達>。複数形を用いているけれど、具体的にはホーエンハイムを指すのではないか。もともとホーエンハイムとともにダンテの子でもあったのだから、ダンテの影響を受けて一つの事象が全ての事象に値するようにすりかえてしまう癖があったとか。あるいは照れ隠し。 エンヴィーに語りを聞くにつけ、ああこの子は父親の愛情に飢えていたのねと切なくなってしまいました。愛情をうまく表せなかったのは、彼がホムンクルスだからってのもあるけど、ダンテの手により「嫉妬」と名づけられやはり束縛されていたんだ。 お前も!お前も!と怒鳴っていたのは、愛情を受けている(とエンヴィーは思い込んでいる)他人が羨ましかったから。ホーエンハイムの愛情を受けている(とエンヴィーは思い込んでいる)エルリック兄弟が羨ましかったから。(エドにしてみたら、実際のホーエンハイムは母親の葬式にも顔を出さないクソ親父だったけれど) そして僕らホムンクルスだけが生き残る→父親の愛情はぼくだけのもの、の裏返し。 その時僕らはやっと忘れることができるんだ!ぼくがどうして生まれたのかということを!! 自分がホムンクルスであるということを忘れる・・・父親が自分をホムンクルスにしたことではなく、ホムンクルスと化した自分を<捨てたこと>を忘れたいんだ(「どうして」と言ってるのがポイント。愛情がないのに生むな!ってこと)。 確かにエルリック兄弟のもとすらもホーエンハイムは去ったけれど、なのに数年後ホエは兄弟のもとに帰ってきた。それを知ったエンヴィーはひどく激昂しプライドに襲い掛かっていった場面がわざわざ総集編に入ってるんだからそうなんでしょう。兄弟が激しく羨ましかった。ぼくのところには帰ってきてくれなかったくせに!!って。嫉妬だからね。それが炸裂したのが、エドに手刀をついた第50話『死』。だから、第51話で門を通って現実世界に行くエンヴィーは、なぜかうれしそうに見える。兄弟をさしおいて父親に会いにいくことができるから。途中エドに変わったのは、自分本来の姿だと息子だと気づいてもらえそうにないから、ホエの愛する息子の姿に変わった。 ・・・なのに肝心な兄弟(つーかエド)は父親よりも母親を求めていたんだから皮肉だよな〜なんて(すぐ後が「ブラーチヤ」だから尚更そう思ってしまう)。みんな生存していたら、長兄エンヴィー(えらく歳が離れているけれど)はお父さんっ子で、次兄エドはお母さんっ子で、末っ子アルはどっちも大好きで要領のいい子になってたはず。 コレ見てて気づいたんだけど、不思議とダンテ以外の手によってホムンクルスとなった者達の最期は、みんな微笑んでた。兄弟が造ったスロウス。イズミが造ったラース。スカーの兄が造ったラスト・・・ ホーエンハイムが造ったエンヴィーの最期は彼がドラゴン(リヴァイアサン?)になっていたために分からなかったけれど、もしかしたら微笑んでいたかもしれない。あんなに渇望していた父親を、これから先エドやアルをさしおいて独占できるんだよ。他者を思いやる気持ち〜なんつーものは、ホムンクルスになった時点でなくなってるだろうし(あるのは自分自身の価値観・・・嫉妬だとか・・・のみ)。ホーエンハイムにしてみたら、愛するエドを元の世界に戻すことができて、尚且つ愛するエンヴィーの元となった息子の願い(父を殺す)をかなえてやることもできる。エドにしてみたら、超理論展開のクソ親父であることに変わりはないけれど。 で、エンヴィーは晴れて<嫉妬>から解放された。7つの大罪の名前から解放された。 ラース(自分を捨てた母イズミ・代わりの愛情を受けた兄弟への憤怒)→ 母が自分のもとに。 スロウス(母親であることをやめるという意味の怠惰)→ 「後始末もちゃんとするのよ」母親へ。 ラスト(恋人への愛情をなくす。ただの色欲)→ スカーとふれあうことでスカー兄への愛情を思い出した。 全て<自分は造られた存在><決して本人ではない>というジレンマと戦っていて。なのに、自分は自分である、自分でしかないと誰かに証明してほしくて。 愛情を求めるっていうのは、つまり、そういうことなのだ。 ***** 続きます。
この総集編、全て計算づくだよ・・・単なる場面の複合じゃなかったよ・・・ |
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鋼の錬金術師 −Tales of another もうひとつの物語− 第3章 焔 鋼の錬金術師における、もうひとりの主人公ロイ・マスタング。彼の物語をまとめた章。 彼が主人公の謎解きを手助けする脇役から、影の主役にまで一挙にのぼりつめたのが、皮肉にも親友ヒューズの死だった。それは、エドが自分の身体を失い弟の肉体を奪わせる原因となった人体錬成を行った瞬間から鋼の錬金術師として生きる(主役になる)のを彷彿とさせる。 副題、「焔の錬金術師」として同時進行の物語をなんらかの形で見たい。それならシャンバラで彼が立ち直る過程も描いてくれそうだし。 総集編は、具体的に以下の回の台詞より構成。 ・第13話『焔VS鋼』 ・第25話『別れの儀式』 ・第45話『心を劣化させるもの』(コレに関しては本編の台詞ではなく、本編の内容を死んだヒューズとの電話でのやりとりという形にしている) 第13話はロイのトラウマが明かされた。イシュバール戦とロックベル夫妻殺害。 第25話はロイが大総統を目指すきっかけが語られた。 第45話で大総統キング・ブラッドレイがヒューズを殺したホムンクルスだと知ったロイが、クーデターを起こそうと決意する。 ざっとこんな感じ。見事に「起承転」が語られています。ちなみに「結」の部分は最終回でクーデターが成功した、という部分に相当する。 秀逸なのは、第25話のアバン部分の会話。大総統になると、ヒューズに告げた場面。ここ、本編の映像ではなく、ロイとヒューズの写真。どっちかが昇進した記念に撮った写真かな。ずっと写真を見続けていると、ロイとヒューズがいかに親友として信頼しあっていたかが想像できて切ない。そして、ヒューズはもういないということを、徹底的に思い知らされる・・・。 第45話のその後の会話。アレはもう泣き言にしか聞こえなかった・・・ヒューズになら泣き言を言える。たぶん死んだ人間相手だからだろう。もう、彼を巻き込むことはないのだから、安心して本心でも何でもいえる・・・死んじゃったから(泣) つーか、味方をつくれ!!生きてる味方をつくれ!!なんで自分ひとりで全て罪を背負ったりしようとするかなー!!責任とろうとするかなー!!そうか、ここがロイのナルシーな部分なのね。 実際はロス少尉にしろ、複数の同志がいた(第49話『扉の向こうへ』)のに。バックには、最終回で演説してた東方の将軍がいそうだけど。将軍が、せっかくロイに好意的だったのにもったいない。・・・考えが及ばなかったのね・・・ 以下推測ですが。 要するに、ロイって、ホムンクルスをなんとかしたいんじゃなくて、結果的にヒューズ殺害犯がホムンクルスだったから大総統にクーデター起こしたよーな。ホムンクルスだったところで統治が成りたっていたら、彼は現状に満足したままじゃないかな(第44話『光のホーエンハイム』で「ホムンクルスだったところで大差はない〜」ってなことをホーエンハイムに言われてほっとしてたくらいだから)。殺害犯が普通の人間だったなら、軍へのクーデターは起こさなかったはず。犯人がたまたま軍の最高権力者である大総統だったからクーデターになってしまったというだけ。 ここらへんが、ホムンクルスすらなんとかしたかったエドとの差なんでしょう。ロイは、大総統を殺害したのはあくまでもヒューズの仇。政治のあり方を変えるとまで思っていたはずがない。だから第48話『さようなら』で「出来るのはいつだって目の前のことだけ」って言った。もっとも、エドにとってホムンクルスは自分の罪の延長線上にあるものだから仕方がないのだけれど。そもそも、ロイは「理不尽な命令をされないように」(自分が命令しなくて済むように)という非常に受けチックな思考で大総統を目指してるくらいだから、他人にかまってる余裕すらないということなのかも。 お前はエドワードをつっぱらかったガキだと言っていたがなあ。俺からすれば、お前らは似たようなもんだ ロイとエドって、とてもよく似ている。 エドが人体錬成を罪悪感の源・・・最大のトラウマにしているのに対して、ロイはイシュバール戦でのロックベル夫妻殺害をトラウマにしている。エドがアルに罪悪感を感じているのに対して、ロイはウィンリィという被害者に顔を向けることすらできなかった。 で、周囲の環境も。エドにピナコばっちゃんがいるのと同じように、ハボックら軍部チームがいる。ウィンリィとリザは対応してる。ヒューズって、実はアルと同じ存在だと思うんだよね。エドにとってアルは大切な弟。同様にロイにとって大切な親友。同志というべきか。 そんなヒューズの死は、鎧と化したアルに対応してる。そんなときどうするのか。 エドは元に戻そうと賢者の石を探した。 ロイは、ヒューズの人体錬成はしなかったが、原因を探り仇を討とうとした。 現実を受け入れ生きることができず、必死に抗うふたり。ロイはヒューズの死に罪悪感を持っていただろう。なんで自分に言わなかった?なんで自分は何もできなかった?って。 ふたりとも、罪悪感が根底にあるのも一緒。似たものどうし。同属嫌悪って奴。 リザという存在は、いわばヒューズの後継者。だから、離れた場所にいて自分の知らないところで殺害されたヒューズの二の舞にしたくなくて、リザにクーデターの実行役を一緒にさせたのかもしれない〜とふと思った。 ***** 続きます。
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鋼の錬金術師 −Tales of another もうひとつの物語− 第2章 賢者の石 エドが銘「鋼」を冠するようになってから、賢者の石錬成まで。賢者の石を手に入れて、結果的に軍の狗をやめるのだから、言ってみれば立場上の「鋼」を得てから自ら捨て去るまでの話。それでもエドの精神は一生鋼であり続けるのだから皮肉というかなんと言うか。大総統は確かにホムンクルスだったけれど、人の本質を見る目はあったのかもしれない(なにしろ最強の眼だったから)。 語るのは、エド・アル・ウィンリィ。 この章で注目すべきはウィンリィ。豊口さんの声が、なんだか大人っぽい。まるで18歳ウィンリィに聞こえてしまう。これで考えられるのが、もしかしたら、錬金術世界にいるウィンリィと現実世界にいる兄弟とが交信してるんじゃないかってこと。そんなことありえない?いやいや後の章ではロイと死んだヒューズが電話を通して会話してる。あれと一緒なんだよたぶん。 お互いがぼけてつっこんで、幼馴染ならではの連帯感がある・・・んだけど、ウィンリィはなぜか敬語でしゃべってたりする。また、3人とも決して<会話>はしていない。それは・・・もしかしたらウィンリィは兄弟の話を別の誰かに兄弟の出来事を<ひとつの物語>として話してて(シェスカやらロイやらからことの次第は聞いてるはず。ウィンリィには聞く権利がある)、それを魂で交信(笑っちゃダメ)かなんかして会話のように成り立ってる・・・のかもしれない。同時に、兄弟もまた別の誰かに自分たちのやってきたことを<ひとつの物語>として話していたかもしれない。精神的な繋がりの強さは、時と場所と、空間とを、超えるんだ。冒頭の漫才部分なんて、まさにそれ! 主にこの章で語られるのは、当初兄弟の<敵>として現れた傷の男・スカーの物語。 この作品では、様々なキャラが様々な人生を歩んでいる。二つ名がタイトルにもなってるのだから本来ならエドが主人公なのだけど、この章ではスカーが主役として語られている、もうひとつの物語。 ポイントは、エドとアルがスカーの物語を語っているということ。そして、理解しているということ。なんで理解してる?(ウィンリィは推測しているにすぎない) それは・・・エルリック兄弟とスカー兄弟が、とても似た存在だったからじゃないのかな。 エルリック兄弟もスカー兄弟の状況は、兄弟とひとりの女の子というシチュエーションもさることながら、兄が人体錬成を犯す(エルリック兄弟の場合はエドが言いだしっぺ)、兄が死亡(第50話『死』)、弟が賢者の石を持つ・・・と本当によーく似てる。 特に兄弟がお互いを想って・・・のくだり。スカー兄弟は、いわば最悪な状況下に陥ってしまったエルリック兄弟と言えるかもしれない。もし兄が死んでしまったら?もし賢者の石を手に入れたら?もしそれらが最悪な事態に陥ったとしたら?スカー兄弟はエルリック兄弟のあったかもしれない可能性。もうひとつの物語。 そして、アルがスカーを割りと慕っていたこと、同じ弟ということ、同じく賢者の石を手に入れたことを考えたら、アルのもうひとつの可能性なのかもしれない。自分の名を捨て闇に生きたスカーと、鎧でも光の下を歩き続けたアル。二人は実に対照的だけど。 それを彷彿とさせるのが、BGMとして使用された第3クールエンディングテーマの「Motherland」。 この曲は、故郷で大切な人を待ち続ける子を描いた歌。スカー兄弟にとってウィンリィと同じ存在は?といえば、ラストの元になった女性。彼女は結果的に兄を選び、結果的に死んでしまった。 ただ、ウィンリィが死んでない。つまり、エルリック兄弟には待ってくれる人がいるけれど、スカーにはいない。いないからこそ、彼はああいう最悪な道を歩むことになったのかもしれない。本来「Motherland」は優しい曲なのだけど、スカーを考えてみたらものすごく切ない曲に早がわり。本当は、ウィンリィみたいな存在がほしかったんだ。それはラストの元になった女性であってほしかったんだ。 (だから劇場版ラストで同じ馬車に乗ってたのを見たとき、やっと想いが通じたんだ、と感慨ぶかくなってしまった) そして、スカーさんはぼく達に問いかけたんだ。賢者の石を手に入れたとき、お前達はどうする?と。 かなってしまった夢は、夢じゃない そして、ふたりの最後の旅がはじまりました。 ここら辺はアニメ夜話で語られてましたね。アイカワ氏が事あるごとに言ってた「さらにその先」(カットされたけどさー)。第2章は、それにいたるまでの物語。 賢者の石をひとつの頂点と過程して、それを目指してひたすら上っていったとき、頂に踏み入れたがごとく真実を見る。遠めで見た富士山はとてもとてもきれいでも、実際はきれいでもなんでもない岩の塊・・・それと一緒で、現実は夢もかけらもなく残酷だったんだ・・・ ***** さらに続きます。
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鋼の錬金術師 −Tales of another もうひとつの物語− 劇場版を見る前に簡単に物語を把握するにはもってこいの総集編です。今まで見た中で、たぶん、最高の総集編。 今回久々のレビューはライブではなく、DISC2のアニメーションパートの方です。2004年12月に開かれたフェスで上映されたものを、アニメーション部分のみ収録。新アフレコで構成されています。ちなみに、その時発売されたパンフ(半年後のフェスDVD発売の頃に通販もありました)にはフェス用に書き下ろされたシナリオも収録されています。 このパンフに、脚本家のアイカワ氏がコメントを寄せているのですが、その中に 「ひとつの解釈」として受け取って、楽しんでいただきたいですね(パンフ29ページより引用) とあります。テレビシリーズ全51話がひとつの歴史的事実として、今回の総集編は一種の歴史書と解釈できるかもしれません。歴史書ってのは、一件事実だけを順を追って書いているようでいて、その実、編者の思想やら何やらが確実に含まれているものだから。これは、スタッフ側から見た「鋼の錬金術師」の歴史書。きっと、ファンが鋼の歴史書を作ったら全然違うものができるだろう。 (アニメ版自体が原作鋼を歴史書として編纂したとしたと考えたら・・・なかなか興味深い) ↓ オープニングはメリッサ。 全てはこれから始まった(といっても第1話ではエンディングだったけど) 歌詞がアニメ版「鋼の錬金術師」の全て(テレビシリーズからシャンバラまで)を象徴してる。 第1章 旅の始まり エドの罪の始まりから・・・旅の始まりまで。 テレビシリーズで断片的に描かれていたものがまとまっていて、とてもすっきり仕様。 兄弟(初期)に主眼を置いたパートです。 冒頭のBGMはブラーチヤの1番。後にブラーチヤが流れている場面でのエドの朗読をあわせて考えると・・・エドの罪悪感の源となる場面といえるかも。場面とあわせて考えると、その罪悪感は、母への愛から始まったってことになる。 母死亡時のBGMは、第25話『別れの儀式』のヒューズの葬列場面と同じ曲。人体錬成でアルの身体が失われていく場面のBGMは、第34話『強欲の理論』でグリードを殺してしまい絶叫するエドの場面と同じ曲。 ・・・同じBGMがかかってるだけに、その時と同じ心境になってしまう。 そしてそれが総集編とリンクしている。前者はまさに大切な者との別れ(エドとロイが似たもの同士だと考えると分かりやすいかも)。後者に関しては、グリード殺害はエドにとって予想していなかった事態。ホムンクルスは死なない、そういう前知識や思い込みがあったからこそ思いっきりブッさしてしまったら、結果的に死んでしまった。同様にアルの身体が<持っていかれる>ことは予想していなかった事態。完璧だと思っていた知識があったことや成功するという思い込みがあったからこそ、いざ錬成してみたら、結果的にアルの身体が奪われてしまった。 コラボしてるよ!! この総集編は、狙っているんじゃないかと思えるほどにBGMの使い方が良い。フェスは主題歌アーティストと声優とのコラボレーションと言われていたけれど、総集編そのものもBGMや主題歌と物語とのコラボレーションと言えるかもしれない。もっとも、こういう楽しみ方ができるのって、テレビシリーズを見続けた結果かもしれないけれど。 再びBGMはブラーチヤ。ブラーチヤの最後の歌詞は、兄弟の決意で終わっている。それを象徴する場面のBGMとして使用されています。テレビシリーズ本編でも同じ曲だったけれど、本当にこの作品はBGMの使い方が上手い。 人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。 何かを得るためには同等の代価が必要になる。 それが、錬金術における等価交換の法則だ。 その頃ぼくらは、それが世界の真実だと信じていた。 過去形。 場面的なポイントとして、ナレーション中の移り変わる写真に第4クール以降に出てきた写真・・・アルが賢者の石と化してしまい、触れることすらできなくなった兄弟の悲しい目・・・も含まれていることが挙げられる。だからこそ、この物語は、等価交換を絶対と信じていた兄弟がそれを否定され・・・さらにその先に行くまでの物語なのだ。 ***** 続きます。
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