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吾輩は順を追うと、奈良少刑をかわぎりに次いで大刑、更に前橋刑そして福岡刑と、計4カ所の刑務所に運動柄 下獄を余儀なくされた。
最後の事件では、神戸拘置所に7ヶ月拘置の果て懲役6月の判決を得て未決通算を差し引いて、判決時釈放となっている。
そして、6年有余の歳月が過ぎた。
前橋刑務所下獄時の懲役5年以外は、全て懲役1年のしょんべん刑である。
それぞれの事件の概要に関しては、また別の機会にの述べるとして、今回は一番思い出の多い、また懲役太郎でも中々経験出来ない獄中闘争の逸話を紹介しようと思う次第であります
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平成4年、時の宮沢内閣は「日中国交回復20年」と云うことで「天皇謝罪訪中」という奸計を企んだ。当然の事ながら、国論は二分して大騒ぎとなる。然も実行前には、参議院選挙があり強行は選挙に不利である。そこで「国論の統一を待つ」と云う様なことで選挙前には、一旦沙汰止みになったのであるが、水面下に着々と計画を推進し選挙か終わった直後の、忘れもしない8月2日突然政府発表となった。「8月25日の閣議を以て正式決定とする」というのである。実施が9月末であるから、後戻りできないギリギリの期日である。
事既に此処に至る。最早直接行動の他無し。と決意した吾輩は、方法を模索する中で「閣僚を皆殺しにして、当日の閣議決定を阻止するの他有効なる手当はない」との結論に達し、タンクローリーを奪取して首相官邸に突入し閣議を爆砕せんと目論んで居ったのだが、当日早朝より官憲の張り込み尾行が付いたために、運送会社の出車時刻に間に合わず万一に備えて準備して置いた四駆の小型トラックによる御存知の事件になってしまったのである。
そして、懲役5年の刑を受けて前橋刑務所に下獄することになった。
配役は第4工場 電気配線用のプールボックスを製作する溶接工場である。総員30数名 安全靴を履き皮手・皮エプロン・皮脚絆をつけて溶接面を被り黙々と作業に明け暮れる。
配役当時の担当は國學院大學出身、次いで専修大柔道部出身ということもあって理解がありそれなりに接してくれたので、刑務所全体としては右翼の立場からして「ちょっと問題あり」との観はあったが、「係長面接」「課長面接」を以て意見具申するに留めていた。
因みに刑務所では、処遇に不服がある場合上記の面接以外に「所長面接」更には法務大臣に対する「情願」という不服申し立ての手段がある。然し、こうゆうことをやると工場出役を止められて独居作業に回され、累進処遇対象外となり 運動会や慰問会その他の一切の所内行事への参加が出来なくなる。
吾輩の場合は、上記二人の担当の尽力もあって、内容を口外しないことを条件に通常出役をさせて呉れたのであるが。
ではどうゆう事があったのか。順を追ってその概要を述べてみよう。
事例その一
ある年の11月下旬の事。刑務所では、毎月の行事予定表が前の月の下旬に工場の食堂に貼り出される。その年の天長節は金・土・日と三連休の初日である。処がその天長節の祝日が出役扱いとなっている。そして、正月休みが例年より一日早くなっているではないか。工場担当に問い糺すも、「確認したが印刷ミスではない」と言う。吾輩は以下の趣旨に依って、担当を説得し善処を求めた。
「現在国会で祝日のスライド制が審議中であるが、未だ法制化されていない。然もその事案とは、週の中間にある祝日で祝日の意義を損なわず移動の可能なものに限り、週尻或いは週頭にくっつけて三連休を増やそうとの思惑である。然るに、既に三連休である天長節を移動するとは如何なる了見か。仮にも天長節であるから、スライド制が法制化されても移動可能日に当てはまらぬ。司法行政の一端を預かる刑務所が、己の都合で天長節と言う国家的祝日を振り替えるとは、当に国家に対する不忠である。云々」と。
担当は、お説ごもっともであると納得したのであるが、担当曰く「刑務所という所は、一旦決まってしまったものは仮令え間違いであっても絶対に変えない」でも、黙過出来ないと言うなら「面接願箋」をつけてみろ。という事になって、「係長面接」願箋を出した訳である。
すると早速翌日に、特警隊長より呼び出しがあり曰く「振り替えがなければ願箋を取り下げるか」と。吾輩答えて曰く「御意に」
この問答の翌日「先に配布された12月の行事予定表は印刷ミスである」として、この不敬の「天長節振り替え事件」は無事終息したのであった。
担当曰く「刑務所始まって以来の出来事よ」と。
刑務所の規則や受刑者処遇などと言うものは、所長の一存でころころと変わる。対外的には法治的運営が為されているのであろうが、対内的には人治的運営が罷り通っている。当に獄吏獄卒一人一人が、法律であり規則である。
更に言えば、刑務所の中には「処遇部門」という部署が有って所内における受刑者処遇の全権を所長より委任され、教育課・総務課等の他の部署とは比較にならぬ権限を有しており、その集権体質は旧内務省の如き絶大なものである。
故に、刑務所内で官に異を唱えるということは戦前戦中で謂えば、憲兵・特高警察に反抗する様なもので生命の保証はないと言っても過言ではない。
名古屋刑務所に於ける「受刑者暴行死事件」が、それを端的に物語っていると言えよう。
また、その容赦のない絶大な権力が外部の人間に向かったのが、岡山刑務所の制圧行為に託けた「面会人暴行圧死事件」に他ならない。
まぁ併し、昨今の外国人犯罪 果た又 独りよがりな通り魔殺人 更には老人子供女等自分より弱い立場の人間を標的にした卑劣な犯罪の数々を見ると、こ奴等に人権のクソのと言う資格は無い。という気持ちにもなる。
今回は能書きが長くなってしまって、獄中闘争の序の口にも入れなかったが次回から追々と述べてまいりませう。
では、今回はこの辺でひとまず失礼します。
ご機嫌よう。次回をお楽しみに。今週も更新が遅れてしまったなぁ。
稲刈りが近づいているので、来週も更新がずれ込むと思いますが悪しからず。
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