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兼ねての予定通り、靖国神社防衛行動に参加した。小泉の靖国参拝時以来の参加となった。
先ずは、靖国防衛行動に就いて説明しておこう。
その起こりは、国賊社会党首班の村山内閣の頃に遡る。
当時、正午の黙祷に合わせて 靖国神社に隣接する法政大学の学生会館の屋上より、反日極左暴力集団たる「中核派」が拡声器を使用して黙祷を妨害するのが常態化していた。また、靖国通りの九段坂上周辺は 反日左翼のデモ隊が喚声を上げながら終日往来する有様であった。そして、未だ元気であった戦友会の元歴戦の強者の爺さん方を、痛く悔しがらせていたのである。
ある年 涙を流して悲憤慷慨する様子を視た在京右翼の若手が「歴戦の元皇軍将兵のお年寄りを、これ程まで悔しがらせるのは我等若人の不徳のしからしむる処、靖国を左翼の妨害より護れ」と檄を飛ばし 右翼の若手が超党派的に参集したのが、その始まりである。
当初は関東近辺の若手同志が大半であったが、回を重ね年を経る毎にその規模は拡大し 今では全国規模の行動となっている。
この「靖国防衛行動」が効を奏して、左翼のデモ隊は靖国通りの九段下交差点及び市ヶ谷駅の交差点より靖国神社寄りには、入れなくなっておるし、また中核派も法政大学構内から閉め出されて、黙祷妨害行為はできなくなっている。
しかし、この戦果を勝ち取る為にどれ程多くの逮捕者を出してきたことか。その反面、逮捕者の数以上の国賊を血祭りに上げたと言うことでもあるわけだがな。
ところが靖国神社に近寄れなくなった左翼どもは、集会で畏れ多くも先帝昭和天皇の御真影を足蹴にし、御真影を引きずり回してデモをするという八つ裂きにしても飽きたらぬほどの許し難き蛮行に及んでいる。
これに対し、右翼側も行動右翼のみならずネット右翼や保守系市民団体勢力の若手にいたるまでが、果敢に突撃して粉砕を試みるのであるが、二重三重に警備する機動隊に阻まれて 忌々しいかな国賊どもの為すがままと言うのが実際のところである。今年もそうなってしまった。
街宣車では到底デモ隊に近寄れぬ。街宣車を路地裏のコイン駐車場に入れて、隊服を脱ぎ捨てて徒歩でデモ隊に接近しようとするのだが、デモコースの大通りへの出口は全部封鎖されて、フェイントをかまそうが 体当たりしようが どうしても突破できぬ。そこでタクシーで解散地点の西神田公園に先回りしたが、タクシーのナンバーを通報されて検問箇所の先には入れぬ。タクシーを乗り換えて 辛うじて公園入り口に乗り着けて公園内に飛び込んでみたものの機動隊が一斉に襲いかかり、雁字搦めにして強制排除だわな。
反天連の輩どもは、機動隊に守られて我等右翼陣営が手を出せないのをこれ幸いと不敬行為をいよいよエスカレートさせているのが現状である。
「警察が守るから 左翼が図に乗るんだ」と言う声が、一般市民の間からも起こっておりましたわ。
官憲どもよ この市民の素朴な声を、真摯に聴け。
一歩譲って デモ集会は憲法が保障するところの政治活動の一環 国民の権利として認めよう。しかし、仮にも口に「護憲」を叫ぶ者が その憲法の冒頭に於いて「国家国民統合の象徴」と謳う「天皇陛下」の御真影を足蹴にして引きずりまわすのを承知で、斯かる集会デモに警察が何の規制も加えずに許可を出す事自体 おかしなことだ。
我々が 外国元首の写真を足蹴にし 引き摺り回すデモ集会をやって警察は黙ってそれをやらせるかよ。
一般国民の皆様方よ。例えは上手くないかも解らんが、愛しい妻子が はたまた親兄弟が暴漢の集団に捕らわれて、嬲り殺しにあいよるのを助けに行こうとして警察に阻まれて、為す術もなく傍観せざるを得ぬときの憤怒というものを想起して頂きたい。
この日の我々の思いは、当にこれと同じ憤怒なのですよ。
遣り切れぬ無力感に苛まれる一日でしたわ。
然し、今思い返しても 何処にこれ程の体力があったのかと思うほど、都内を走り回ったことか。未だ筋肉痛がとれぬわ。
来年は、全員銀輪部隊で突撃じゃぁ。
因みに、この日は3回戦となった。
0500時頃都内入りした我々は、事前情報に基づき反天連の集会場所たる西神田公園を事前占拠すべく現地に直行
0530時頃より公園内にブルーシートを敷いて仮眠す。
0700時頃神田署の官憲の接触あり。よくよく聴く処によると、出発地点に非ずして解散地点なりと。然も1630時からのデモにて、その間デモ集会の無き模様なり。協議の結果、一旦撤収し外濠公園の中核派の集会に向かうべしと。
0800時関東部隊の合流を待って総勢約50名 靖国神社に再結集の後、徒歩にて外濠公園に向かうも時既に遅し。機動隊の警備堅固にて之を突破する能わず。デモ隊が靖国神社から遠ざかるのを見届けて、一旦散会。
1230時頃九段下交差点に「平和遺族会」の左翼デモ現るとの報に接し、之を追撃し錦華公園に至るも機動隊が為に撃退不能。再び靖国神社に引き上げて本命たる「反天連」のデモを迎え撃つべく待機す。
1630時デモ隊出発の報入るや、街宣車・徒歩の二部隊に分かれて靖国神社を出撃するも機動隊の規制により所定の待機位置に到着すること能わず。更に徒歩部隊の如きは3分断されて機動隊に包囲され脱出不能なりと。合流不可能に就き各自の判断にて最善を尽くすべきことを申し合わせ吾輩以下3名は、西神田公園への先回りを決断し、以下既述の如し。
全員が合流し得たるは、デモ隊解散後の1900時頃なり。
早朝より終始行動をともにしました愛知県は皇道維新聯盟の皆さん、愛国響会・神風会の皆さん 吾輩の一存で無理矢理動員しました日民同元愛知県本部の皆さん 解散地点の西神田公園で最後まで強硬な抗議活動を展開されてました神民塾とその関係者の皆さん 更には同じ思いの下個々に結集されました未知の方々も含む在京同志の皆さん 炎天下お疲れ様でした。
今年の惨ざんたる敗戦を教訓に、来年の青写真は既にできておる。
来年は、見事国賊どもを撃退してみせようぞ。
同憂同志の皆さん、乞うご期待。では御機嫌よう。
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