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年が明けて3月にもなり、幾分寒さも和らぐ頃になると最早「我に抗する獄卒無し」という状況になってくる。
真冬の間は、こちらも寒さを凌ぐだけで精一杯で直接的な抵抗運動までは余裕がない。
無事に越冬したという安堵感と、これから先の季節は既に経験済みという自信とで精神的余裕が出てきた。且つ又、日毎に暖かくなる保護房の中で暖を取るための運動を終日続ける必要もなくなったことで、有り余る時間を持て余す様になってきた。
そこで何ぞ妙案は無いかと思案した結果、昼間ぐっすりと眠っておいて夜通し騒ぎ続けることにした。
保護房には、外気吸入用と内気排気用の2つの換気扇があるということは以前記したが、夜中換気扇が回る度に排気用換気扇の口を座布団代わりの毛布の切れっ端でバンバン叩く訳である。
すると、排気口が通風筒になっているのでラッパ効果を発して房外に「ドーンッドーンッ」と、まるで大太鼓を叩いている様に響き亘るのである。
刑務所の夜は、全監房棟煌々と電灯は点いているものの無人の如く静まり返っている。
その静寂を打ち破るかの如く大太鼓が鳴り響くのであるから、警備隊が慌てて駆けつけてくる。
警備隊曰く「桂田っ 何やってるんだーっ」
吾輩答えて曰く「換気扇からゴミが逆流してくるのよーっ だから叩き出してるのよなーっ」と。
「それなら昼間にやらんかーっ」「そりゃ無理だよ ほーって置けば房内ゴミだらけで寝れんもの」などと暫く押し問答の末、「処置無し」と諦め顔で引き上げて行くのである。
幸いな事に保護房の隣りが、当直看守の仮眠室となっている。
そんなことを毎日の様に繰り返していると、気心知れた看守が当直の日などは「今夜もやっぱりやるよなーっ 今夜は俺 当直だから宜しく頼むよーっ」と言ってくる。
おおよそ幹部連中に対しては、徹底的に抵抗して些細な事でも噛みつく。しかし現場の末端職員に対しては、これが幹部の犬でない限り極めて従順に従う。
斯様な応対を徹底していくと、殆どの現場の職員は吾輩の味方に変身するのである。
定年まで前橋刑務所に縛られて一生を終わる地元の看守からすれば、勝手に来て好き放題に刑務所内を引っ掻き回して、またすぐに去って行く高級幹部に対し余り良い感情を持っていないようである。
「今日は首席が当直だ」とか「何日は統括だ」とか教えてくれ始末である。
声を嗄らして「今夜の夜勤はお休みだぁ」などと言おうものなら「そんな事でどうするっ 気合い入れて今夜も頑張れーっ」と叱咤激励していく者まで現れる。声に出せないので、視察孔のガラスを使っての筆談であるが。事前に用意したメモを視察孔越しに提示する者までいる。
一種愉快な保護房逗留戦の終盤であったわな。
このように悠々自適の保護房生活を過ごしていた4月の30日、突然面会の呼び出しである。
抑も保護房入房中は、面会・発受信は一切禁止のはずである。不審に思い理由を問うと「所長裁量だ」と言う。して誰かと問うに「お母さんだ」と答える。「成る程なぁ」と一人合点しながら応じる旨返事すると、それからが大変だ。
その前に散髪・髭剃りをすると言う。バリカンと床屋道具一式を持った内掃夫という担当の懲役囚が来て保護房内での散髪・髭剃りである。さっぱりした所で真新しい獄衣に着替えて、いざ面会室へ。
時間無制限の特別面会が終わり面会室のドアを開けた途端、首席を筆頭に処遇部門の幹部連中がドア越しに聞き耳を立てているではないか。
吾輩の出て来るのが早すぎて、身をかわす余裕が無かったらしい。バツの悪そうな顔つきで揃って突っ立っておったのが、今思い返しても可笑しくて独り笑いが込み上げてくる。
お袋は刑務所側から紹介されたホテルに一泊して、翌日も面会に来て帰って行った。
お袋曰く「そんな何ヶ月も陽の当たらん所に居たら骨粗症になってしまうでぇ」と。吾輩思案して曰く「そうかぁ それは具合悪いなぁ じゃぁ出ることにするわぁ」
ということで昨秋10月から半年に亘る保護房逗留戦は終了となり、以後満期までの半年間は舎房抗戦へと移行するのである。
謂わばお袋によって刑務所は助けられた様なものである。
ホッとしたのも束の間、舎房抗戦に依って刑務所側は更に過酷な運命にさらされる事になるのである。
では、次回最終章「舎房抗戦」をお楽しみに。
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