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「フレッセイ」とは群馬各地にあるスーパーです。 そのお惣菜コーナーのミニソースカツ丼です。 18時過ぎに購入したため半額で149円でした。 お隣の味噌汁はフリーズドライした野菜入りのインスタント味噌汁です。 これも棚卸し商品のため30%引きで73円でした。 本日の夕食は計222円となりました。 まあ、味はどうでも良い感じです。 肉の存在感は極めて低い。 衣に染みたソースの味が全てを支配しています。 味に関しては、肉よりも紅生姜の方が存在する意味がありそうです。 そうは言っても肉の食感、微かでも肉の味がなければ食べられたものではない。 例え薄っぺらで存在感までが薄くても、その役割だけは果たしています。 衣は肉と同じくらいの厚さです。 たっぷりソースが染み込んでます。 しっとりし過ぎです。 さらにレンジで温めるとデロデロです。 そこが貧乏臭くて旨いです。 ソースは甘酸っぱい味です。 どことなくトマトのような酸っぱさです。 デロデロな衣とベストマッチ。 定価で食べる気はしませんが、半額ならありです。
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2007年01月13日
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私の胴長短足・横幅広めの体系はいかに作られたか? なぜメタボ予備軍に編入されたのか? まずはそこら辺りからご説明いたしましょう。 その1として食生活の傾向のご説明です。 私の食生活における太る原因の根底には「出されたものは全部食べる」があります。 残すと不安になるのです。 もちろん勿体無いと思うからなのですが、その思い方がやや強迫観念めいています。 それは母からの「後天的遺伝」のようなものです。 幼少期に極貧と言って良い生活だった私の母は食べ物に関して厳しい人でした。 マナーとかエチケットという事ではなく食べ物に関する考え方が厳しいのです。 食事では飯粒一つ残すことも許しません。 幼い頃。 苦手だったカリフラワーを兄妹揃って2時間かけて泣きながら食べたこともありました。 私が冷飯を嫌って食事を抜いた時、母は私を正座させて泣きながら1時間叱り続けました。 「食べ物を粗末にすれば、必ず将来食べ物で苦労する」と。 (この教育にも拘らず、残念ながら私は今でも冷飯が苦手です。茶漬けでしか食べられません。) 基本的には”正しい”教育だったのだろうと思います。 しかし、これが私の横幅広め体系に相当の影響を与えているのは間違いありません。 次に濃い目の味付けです。 これも”家”から引き継いだものです。 うちの父は大分出身、母は愛媛出身です。 どちらも西の出身なのです。 その二人が東京で結婚して家庭持ったのでありました。 であれば薄味でも良さそうなものですが、 父が肉体労働に従事していたせいなのか、醤油・味噌も濃い目でした。 しかも決して裕福ではなかったので廉価な醤油・味噌を購入します。 東京で安い醤油・味噌は、当然大量生産された関東風になるのは理の当然です。 西の影響で出汁もしっかりとって、醤油・味噌でばっちり味付けとなる訳です。 味が濃ければ白飯が進むのも理の当然です。 幼い頃ご飯で苦労した母はご飯だけは腹一杯食べさせることに幸せを感じていたように思います。 贅沢なおかずなど一切並びませんでしたが、白飯だけはたっぷり炊いていました。 お替り2杯は当たり前だった私は「牛に引かれて…」的に親孝行をしていたことになります。 (飯ばかりやたらと炊きますから、私の苦手な冷飯もたっぷり残ることになります。 しかし、私は考えました。 『冷飯の残りが少なければ、自分が冷飯を食う可能性はその分低くなる。 だったら、なるべく冷飯が残らないように食ってしまえば良いじゃないかと』。) そして、極め付けが遅い時間の夕食です。 父は前述の通り肉体労働に従事していたのですが、 それが朝の4時に出て、早くても夜の8時に帰ってくるというものでした。 朝に父の顔を見ることはまずありませんでした。 そこで母は考えました。「夕食だけは家族揃って食べよう」と。 健康を考えたら最悪なのですが、その頃は今ほど社会的に健康志向ではありませんでしたからね。 むしろ、家庭の在り方を大切にする方が価値的とされた時代です。 父母ともに学問が無いので、健康ということに頭が働かなかった可能性も無いでは無い。 ただ、精神面は健康に育ったと考えれば、これも”正しい”教育だったのでしょう。 こう整理してみると、太る訳だと思います。
しかし、ある程度の年齢になってからの体の管理は自分の責任です。 その2では運動面にスポットを当てて自分の責任の所在を明らかにして行こうと思います。 |
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