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昨夜、八時過ぎに帰宅すると、サッカークラブの練習に行っているはずの長男樂(小二)が家に居て、 しかも怒ってふて寝している。 母ちゃんに事情を聞くと、 学童保育の連絡帳に親が「プール遊びさせて大丈夫」のサインをしていなかった為に 樂は楽しみにしていたプールに入れなかった。 迎えに行った時に樂がそれを思い出して怒りまくって動かず、結局サッカーの練習もサボってしまった。 ワシはそれを聞いて猛然と腹をたてた、、母ちゃんに対してでも、樂に対してでも無く、学童に対して いつも大変お世話になっている学童保育で、感謝しているし、他に頼るすべもないんだが、 ここに漂う「官僚的事なかれ主義」、「責任逃れの為の多くの予防線」がワシは大嫌いなのだ。 学童側の説明は、 夏休み前に配ったプリントに 「連絡帳にプールに入れていいかどうか○×をするよう」に説明していたと、 「○の無い子供は、親の了解が無いことと判断してプールには入れない。」とのこと。 そして、夏休み初日の昨日、○が無い為にプールにはいれなかった子供が何人もいたらしい。 夏休みに向けて、学校と学童と保育園から、「あれするな、これするな」と大量のプリントが配られ 元々人の自由を拘束する校則だのなんだのが大嫌いなワシは、全く見ずに放っておいたが、 母ちゃんも仕事が忙しくて見逃した。 しかし、ちゃんと水着を持って行っている(このことが「親の了解」を示すでしょう?) 樂に限らず、○の無かった子供たちは見るからに元気いっぱいなのだ。 子供たちが主役のはずの学童で、子供の人格は最初から最後まで全く無視されている。 親の了解無しにプールに入れて熱でも出されたらなんて言われるかわからん!という責任逃れの予防線でしかない。 初日だから見忘れた人もいるだろう。 今日は特別に入らせてあげるけど明日からはちゃんとお母さんに○を付けてもらいなさい。 くらいの柔軟な対応がなぜ出来ない? 近所の悪ガキに裸に脱がされてしまったかわいそうな兎の家族達 写真と本文は無関係です。 そもそも、日本人は自由を束縛されることに無頓着だ。 バイクに乗るときのヘルメットや車のシートベルト、チャイルドシートなど、 法律で規制し、違反したら罰則などと言うのは全くお節介で人を子供扱いしたおかしな考え方だと思う。 しかし、多くの日本人はそういうことに慣れていて、文句も言わない。 小沢一郎さんの著書の冒頭 観光客が集まるグランドキャニオンの断崖に手すりが無いことへの驚きから始まっている。 日本的感覚で言うと、万一誰か落ちたら、管理者の責任が問われる。 アメリカの感覚では、危ないところだから、本人が用心をすればいい、 落ちて命を落とす人がいても、それは本人の責任だし、落ちる自由すら束縛されるべきじゃない。 まあ、昨今のアメリカの状況を見るにつけ、小泉竹中改革の結果を見るにつけ 行き過ぎは行けないことだと思うけど、 日本人の自由を束縛されることに対する無頓着は長年の衆愚政治の結果だし このままだとこの国は危険だ、、 ますます官僚達を増長させる。 子供たちから自由を奪う学童の対応に何でこんなの腹が立つのか? 考えを掘り下げて見ると、やはり官僚主義にたどり着きました。
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