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生命倫理

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さて、動物をみだりに虐待してはならない、愛護するべきだとされる理由はなんでしょう?

「動物愛護管理法」に書かれている目的(生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養、及び動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害の防止)からもう一歩踏み込んで、その理由を考えると・・・

ある方が、例として次のような根拠を挙げて下さいました。

私たちヒトとの遺伝子レベルでの相同性

とりあえずこれを足がかりに考えてみると・・・

(9割以上遺伝子が同じなのに)ヒトではないからといって他の種の動物を研究の道具に使ったりすることに反対する立場の人は、現状を「種差別主義だ!」とか「人間中心主義だ!」と言って批判します。「ヒトの自己チュー(古っ!)だ!」みたいな。

このような、動物にも権利を与えるべきだとするような立場は、よく環境問題が取り沙汰されるときに持ち出されます。

たとえば
「アマミノクロウサギ訴訟」
 奄美大島にゴルフ場建設を許可した行政に対して、地元住民たちがアマミノクロウサギを原告として起こした有名な裁判。
 裁判官たちは、アマミノクロウサギを原告適格と認めず却下としながらも、この訴えを「自然の権利」という概念を日本において我々に提起したもの評価し、さらにはアマミノクロウサギに原告適格がないとせざるを得ない現行法の枠組みに疑問を呈した。
(参照:[http://risk.kan.ynu.ac.jp/matsuda/2001/amami-judge.html])

これはこれでとても画期的な判決だったのですが、しかし、ちょっと調べて頂ければわかるように、アメリカ生まれの「自然の権利」という概念を、そのまま日本に持ってきても違和感があります。

実際、アマミノクロウサギ訴訟で原告側の弁護人を務めた籠橋隆明弁護士もそれに気が付かれて、「(アマミノクロウサギのすんでいる)森がなくなることは、自分たちのアイデンティティーを喪失することにつながっていく。奄美大島の森には妖怪が住んでいたり、独自の文化が作られていて、森が消えることは、奄美の人たちが作り上げた文化や、人と人のつながりを壊してしまうことにほかならない。「自然と人間との関係そのものが自然の権利なんだ」という考えをベースにして、日本型の「自然の権利」を理論構築していったのです。(インタビュー記事抜粋)」と、あるとおり、アメリカのような「自然vs人間」という考え方とは違った背景の中で、日本なりの「自然の権利」概念を作る必要があると思います。

そういうわけで、「動物の権利」の話は「自然の権利」の話に広がっていきますね。

これはこれでとても興味深い話なのですが、

次回はまた「ヒト胚」の話に戻そうと思います。

研究に動物を使うこと

動物の権利については、いろんな倫理学者さんが議論していますが、とりあえず私なりに現状を整理してみることから始めようと思います。

例えば研究に動物を使うことは、「第三の家畜だから構わないのだ」というふうに正当化されているようです。

「家畜」は3つに分類されています。
・第1の家畜(産業家畜):畜産目的のウシやブタ
・第2の家畜(社会的家畜):愛玩用などのイヌその他
・第3の家畜(科学的家畜):実験動物
ここで「家畜」とは、「ヒトの社会に重要であるとして飼いならされ生産された動物」という意味。

でも、だからといって、虐待して良いというわけではもちろんありません。「動物の愛護及び管理に関する法律」なんていう法律もあることですし。
第一条  この法律は、動物の虐待の防止、動物の適正な取扱いその他動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害を防止することを目的とする。 
それで、例えば、動物実験を行おうとする際には、「3つのR」を考慮するよう指導されています。
Replacement(動物実験に替わるものを探すこと)
Reduction(実験動物の使用数を減らすこと)
Refinement(洗練された動物実験の実施:実験動物に苦痛を与えないこと)
一応は、これが現状で、単なる興味本位での動物実験は「虐待」にあたると見なされる恐れがあり、刑罰の対象となる可能性があるようです。

しかし、科学において、それが非難されるべき「単なる興味本位」なのか、それとも奨励されるべき「知的好奇心」なのかは、実際のところ、なかなか判断がつきませんよね。

だから、実際にやることは同じでも、何を言い訳にするかで、それが許されたり許されなかったりするわけです。

(中絶やヒト胚を操作することもきっと同じ・・・)

ヒト胚について(2)

そうそう、「人間の尊厳」だった(^-^;

ヒト胚をそのように、モノのように扱うことってどうなの?

人間の尊厳をヒト胚に認めるかどうかを考えるのではなくて、

ヒト胚をそのようにハンドルする私たちの尊厳の方を問題にしたらどうなの?

はい。

で?

<("0")> 脳みそショート

ヒト胚について

neo vitalさんの丁寧なコメントに力を得て、
久しぶりにまた考える・・・(neo vitalさん、ありがとうございます!)

胎児の命が、この社会でどのように認められていくのか、例えば法律では、その存在がどのように守られているのかを見てみると

まず第一の区切りとして

・22週

がある。これ未満の中絶であれば、母体保護法の下で罰せられない。しかし、22週以降に中絶を行うと、どのような理由があれ、堕胎罪となり、22週以降の胎児の生命は、一応は法律上もある程度保護されていると解釈することができる・・・のかな?

しかし、この「22」という数字は、「母体外において、生命を維持することのできない時期」を根拠としており、今後の医学の発展と共に、もっと早まっていくと思われる流動的なもの。

 また、12週以降の中絶は、その方法も陣痛を起こさせて出産させるというかたちをとり、死産扱いとなって、原則、役所へ死産届を提出する必要があるそうです。

その後は、neo vitalさんが書いて下さったとおり、

・刑法では一部露出説

・民法では全部露出説

で、赤ちゃんに権利を認めていくようです。つまり、刑法では一部露出説なので、例えばお産の時、赤ちゃんの頭が見え始めた時点でその子に危害を加えると、傷害罪。また、民法では全部露出説なので、赤ちゃんが完全に母体外に出てきてから、親の財産の相続権が発生する・・・みたいな。そんな感じです。

で。

どうでしょう?

胎児をこのような仕方で区別すること。

ストンと納得できます?

 ・ ・ ・

できませんね〜(^-^;

自分で子供を産んでみて、ますます、違和感・・・というか、これって、今、生きている人たちの勝手な都合で、便宜上つくられた、相対的な区切りでしかないんですよね。

私は修士論文で、「ヒト胚の道徳的地位は?」なんて、とうてい答の出しようもないテーマに挑み、自らも子を宿しながら考えに考えた末、〆切の時間に迫られ、苦し紛れに出した答えは、結局・・・

「そのヒト胚に一番近い存在である人によって如何様にも決められる」

でした(^-^;  確か、、、多分。。。

もちろん、但し書きはいろいろ書いていたように思いますが、最後まで自分でもスッキリしない結論で、その後、その論文を見直すこともせず封印したまま、現在に至ります。

しかしまあ、実際のところ、現実は、中絶するかどうかを決めるのは、その子に一番近い存在であるところの、その子を宿している人なわけで、ヒト胚を研究に提供するかどうかを決めるのも、その胚の「持ち主」であるカップルなわけで、そのような現実をも反映した、無難な答えではあるわけです(^-^;;

しかし、そのような現実を「いかがなものか」と問い直すのが倫理学の仕事なわけで、やはり、そういう意味では、この答えも「いかがなものか」と思われます・・・よね?

私個人的には、不妊治療で作られた受精卵は、たとえそれがもう必要でなくなったものだとしても、研究に提供したりするのではなく、ちゃんとお墓に納めて、手を合わせるべき対象だと思います。・・・主観的で感情的な考えですけど。

では、だからといって、始めから研究のためにつくられたヒト胚ならいいのかというと?

生殖以外を目的として受精卵を「つくる」ことって、どうなの??

 ・ ・ ・

未だ誰にもその存在すら気付かれていない、母体内の存在である「ヒト胚」がある。

その一方で

試験管の中にあって、その扱い方についてカンカンガクガク議論されている「ヒト胚」がある。

同じヒト胚でも、それがどこにあるかによってこんなにも扱い方が違う。


また、簡単に妊娠されて簡単に中絶されている胎児がいる一方で

胎児以前のヒト胚の扱いがこの国のトップ機関である内閣府において
こんなにも熱く議論されているという

この現実。。。

 ・ ・ ・

う〜ん、あとが続かない・・・

続きはまた今度 (_ _; ガクッ

今日はいろいろ考えながらたどり着いた おかよさん という方のHPを記録しておく。


この方の体験談。。。

泣けた、、、

人間の尊厳(1)

改めて自宅出産のことを考えるに当たり、吉村正著『お産って自然でなくっちゃね−ある産科医の真実の提言』を少し読み返していたら、生命倫理学のキーワード「人間の尊厳」を言い換えた「女性の尊厳」というコトバに行き当たった。(本のこと思い出させてくれた父ちゃん、ありがとう!)

しかしながら私は、産科学を全面的に否定しているのではない。・・・(中略)・・・現在では、お産によって死亡することはほぼ100%なくなった。その成果は偉大ではあるが、・・・(中略)・・・女性の尊厳を保つことのできる自然なお産ができなくなってきたのである。(引用:吉村正著『お産って自然でなくっちゃね−ある産科医の真実の提言』より

「人間の尊厳」は、生命倫理の大きな柱と位置づけられている。わが国の政府(http://www8.cao.go.jp/cstp/jyokyo/index.html)内の生命倫理専門調査会における議論の中でも、「人間の尊厳」は一つの大きなキーワードである。

この調査会では、たとえば、「ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方について」という議題で、ここ何年も議論が続いている。具体的には、ヒト胚をつぶして病気の治療に使ったりしてもいいのかどうかということについて、いろんな 学識経験者 と呼ばれるセンセイ方が あーでもない こーでもない と頭を悩ませているのである。

ここで「ヒト胚」とは、人の受精卵およびそれから一定の成長がすすんだもののこと。つまり、そのまま育てば立派な一人の人間になる可能性があるもののことである。それをつぶして(殺して?)一体どんな病気の治療に、どんなふうに使おうとされているのかというと・・・

対象は、私たちの体が一部、怪我や老化のためにダメになって引き起こされる病気や傷害一般。そのダメになった部分を元に戻そうという医療(「再生医療」という)の材料として、ヒト胚を使うのである。ヒト胚には、私たちの体のどんな部分にでも変化できる細胞がふくまれている。だから、その細胞を頂戴して、ダメになった部分のスペアを作り出して、交換しようというのである。

でも、そんなことしてホントにいいの?

果たして!

センセイ方は、これにゴーサインを出した。しかも、将来はクローン胚を作り出して、それを治療に使うことまで許している。現在は、不妊治療のためにつくられたヒト胚などで、その「持ち主」が納得して提供したものに限って、使ってよろしいということになっているが、この研究が進んで、実際、治療に使えるというところまできた暁には、移植したときの拒絶反応をなくすために、クローン胚をつくってよろしいということにしたのである。クローン胚は、そのまま育てば、クローン人間。くろーん(苦労)するど〜\(-_-; オイオイ

コホン。

で、そんな議論の一体どこに「人間の尊厳」が関わってくるのかというと・・・そんな研究のためにヒト胚を使うことは 人間の尊厳 にかかわるのではないか・・・というカンジ。

「人間の尊厳」って、なんだろな?

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