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去る8月9日の反露デーは、日曜日ということもあって我が全日本愛国者団体会議関西地区も、新井聖道地区長以下15車両60名が参集 近頃では、久々の動員となった。
8月9日と言へば、長崎の原爆の悲劇ばかりが叫ばれて 日ソ中立条約を一方的に破棄して対日侵略を開始し、北方領土を強奪し 更には我が皇軍将兵をシベリアに抑留虐殺した旧ソ連乃ち、現在の露西亜の非道は語られる事が、極めて少ない。
これが為に、我等行動右翼は8月9日を「反露デー」と定めて 永年に亘って北方領土奪還を叫び、反露行動を展開しているのである。
ソ連邦が崩壊するまでは「反ソデー」だったんだけどね。
先日、愛国さんのブログで「通州事件」と言うシナ人による日本人虐殺事件を取り上げていたが、ソ連人によって日本人が 耳を削がれ、鼻を削られ、腕を落とされ、足をもがれて虐殺された「尼港事件」というのもある。ロシア革命の頃のことだけどもね。
当時の我が国政府は、その残虐さのあまりすぐには事件を公表し得なかった程である。
ソ連の尼港と言う港町に、貿易を営む日本人が100人程住んでおった。この在留邦人を護る為に小規模の我が帝国海軍陸戦隊が駐屯しておったんだが、そこへソ連赤軍の大部隊が侵攻してきて白ロシア人を虐殺し始めた 陸戦隊は在留邦人を頑なに警護していたんだが、白ロシア人を虐殺し尽くしたソ連赤軍は遂に矛先を日本人にむけてきたんだわ。衆寡敵せず陸戦隊は勇戦奮闘の末 玉砕し、後に残された婦女子老人傷病兵は 建物の一室に監禁され それから毎晩一人二人と引き出されて、既述の如く惨殺されていったんだわ。その日本人の悲鳴が一ヶ月に亘って尼港の町を震わしたと言う。
交代の陸戦隊が到着したときには、とき既に遅し。監禁されていた部屋の壁には、最後の一人が死に絶えるまで、刻々と虐殺の状況が血書で認められていたと。そして、虐殺処刑現場の隣室は壁から天井まで血飛沫の血痕で部屋中ドス黒くくすんでいたと言う。
陸戦隊は、血涙を絞りながら惨殺された日本人の遺体処理をしたんだわ。
この尼港事件の惨劇が、日本軍をしてシベリア出兵を決断させる要因の一つにもなっている。
その恐怖や想像に余りあり。その無念や断腸の思いあり。当に鬼畜の所業とは、この如きもの。これが、ロスケの正体よ。
軍部は怒った。「ロシア討つべし」と。ところが当時の政府は、この「尼港事件」を闇に葬ろうとしたんだわ。今も昔も、政治家輩の国民の生命を軽んずる姿勢は 何等変わってはおらぬ。
「拉致被害者を金で買い取れ」と言う小沢輩の発言、日本人を拉致して返さぬ国に人道支援と言って、米をただで呉れてやった野中広務輩 国賊売国奴に違いないわな。しかし、斯かる類いの奴輩を政治家に選んでおるのは 何と言っても国民よのぅ。
我々は、「ロシア討つべし」との当時の軍部の一念を胸に されど撃つに銃無く斬るに剣無き徒手空拳なれども、言霊の大砲を大阪は豊中のロシア領事館に対してぶっ放してきましたわ。
しかし、言霊の大砲にすら官憲どもは規制をかけるんだからなぁ。やりきれんわ。でも、小2の長男と小4の次女がコンビ良く頑張ってたわ。
「返せ 返せ 北方領土」「出て行け 出て行け ロシア」とね。
ガキどものシュプレヒコールには、官憲どもも手が出せなかった様で。その内、教唆でこっちが持っていかれそうだわな。小5の長女は、子供遊撃隊の指揮役だな。
久々に家族総出の街宣でした。
左翼の様に片手落ちにならぬよう、ちゃんとアメリカ領事館も回ってきましたよ。更に共産党の無届け街宣中の大型街宣車を排除するというオマケまでつきましたわ。。
昼の弁当を御馳走して下さった全愛会議顧問 友田先生有り難うございました。また、全愛会議関西地区の同志の皆さんお疲れ様でした。
後 一踏ん張り。8/15が過ぎれば、選挙も始まるし 暫くはゆっくりできるわ。
同憂同志の皆さんも、暑さ厳しいおり柄 ご自愛ください。
では、御機嫌よう。
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