桂田智司・右翼の寝言

愛国の狂気が救う大八洲 寝ても尊皇 起きては勤皇

獄中闘争記

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本題に入る前に、前回の記事中誤りが発見されましたので、先ずはその訂正をしときます。
お袋の面会が「4月30日」と記してましたが、「3月31日」でした。

獄中5度目にして最後の「昭和節」を保護房に在って、心ゆくまで奉祝の軍歌演習を為し4月30日逗留戦を打ち切って保護房を出房し、約半年振りに2舎1階29房の独房に還房した。

保護房の利点は、大声で何物にも遠慮無く軍歌演習が出来ることである。刑務所で大声を張り上げることなど、普通に受刑者生活を送っておれば先ず出来ない。一般房に居たころ、たまーにラジオから軍歌が流れることがあるのだが、嬉しくて無意識の裡に唱和している。ほとんど声を出していないつもりが士気が高揚するので、ちょっとづつ大きくなってくるらしい。それでよく看守から注意され忸怩たる思いをしたものである。

だから保護房での軍歌演習は、唯一の楽しみであった。
事ある毎に、やれ「大詔奉戴日」です 「天長節」です 「紀元節」です 「2・26事件記念日」です 「陸軍記念日」ですと理由付けして終日の軍歌演習をしていたのである。

還房翌日より半年遅れの懲罰執行である。従う訳がない。
一日何件と目標を立てて、職員巡回の度に違犯行為を繰り返す。そして違犯事由告知の為にその都度取り調べ室への連行であるから、独座して居る暇とてない。夜中でも巡回の気配を感じると、待ち構えておって違犯行為を行うので、2日目からは一日分を纏めて夕方か翌朝に呼び出して告知する横着さである。
仕舞いには視て視ぬ振りをして通り過ぎようとする始末である。

現場の職員が云うには、違犯行為の検知報告書は職員の休憩時間に書かねばならぬから、そう何件もやられると報告書の作成だけで休憩時間が潰れてしまうのだと。

罪無き末端職員に対して「それはかわいそうだ」ということで、それでは幹部巡回の時だけにしようと云う事になった。

若い職員の中には、日勤或いは夜勤の上がり前にわざわざ謝辞を述べて行く者さえ現れ始めるのである。

それでも懲罰期間は着実に過ぎ去り15日に解罰となったものの、引き続き取り調べの独居作業である。この期間は工場出役囚と同じ扱いになるので、溜まった差し入れの機関誌類や手紙を読み、或いは懲罰執行状況を書き綴り、面接願箋や検閲官及び法務大臣上願を作成し、次の懲罰執行に備えるのである。

そして6月10日突然の懲罰審査会である。
官賊の首魁たる処遇首席の列席はないではないか。その上処遇部長は新任である。先ずは違反行為の数が噛み合わないので口論となる。

処遇部長激昂して曰く「お前は何様のつもりだぁー」と。
吾輩答えて曰く「日本人のつもりだぁー」と。
するとあろうことか「お前は恥ずかしい日本人だぁー」と暴言を吐くではないか。「何を抜かすかぁー 国家の禄を食いながら国家の危急に平々凡々としながら、仮に尖閣諸島の一つでも視てみろ、今これを死守しているのは、誰ぞ。我等右翼の同志先輩達ではないか。貴様に斯様に言われならん筋合いはない」と反論し、スリッパを片手に歩み寄ろうとすると、すかさず警備隊が吾輩をなだめにかかる。

以前ならば「暴行の気勢」ということで、保護房入房となるところだけどねぇ。「最早上の言う通りにしても事態は更に紛糾するだけで、事は解決しない」と現場は実感してたのだろうねぇ。
とんだ懲罰審査会だわな。罵り合いに終始して何も審査しなかったくせに、それでも翌日、懲罰執行の言い渡しである。
然も通常にはあり得ぬ教育首席の言い渡しとなった。

審査会開催前に列席の課長間で激論が交わされたらしい。
前出の分類課長を始め処遇部門外の幹部は「桂田の言い分にも一理ある。そんな形式ばったことの繰り返しでは事態は解決せぬ」と大分吾輩を弁護してくれたということを後日聴いたが、権力呆けした強欲爺共は事態の解決よりも面子を選んだのだろうねぇ。
そしてその結果、強権発動を以て保たんとした面子は逆に完全に潰え去ることになるのである。

懲罰期間中、通常は正規の懲罰姿勢で独座して居る吾輩が、所長以下の幹部巡回の折になると当人共を捉えて暴言を吐き、無視するとそれを茶化して同囚の笑いを誘うもんだから仕舞いには巡回に来なくなってしまった。
そこで「それでは職務放棄じゃろう」と指摘すると、通常幹部巡回の際は舎房の担当職員が「現在員何名 異常無し」などと軍隊調の大声を張り上げて申告するのだが、吾輩に気配を察知されぬ様小声で申告を受けて、隠れる様にこそこそと去って行く始末である。

最早、上席矯正処遇官の威厳も地に堕ちたりという態である。

この様に始まった獄中最後の懲罰執行であるが、開始二日目にしていきなり転房である。
何処へ転房かと思いきや 5舎3階24房という。5舎は受刑者には縁の無い未決監房である。
その3階は満期房であるが、通常満期出所者は3日前に此処に上がってくる。そこの一番隅っこの監視カメラ付きの独房に転房というのである。

当時半分空房であったから幹部共は、我が房の前まで巡回せずに引き返してしまう。舎房担当は何くれと世話を焼いてくれる。解罰までは敵が出てこないのだから戦い様もない。
そこで戦線復帰に備えての体力づくりに専念することになる。汗だくになって運動をし、刑務所では中々うるさい水をふんだんに使って拭き身をして後はごろ寝の毎日である。

解罰になっても房内作業をやらせない。夜は一般受刑者と同じ扱いである。
ある日、この扱いの法的根拠を問い糺したところ何と「行刑処分対象外扱い」などと訳の解らぬことを言うではないか。
詰まる所「懲役囚を懲役囚として扱わぬ」ということらしい。

出獄後法務省に抗議に行った際、説明を求めたところ「そのような扱いは法律上無い」と回答しおった。

昼間は体力作りに勤しんで、夜は獄中闘争で等閑になっていた座学と読書に精を出し、戦線復帰までの4ヶ月程を悠々自適で過ごしたのである。

因みにその後の福岡刑務所のときは、吾輩の監房前だけに廊下幅の半分の位置に天井まで板囲いをして完全に隔離するという念の入れようであった。
                                  完
質問・疑問・意見等御座いましたら遠慮なくコメント下さい。

尚、この前橋刑務所の獄中闘争は、決して吾輩独りで成し得たものではありません。有形無形の多くの同憂同志の支援有りたればこそであります。

官賊の暴虐は、岡山刑務所に於いては面会人を標的に、名古屋刑務所では受刑者を対象に制圧行為にかこつけた殺人行為にまで発展しております。然もこれらは獄吏獄卒個人の資質というよりも、刑務所の秩序維持という大義名分の下に職権の発動として行われております。

一歩誤れば吾輩もまた、岡山や名古屋の如く官賊に依って抹殺されていたかも知れないのです。
併し、獄吏獄卒をしてそうさせ得なかったのは吾輩の周囲にそれを許さぬ無言の力が存在していたからに他なりません

その無言の力こそ、同憂同志の存在そのものに他ならないのであります。
既に幽明境を異にされた先輩諸先生もおられます。
獄中闘争記を終わるに当たり、ここに謹んで感謝申しあげます。






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年が明けて3月にもなり、幾分寒さも和らぐ頃になると最早「我に抗する獄卒無し」という状況になってくる。

真冬の間は、こちらも寒さを凌ぐだけで精一杯で直接的な抵抗運動までは余裕がない。
無事に越冬したという安堵感と、これから先の季節は既に経験済みという自信とで精神的余裕が出てきた。且つ又、日毎に暖かくなる保護房の中で暖を取るための運動を終日続ける必要もなくなったことで、有り余る時間を持て余す様になってきた。

そこで何ぞ妙案は無いかと思案した結果、昼間ぐっすりと眠っておいて夜通し騒ぎ続けることにした。

保護房には、外気吸入用と内気排気用の2つの換気扇があるということは以前記したが、夜中換気扇が回る度に排気用換気扇の口を座布団代わりの毛布の切れっ端でバンバン叩く訳である。
すると、排気口が通風筒になっているのでラッパ効果を発して房外に「ドーンッドーンッ」と、まるで大太鼓を叩いている様に響き亘るのである。

刑務所の夜は、全監房棟煌々と電灯は点いているものの無人の如く静まり返っている。
その静寂を打ち破るかの如く大太鼓が鳴り響くのであるから、警備隊が慌てて駆けつけてくる。

警備隊曰く「桂田っ 何やってるんだーっ」
吾輩答えて曰く「換気扇からゴミが逆流してくるのよーっ だから叩き出してるのよなーっ」と。
「それなら昼間にやらんかーっ」「そりゃ無理だよ ほーって置けば房内ゴミだらけで寝れんもの」などと暫く押し問答の末、「処置無し」と諦め顔で引き上げて行くのである。

幸いな事に保護房の隣りが、当直看守の仮眠室となっている。
そんなことを毎日の様に繰り返していると、気心知れた看守が当直の日などは「今夜もやっぱりやるよなーっ 今夜は俺 当直だから宜しく頼むよーっ」と言ってくる。

おおよそ幹部連中に対しては、徹底的に抵抗して些細な事でも噛みつく。しかし現場の末端職員に対しては、これが幹部の犬でない限り極めて従順に従う。
斯様な応対を徹底していくと、殆どの現場の職員は吾輩の味方に変身するのである。

定年まで前橋刑務所に縛られて一生を終わる地元の看守からすれば、勝手に来て好き放題に刑務所内を引っ掻き回して、またすぐに去って行く高級幹部に対し余り良い感情を持っていないようである。

「今日は首席が当直だ」とか「何日は統括だ」とか教えてくれ始末である。
声を嗄らして「今夜の夜勤はお休みだぁ」などと言おうものなら「そんな事でどうするっ 気合い入れて今夜も頑張れーっ」と叱咤激励していく者まで現れる。声に出せないので、視察孔のガラスを使っての筆談であるが。事前に用意したメモを視察孔越しに提示する者までいる。

一種愉快な保護房逗留戦の終盤であったわな。

このように悠々自適の保護房生活を過ごしていた4月の30日、突然面会の呼び出しである。
抑も保護房入房中は、面会・発受信は一切禁止のはずである。不審に思い理由を問うと「所長裁量だ」と言う。して誰かと問うに「お母さんだ」と答える。「成る程なぁ」と一人合点しながら応じる旨返事すると、それからが大変だ。
その前に散髪・髭剃りをすると言う。バリカンと床屋道具一式を持った内掃夫という担当の懲役囚が来て保護房内での散髪・髭剃りである。さっぱりした所で真新しい獄衣に着替えて、いざ面会室へ。

時間無制限の特別面会が終わり面会室のドアを開けた途端、首席を筆頭に処遇部門の幹部連中がドア越しに聞き耳を立てているではないか。
吾輩の出て来るのが早すぎて、身をかわす余裕が無かったらしい。バツの悪そうな顔つきで揃って突っ立っておったのが、今思い返しても可笑しくて独り笑いが込み上げてくる。

お袋は刑務所側から紹介されたホテルに一泊して、翌日も面会に来て帰って行った。
お袋曰く「そんな何ヶ月も陽の当たらん所に居たら骨粗症になってしまうでぇ」と。吾輩思案して曰く「そうかぁ それは具合悪いなぁ じゃぁ出ることにするわぁ」
ということで昨秋10月から半年に亘る保護房逗留戦は終了となり、以後満期までの半年間は舎房抗戦へと移行するのである。

謂わばお袋によって刑務所は助けられた様なものである。 

ホッとしたのも束の間、舎房抗戦に依って刑務所側は更に過酷な運命にさらされる事になるのである。

では、次回最終章「舎房抗戦」をお楽しみに。





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保護房内は46時中殆ど変化が無いと言う事は、以前に記した通りである。
「今、何時頃」という時間の経過が、皆目わからぬ。
まるで止まってた時間の中で生活している様な感覚である。
そのことをこれ幸いと看守どもは時間にいい加減になる。

特に食事の配食時間が、看守のご都合次第となるのである。と言っても早くなる事は、先ずあり得ない。
真冬の朝食に「冷やしみそ汁」がでる。また、表面の油が白く固まった「冷やしすき焼き」がでたりする。

刑務所の食事は、独居拘禁者の場合三度の食事を居房内で食うが、工場出役者は昼飯のみ工場の食堂で食う。

食事の配膳配食は、担当の懲役囚が看守の監視下にこれを行う。
保護房入房者は、この配食された食事を出前の「おかもち」に似た箱に入れて看守が運んでくるのである。

通常は、配食終了直後に運んで来るからそれ程冷めないのであるが、質の悪い看守になると「カラ下げ」後の食器洗いを見届け食事の立ち会い勤務が終わり、休憩に上がるついでに運んでくる。そうなると、配食から悠に30分は経過している。その間、舎房外の廊下に「おかもち」を置いているので、冒頭の様な「冷やしみそ汁」や「冷やしすき焼き」が出来上がってしまうのである。

そして、毎度その「冷やし」を持ってくる看守は決まっているんだなぁ。

だからこちらも、「担当さんよぅ、真冬に冷やしすき焼きかぁ、前橋刑務所も中々粋なことをやるねぇー」などと嫌みの一言も言ってやるんだが、無言で食事を差し入れた後「うるせぇー」と言わんばかりに、食器孔の蓋を勢いよく閉めて帰って行くんだな。

こちらに看守個人を特定されていないと思って、そういう嫌がらせをやるんだな。反面、巡回視察などで吾輩の方から看守の顔が確認出来る場合は、極めて大人しく振る舞っているわけよ。

併し、配食時の指輪の特徴とか、靴飾りの特徴とかを丹念に観ておれば個人を特定するのなんか簡単だわな。

ある朝など、みそ汁の上澄みだけを持ってきたこともある。
後日舎房主任に「先日は珍しく朝から澄まし汁が出たよ。ここに来て初めてだねぇ」と言うと、暫く考えて苦笑いしながら「よく言っとくよ」と帰って行った。
年が明けると、本来はあり得ない事なんだけれども日夕点呼をとる様になった。そしてその都度解錠開扉する。併し、万一に備えて警備隊や手余り職員合わせて10名程が立ち会うのである。

ある日、その中にこの性悪看守がシラッとした顔で立ち会って居たので、詰問してやったらとうとう自白した事がある。

それからの食事というものは、熱っ熱っのホッカホカ 主食の麦飯だけは当時3等級に区分されていて融通出来ないが、具やおかずは常に大盛り、「熱いからこぼすなよーっ」などと言いながら足下の食器孔から差し入れてくる。ちょっと冷めてるときや遅れた時などは、吾輩が何も言わんのに看守各人が尤もらしい言い訳を自主申告して行くのが慣例となってしまった。
「最早桂田を誤魔化すことは出来ない」と漸く悟ったのであろう。

では吾輩はどうやって時間を計り、看守どもに噛みついていたのであろうか。

「軍人勅諭」全文を自分自身の常のペースで暗誦すると、約15分になる。これを基準にして換気扇の回る時間とその間隔を計ったところ大体15分づつであった。そこで朝飯後換気扇が何回まわると昼飯が来るか。昼飯後何回目位で晩飯が来るか。という具合である。

又、朝は点呼後朝飯までの間、欠かさず「祝詞」をあげる。そして朝飯が正しい時間に配食されているかを知るのである。

はたまた、朝の出役及び夕の還房時は全受刑者、全職員が慌ただしく動く訳だから刑務所全体がざわつく。そしてこのざわめきは年中誤差無く続くので時間を計る目安にするには、丁度よかった。

ただ、夕食後から翌朝の点呼時までは皆目時間の推移が判らぬ。
なんの変哲もない朝だと解って居ても、朝が来るのが何時も待ち遠しかったなぁ。なんせ保護房の中で朝を迎えると言うことは、無事に一日娑婆に近づいたと言うことだから。
時間の経過、日月の推移に無頓着になってしまえば、精神の正常を保つことはできんだろう。と思ったもんだわな。

保護房越冬の自信は、攻守所を替え看守どもは最早下僕のごとくである。

軍歌演習や運動の合間に、休憩がてらちょっと大人しくしていると処遇首席自らが駆けつけて「保護房解除」を言い渡そうとする。そこで吾輩は解錠開扉された保護房の中で、軍歌演習を再開する。
以前ならば「座れーっ」「大人しくしろーっ」と怒鳴り散らして、忌々しげに房扉を勢いよく閉めて帰っていたのが、この頃になると暫く吾輩の様子を無言で眺めた後、「今日もダメか」というように力無く房扉を閉めて帰っていくのである。その後ろ姿は、まこと憐れですらあった。当に敗軍の将の姿そのものである。

ある日吾輩曰く「よぅ 爺さんよう 元々貴様の対応の仕方が間違ってたから事此処にいたったんだろうが、だから一言ご免なさいと言え。そうすれば全てを水に流して、残りの刑期を模範囚として務め上げてやる」
首席力無く答えて曰く「この制服を着てる以上それは出来ぬ」と。

後日他の職員が言うには「首席が懲役に謝るなんて言うことはお前なら分かるだろうが、大将中将の将官クラスが二等兵に謝るのと同じだよ。そんなことお前の好きな軍隊でありえるか」と。
吾輩反論して曰く「名誉ある軍隊を引き合いに出すとは何事じゃ、この獄吏獄卒ぶぜいがーっ」「抑も何が将官級じゃーっ所長で精々連隊長、その下じゃから大隊長止まりじゃわい。なにを偉ぶっとるんじゃ」と。

斯様な具合で、攻守逆転した保護房逗留戦は更に続くのである。





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赤城おろしが吹きつける前橋刑務所の冬は、雪こそ年に一・二回と少ないが非常に寒い。冬場は運動場が凍てつくので、午前中の運動は怪我防止ということで殆ど講堂内となる。

前橋刑務所の保護房は、2監房一対で4監房ある。
一対は未決用である。これは窓も大きく極めて日当たりが良く、外気吸入用換気扇も収容者に風が当たらぬ様に配慮されているし、監房自体が一般独居房と同じ3畳程の大きさで一般房と違って完全密封であるから、昼間など一般房に居るより暖かい位である。

同じ保護房でも、既決用とは比較にならぬ良い環境である。
併し保護房には変わりなく謂わば、牛馬用VP室とでも言うべきものであろう。

既決のお前が、何故未決の保護房を知っているのか。と思われるであろうが、実は既決用保護房の改修工事があって、2週間ばかり転居してたことがある。

余談になったが、凍てつく保護房の中でどの様にして越冬したか。

本来は、房の真ん中にじっと座ってなければならないということは、以前に記した如くであるが、如何せん寒くてそんな事はしておれない。腕立て伏せをしたり、駆け足をしたり、ウサギ跳びをしたり、腹筋をしたりと体を動かしていなければどうにもならぬ。

さりとて、そんな事は何時間も続けられぬ道理である。仕舞いには、筋肉痛で体が動かなくなってしまう。併し、動きを止めるとすぐに寒さが襲ってくる。
汗をかいた後に、万悪く換気扇が回ろうものなら寒さで歯がカチカチと鳴り身体の震えを止める事が出来なくなる。
そこで、換気扇の真下の壁に身体をへばり付けて、辛うじて風を避けるのである。
そして、換気扇が止まると また運動を始めるわけであるが、最初色んな運動で身体を温めておいて、その後はゆっくりとしたペースで腹筋を続け体温を保持し、冷めると再度運動を始めるという事を終日繰り返すしかない。

そうやっていると、最初100回も続けられなかった腹筋が、2ヶ月が過ぎ3ヶ月も経つ頃になると、大げさじゃなくて1000回・1500回と続く様になってくる。

昼夜の別なく24時間、軍歌演習を始めこれらの運動を反復しながら暖をとるしか寒さを凌ぐ術がない。

何せ、房内は46時中同じ明るさで、昼間は明かり窓が白く夜は黒くなるという位しか変化が無いわけであるから、夜になれば自然と眠くなるという通常の感覚が無くなってしまう。

腹筋を続けていて、疲れ果ててそのまま寝入ってしまい、暫くして寒さで目が覚めて再び運動で暖をとる、という具合である。

人間の身体というものは、ある程度その環境に順応する様に出来ているのであろう。ピーク時には、寝不足気味で意識朦朧となりかけた時期もあったが、これを乗り切った頃からは斯様な小間切れの睡眠でも、寝不足を感じなくなったものである。

正月が近づいて来ると幹部連中の懐柔策は一段と露骨になり、処遇統括の如きは、食器孔の外に茣蓙を敷いて座り込み「桂田ようっ、早く出ようよーっ。暖かい風呂にはいろうよーっ」「舎房でゆっくりお正月を過ごそうよーっ」「正月休み期間は、懲罰の執行は停止になるんだからよーっ」等と猫なで声で呼びかけてくる始末である。

所長・管理部長・処遇首席の3役などは、当初巡回の度に「何時まで意地はってんだーっ」などと怒鳴りつけ、視察孔の蓋をわざと勢い強く叩き閉めて帰って行くのが常であったのが、この頃になると吾輩を刺激しない様にそーっと来てそーっと帰って行く豹変振りである。

そんな年の瀬も押し迫った12月30日のご用納めの日に、舎房主任の計らいで散髪・髭剃りと入浴があった。
保護房入房中のこれらの処遇は前代未聞で、特に刃物を使う髭剃りの如きは万一の場合大事に至るというので相当強い反対もあったらしいが、主任の責任と権限で押し切った。ということを後日きいたのである。

この主任 翌年の4月頃永続勤務賞とかやらで、選ばれて宮中に参内し畏れ多くも天皇陛下に拝謁を賜るの栄誉に浴したとか。
さすがに人物である。

また翌31日の大晦日には、当直の分類課長がいきなり来て「今から日向ぼっこでもせぃ」と解錠して単独用の鳥かご運動場に連れ出して呉れた。
暫くするとカメラで監視してる警備隊が、保護房が空になっているのに驚いて大挙して駆けつけてきた。

「短い時間しか作ってやれんかったが、わしの顔を立てて揉めずに大人しく戻ってくれ」「ご厚意有り難う御座います。これだけでも充分です」との遣り取りの末、束の間の日向ぼっこは終わったのである。

年明け一向に巡回に来ないと思っていると、無断で保護房を解錠したことで処遇首席より謹慎をくらって保護房に近寄れなかったと言う。

この課長 海上自衛隊上がりである。吾輩曰く「何を好き好んで名誉ある軍人の座を捨てて、獄吏獄卒如きに成り下がったのじゃぁ」課長答えて曰く「潜水艦のハッチが、太って入れなくなったのじゃぁ」と、お互い大笑いしたことがある。

また後日この課長が言うには、吾輩の扱いに就いて幹部間で激論が闘わされたと。普通刑務所内で前例の無い異常事態が発生した場合は、部署に関係なく幹部間で討議して善処策を講ずるのであるが、当所は処遇部門の権限が強すぎて他の部署の者が口出しできないのであると。

成る程、相当な権力呆けした糞爺らしい。

という様な具合で吾輩は、平成9年獄中最後の年の正月を保護房の中で、冷めて固まりかけた雑煮をかじり凍りついた刺身を食い正月用の折り詰めや菓子に舌鼓を打って、闘志も新たに迎えたのである。



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先ずは、畏れ多くも天皇陛下御在位20年を奉祝申し上げます。
天皇陛下 万歳  誓 尽忠報国

さて獄中記の連載も今回で8回目になりましたが、これまで何度探しても見つからなかった闘争経緯を詳細に綴った在監当時の「雑記帳」が、ひょんなことから見つかり記憶違いの部分が何カ所か判明したので、その点の訂正から始めたいと思います。

第1点 在監当時第3工場へ出役としてましたが、第4工場でした。
第2点 保護房初体験は一週間と記してましたが、4日間でした。
第3点 保護房逗留夏の陣に突入する前に、保護房4日間とそれに続く懲罰2    0日間を含む29日間に亘る断食闘争が、抜けておりました。
以上3点であります。
何分にも13年程も前の事ゆえ、ご容赦願います。

併しこの「雑記帳」の出現に依って、当時の記憶がまざまざと蘇り刑務所官賊共の強権専断と法治を無視した人治専横恣しいままの体質に、今更ながら胸中に鬱勃と義憤が込み上げてくるのであります。

もし今、これら官賊どもを目の前にしても笑って許すことは出来んでしょう。
えっ、十年以上も前のことを。何と度量の狭い野郎だ。と思われるでしょうがそれ程に、人間を人間とも思わぬ理不尽な仕打ちを受けたと云う事ですよ。

お前っ、悪い事して刑務所に行っておきながら何を能書き垂れてるんだぁー。との声も聞こえてきそうですが、刑務所という所は「何をやって来たか」という事には関係なく、その処遇の「合法・違法」を自分で判断せず看守の善悪に拘わらず、ひたすら看守の犬となり、或いは奴隷となり、更にはロボットとなって忠誠を尽くす者なら、殺人鬼だろうが 強姦魔だろうが 詐欺師だろうがトントン拍子に昇級して模範囚になれるのである。

昨今の子供・女・年寄りという立場の弱い者を標的にした卑劣極まる凶悪事件の数々を思うてみよ。

被害者の立場からすれば、殺しても飽き足らぬ様な凶徒共が娑婆の人間が羨む様な人間らしい生活を保障されているのである。刑務所の言いなりになる限りにおいてわね。

それと外国人受刑者だわな。こ奴等は都合悪くなると「私、日本語わかりませんっ」と看守の言う事を聴かない。刑務所側も面倒臭がって余程の事がない限り煩く言わないのである。当に野放しである。
規則 規則で締め付けられるのは、もっぱら日本人受刑者ばかりである。

また、刑務所には看守の数だけ法律がある。
然も、看守共は気分次第で適用したりしなかったりであるから、それは当に日替わり定食の様な感となる。

翻って刑務所に楯突く者に対しては、同囚への見せしめの意味もあるのであろう。徹底して懲らしめるのである。「精神的奴隷と化さずんば止まず」という徹底振りである。

謂わば保護房とは、この「奴隷洗脳教育」の最たる備品である。
吾輩は、この保護房で士気高揚と闘争心持続の為に来る日も来る日も声が嗄れる程に軍歌演習を繰り返したという事は、以前にも記した通りである。

以下に雑記帳に書き留めた当時の替え歌を掲載し、当時の我が胸中をくみ取っていただければ幸甚であります。

    官賊に答えるの歌  「おたまじゃくし」の替え歌
1 今は手もない足もない なんにも出来ない達磨でも
  今年の秋が来たならば やがて手が出る足もでる 
2 口先ばかりでゴメンなさい 菊の花薫る季節には
  思う存分手を出して 足を出して差し上げよう
3 まだまだ力は足りないが一生懸命頑張って
  鍛え鍛えて半年後 募る恨みを晴らしましょう
この歌は看守が「口だけではなく、手も出してみろっ」と暴言を吐いたことに対して、応酬したものである。

    保護房逗留の歌 その一  「異国の丘」の替え歌
1 今日も暮れゆく保護房の中に
  募る恨みは必ず晴らす その日を夢見つつ
  不自由に耐えて 無念を噛み締め秋を待つ
2 今日も更けゆく保護房の中に
  燃ゆる血汐はいよいよ赤し 暑さも寒さも
  ものともせずに 闘志凜たり時機を待つ
3 今日も昨日も保護房の中に
  不動の決意を胸に秘め 戦列復帰の
  その日の為に 鍛え鍛えし大和魂

   保護房逗留の歌 その二  軍歌「討匪行」の替え歌
1 いつまで続く逗留ぞ ひと月ふた月何のその
  今では半年過ぎきした
2 この保護房に年を越し 熱き血汐に色そえて
  いよいよ硬し大和魂
3 桜の花が咲く頃に 一度は保護房出でまして
  青葉の季節に戻りましょう
4 青葉の季節に戻りなば 後は残りを最後まで
  悠々自適に過ごしましょう
5 されば保護房逗留も 宣言の如一年を
  ついには達成できまする
この歌は、冬の陣突入に当たって「満期までの向こう一年何を言われても出んからな」と宣言したのであるが、年を越した頃より幹部連中が入れ替わり立ち替わり「もう出ようようーっ」「何時になったら出てくれるのようーっ」と哀願懐柔してくるのに対して答えたものである。

寒獄とも言われる様に、刑務所は夏より冬の方が厳しいのであるが、寒獄の中の寒獄とも言うべき保護房の中は半端じゃない。

前にも記した様に24時間わ通して15分毎に換気扇が回る。
真冬火の気の無い所で扇風機に当たっている様なものである。
一応夜の就寝時に布団と毛布は入るのであるが、布団の表面が凍ってパリパリになる。
寝てる間に、体温を奪われて凍死するんじゃないかと思うほどである。氷に包まれて寝てる様なもんだわな。

そんな保護房の寒さをどの様にして凌いだか。
次回は、保護房での生活の知恵を披露致しましょう。
今回は、この辺で失礼します。


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