桂田智司・右翼の寝言

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            整 列                                  指 揮
 
7月27日の記事でも取り上げたように、去る8月20日から和歌山は県民文化会館という公共施設を利用して、全日本教職員組合の亡国政治集会が、我々右翼陣営の事前抗議行動の甲斐も無く開催された。我々全日本愛国者団体会議は20日の初日統一抗議行動として和歌山港フェリー乗場に52団体・66車両・191人が集結、炎天下の中、終日抗議行動を展開した。
 
それに先立つ18日及び19日の両日も西日本獅子の会をはじめ、両日とも約100車両からなる最後の大規模な事前抗議行動が展開された。
当日は開催初日ということもあって、官憲の警備態勢は厳重を極め、会場前の通りは機動隊が封鎖して通行止、さらに会場に近づく路地という路地も完全に機動隊によって封鎖され、会場を遠巻きにした示威行動しか出来ない状況であった。
 
我輩は20日、1日だけの参加しかできなかったけれども、地元和歌山をはじめ近畿圏内に活動拠点を置く団体の多くは和歌山港に野営しながら3日間に渡って精力的な抗議行動を展開している。
全愛会議は全国統一行動ということもあり、東は関東近辺から西は九州地区に至るまで加盟主要団体の大半が和歌山入りする結果となった。
 
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         国民儀礼皇居遥拝                      地区長訓辞
 
事前行動では会場前の通りを通らせるのであるけど、開催初日となると一般車両も含めて封鎖してしまう。大規模な抗議行動はほとんどが公安条例による車両デモの形態をとるので、出発地点から解散地点までのコース及び時間を事前に警察当局に申請して行う。コース、時間を外れると条例違反となるので当日の変更はまず出来ない。
結局、会場には一歩も近づくことが出来ず会場を遠巻きにして市内を練り歩く形になるわけである。よって、全教の国賊教師どもは、我々の抗議の声も届かぬ平穏な環境の中で、亡国的な謀議を常日頃権力の番犬と嘲笑する官憲機動隊の保護の下に行うを常とする。
当然、我々右翼の抗議行動の影響をもろに受けるのは開催地の無辜の住民ばかりということになる。
 
このように全教だか日教組などの集会に対する当局の「右翼警備対策」なるものは、当局のいう「開催地住民の安寧秩序を守り、当地の治安秩序を維持する」という言い分目的からかけ離れたものになるを常とする。
和歌山のような田舎警察になると自力で警備をすることが出来ないので、結局、他府県の応援を頼むこととなる。これらの経費は全て和歌山県民の血税で賄われるわけであるから、馬鹿を見るのは常に開催地の住民ばかりということになる。
 
自分たちの血税で管理運営されている公共施設をよそ者の全教の教師どもが使用することによって、自分たちの平穏な日常生活が混乱に陥る、しかもその混乱を避けるという目的で更に血税を投入して官憲機動隊を導入する、しかしながら実際は混乱を避けることが出来ない。独り全教の反日国賊教師どもだけが何の混乱も被らず、亡国的目的を達成しているに過ぎない。
これが日教組や全教の実態なのである。
              
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      会場直近規制線に対する奇襲                因縁をつける官憲          
 
官憲の警備規制などといってみても、全て事前に右翼側の抗議行動に対する許可申請に基づいて行われるわけであるから素人だって出来るような簡単なものに過ぎない。
 
車両デモの解散の後、単身会場前の規制線に乗り付けると、別に規制を突破しようとしているでもないのに私服の官憲やら機動隊の部隊が慌てて寄り集まってくる。そして「ここは通れんから向こうへ行け」と頭ごなしに抜かすものだから、こちらも頭にきて口論となるわけである。法律に基づいて警備規制をしておるのだから法律に基づいて説明すれば我々だって素直に従うものを。未だかつて、筋の通った納得できる説明をした官憲に出くわしたことがない。馬鹿の寄り合いである。こんな実態の日教組や全教の集会に戦後半世紀以上に渡ってなぜ会場周辺住民は苦情抗議の声を挙げないのであろうか。
 
今でこそ日教組の如きは組合加盟率も30%を切り、この分派である全教の如きは10何%という低組織率となっているが、日教組全盛の頃はその資金力にものを言わせて宿泊ホテルを相場の倍以上で借り上げたり、周辺自治体に多額の迷惑料を支払うなどの懐柔策を弄していたからである。
ところが、資金が枯欠しつつあるこやつら反日教師どもも昔のようにいかなくなった。日教組の如きは本来の持ち家たる社民会館で隔年かろうじて集会を開いている。持ち家を持たぬ全教は全国各地を徘徊して会場探しに躍起というのが現状である。
 
今年も真夏の熱い戦いがようやく終わった。しばらくのんびりしよう。
8.15靖国防衛に上京し、トンボ帰りで18日から3日間に渡って和歌山で野営し、或いは連日和歌山に対する反復攻撃を展開された近畿周辺の同志の皆さん、また、遠路はるばる昼夜を通して和歌山に遠征された全国の同志の皆さん、誠にお疲れ様でした。
ゆっくり休養し、鋭気を養い、次の戦いに備えましょう。
 
 
 
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本日、全国の民族派有志一同により「菅首相談話撤回を求める抗議文」を出したので、皆様にはこの場にてご報告をするものである。


菅首相談話撤回を求める抗議文

日韓併合条約(韓国併合ニ関スル条約)より100年目を迎える本年8月22日の同条約調印日(公布29日)を前に、8月10日、菅内閣は韓国への「菅首相談話」を閣議決定して発表したが、これは韓国への「謝罪談話」そのものであり、我々、韓国への謝罪談話撤回を求める全国民族派有志の会は、ここに断固とした「抗議」をし、速やかなる「撤回」を求めるものである。

菅首相談話は、「ちょうど百年前の八月、日韓併合条約が締結され、以後三十六年に及ぶ植民地支配が始まりました。三・一独立運動などの激しい抵抗にも示されたとおり、政治的・軍事的背景の下、当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。」としているが、これは韓国側の一方的主張を認めたのであり、歴史的事実に反するものである。

菅首相談話は、「日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。」としているが、我が国が保管する、朝鮮王室儀軌などの文化財を韓国に引き渡すことも、「文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」により、我が国は引き渡しに合意した文化財をすでに韓国に返還しており、我が国への文化財請求権も解決済みのことである。

菅首相談話は、「この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」としているが、仙谷官房長官は、「日韓基本条約は一つのけじめだが、市民レベル、庶民レベル、民族レベルでいろいろなものが残る。未来志向の障害となるものを取り除く努力をすべきだ」と明言しており、これは韓国側が求める個人補償を認めると受け取れるものであり、菅首相談話にある「多大の損害」を韓国の国民は、我が国が個人請求権を認めたとして再燃するのは明白である。

我が国は慰安婦を、従軍看護婦や従軍記者らのように軍属扱いする事はなく、従軍慰安婦という呼称すら存在しなかったのに、韓国が捏造する所謂「従軍慰安婦」なる架空の存在や、韓国政府が自ら補償対象外とした「樺太在住韓国人」などに、我が国が国家的に個人賠償を行うこととなる。

我が国と韓国が終結した、「日韓基本条約」の関係諸協定である「日韓請求権並びに経済協力協定」により、「両国民の間の請求権に関する問題が完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と合意されており、我が国への個人請求権は解決済みのことである。

当然のことながら、野党だけではなく民主党内の保守派議員による良識的反対もありながら、菅総理と仙谷官房長官は、何らかの形で我が国の将来に負の遺産をと性懲りもなく企んで、その悪企みこそが冒頭の「菅謝罪談話」にほかならない。

その内容たるや戦後50年に、時の自社さ連立による村山内閣が発した、所謂「村山談話」と呼ばれる国辱談話を更に超え、韓国という、一カ国のみへの謝罪談話とは「前代未聞の国賊売国奴談話」である。

そもそも日韓併合条約とは、当時の国際法に則った条約を欧米列強諸国の承認の下に締結し、国際社会の中に在って英国や米国など一国からの批判も浴びることなく認められ、国際慣例を遵守した正規の二国間条約に他ならない。

日韓併合条約による朝鮮半島への諸政策の結果、韓国は近代化を遂げた事実を、今になり韓国側にとっては屈辱的なものであったとしても、これを選び求めたのは当時の韓国政府であり、韓国国民の意思に他ならない。

日韓併合の歴史の真実は、天皇陛下に謝罪せよ、とまで被害妄想の韓国が声高に叫ぶほどの、我が国による植民地支配の搾取と強制の歴史ではない。

韓国の歴史の中に、日韓併合という時代があったればこそ、今日には先進国と呼ばれる韓国が存在し得るということは、我が国も韓国も忘れてはならぬ事実であり、韓国にとっては屈辱と試練の時代であったと言うが、この時代こそ韓国近代化の萌芽の時期でもあったのである。

我が国には当時の国防上の必要性を説くものもいるが、伊藤博文公を殺害されてまでも、当時の韓国は、日本が併合して国費労力をつぎ込んでその近代化を図らねばならぬ貧困に迫られていたのである。

これら、我が国の先人たちの血と汗と涙の結晶こそが、今日ある韓国に他ならないのである。

当時、未開固陋の後進国であった韓国が、日韓併合に因って国土のインフラが進み、大東亜戦争終結後にも、我が国より、無償・有償援助など莫大な支援によりいち早く先進国の仲間入りが出来たのは、我が国資本、つまりは日本国民の血税の持ち出しに拠る結果に他ならないのである。

斯かる史実は、我々如きが言わずとも多くの歴史的資料などを検証すれば明らかである。

菅首相談話は、我が国と韓国との関係を未来志向で構築すると言うが、我が国固有の領土である竹島を、大東亜戦争終結後に火事場泥棒をし、今日も不法占拠している韓国とは、本来ならば国交を断絶するのが当然である。

我が国が、韓国へ謝罪したということは、北朝鮮への謝罪ともなるのであり、日本人拉致問題や、朝鮮高校無償化問題にも影響する重大なる過ちで、我々は、自民党政権を弱腰政権だと糾弾して来たが、民主党政権は更なる土下座政権だと糾弾する。

日韓併合は、韓国こそ我が国への感謝を表明するのが歴史的事実であり、決して、我が国が謝罪や反省の首相談話を出さねばならぬ問題では断じて無かったと、韓国という、一カ国のみへの謝罪談話とは「前代未聞の国賊売国奴談話」であると、我々はここに断固とした「抗議」をし、速やかなる「撤回」を求めるものである。

自民党政権での宮沢内閣が、天皇陛下のご訪中を決した際に、首相官邸前で何が起きたのか、警護すべき官憲がどうしたのか、よくよく考えるべきだと申し添える。

以上

皇紀二六七十年八月十一日

韓国への謝罪談話撤回を求める全国民族派有志の会

代表 全日本愛国者団体会議、副議長 桂田智司

代表 21世紀日本政経会議、議長 近野滋之

代表 三澤 浩一

外 全国有志一同


日本国政府 並び
 
菅 直人 内閣総理大臣殿


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    ラッパ手検閲の場面            最後の訓示  
 
参議院選挙もようやく終わり、いよいよ我々の活動も再開の機運となった。売国民主が惨敗したとは云え、まだまだ神州の正気は日本を覆うまでには至っていない。我々行動右翼の正念場は愈々これからである。
 
我々全愛会議関西地区教練隊では選挙告示前の先月20日、第3期訓練生の修了検閲を実施した。
 
全愛会議の教練は30期に亘る伝統ある教練であり、第2代議長荻島峰五郎先生が自らの従軍体験に則り、大日本帝国陸軍歩兵操典を基調に各種典範令を基にして、陸軍中野学校出身の大田豪人先生が初代教官となり、大田先生作成の全愛会議教練操典を教本とし、30年の永きに亘り実施されている。
4年前より加盟団体の要望によって、関西でも実施するようになった。
関西では、陸自第一空挺団出身の誉田助教の指導に基づき、軍隊ラッパの教練も実施している。その教練風景は、旧軍の新兵教育を彷彿とさせるものである。
 
場所柄、大阪の服部緑地公園という市営の公園であるため、その使用許可条件の制約によって、旧軍の様な執銃訓練は不可能であるが、各個教練を基に各種の部隊訓練を行い、形に於いては全愛会議の統一行動に於ける国民儀礼の部隊指揮官の養成を目的としている。
精神面に於いては、軍隊教練を通じて畏くも明治天皇が陸海軍人に賜りたる勅諭即ち、軍人勅諭の精神体得を目的とする。
 
     軍人勅諭 五箇条
一、軍人は 忠節を尽くすを本文とすべし
一、軍人は 礼儀を正しくすべし
一、軍人は 武勇を尚ふべし
一、軍人は 信義を重んずべし
一、軍人は 質素を旨とすべし 
 
統制なき集団は、単なる烏合の衆にしか過ぎない。しかし、訓練された統制のとれた集団は精鋭である。
全愛会議は、行動右翼の精鋭集団であることを目指している。しかし、現実にはなかなかそう言葉どおりにはいかないのよね。
 
月1回4時間、年40時間ばかりの訓練で、烏合の衆を精鋭に変えるのは至難の術である。
それでも1年を通じてやれば、修了検閲の時にはそれなりに形は出来上がってくるものである。大体半分くらいが、途中で馬鹿馬鹿しくなって脱落していく。世間から見ても「何を時代錯誤的な」と受け止められている様であるが、皇軍復活を活動の一環とする我等からすれば、軍人精神の継承涵養は必須の条件に他ならない。
 
我が帝国陸軍は先の大東亜戦争に於いて、戦争には負けたけれども、各個の戦闘に於いて未だ一敗もしていない。正に無敵の皇軍である。
その武勲は、世界戦史に今尚燦然と輝き続ける。是は我等日本人の誉れであり、牢固不抜の信念である。
 
我等全愛会議の教練隊は、この誉れを胸に信念を確信に、時代錯誤と言われましょうと、世間の物笑いになろうとも、数多の英霊忠魂が郷土連隊の営庭に流したと同じ汗を、時代を超えて流すのだ。
そして、一旦緩急あれば決然起って皇国に忠節を尽くすのだ。
 
一人でも参加希望者がある限り、今年も来年も再来年もこの教練は続くことであろう。しかし、実際問題希望者はほぼ出尽くして在庫が無いのが現状である。
一時期、多い時では毎年50人60人の希望者がいた頃もあったが、今の若い世代にはどうも受けが悪い。
 
日教組の偽善平和主義教育、反軍教育の賜物なのであろうか。
通年教練は、関西地区の場合6月開始の4月検閲となっているのであるが、第3期に関しては諸般の事情で検閲が2ヶ月遅れ、第4期の開始とぶつかってしまった。今月もまた、時代を超えた汗を流してこようぞ。
 
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       各個教練 最敬礼の動作         検閲要領趣旨説明
    
 
 
 
 
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兼ねての予定通り、靖国神社防衛行動に参加した。小泉の靖国参拝時以来の参加となった。

先ずは、靖国防衛行動に就いて説明しておこう。

その起こりは、国賊社会党首班の村山内閣の頃に遡る。
当時、正午の黙祷に合わせて 靖国神社に隣接する法政大学の学生会館の屋上より、反日極左暴力集団たる「中核派」が拡声器を使用して黙祷を妨害するのが常態化していた。また、靖国通りの九段坂上周辺は 反日左翼のデモ隊が喚声を上げながら終日往来する有様であった。そして、未だ元気であった戦友会の元歴戦の強者の爺さん方を、痛く悔しがらせていたのである。

ある年 涙を流して悲憤慷慨する様子を視た在京右翼の若手が「歴戦の元皇軍将兵のお年寄りを、これ程まで悔しがらせるのは我等若人の不徳のしからしむる処、靖国を左翼の妨害より護れ」と檄を飛ばし 右翼の若手が超党派的に参集したのが、その始まりである。

当初は関東近辺の若手同志が大半であったが、回を重ね年を経る毎にその規模は拡大し 今では全国規模の行動となっている。

この「靖国防衛行動」が効を奏して、左翼のデモ隊は靖国通りの九段下交差点及び市ヶ谷駅の交差点より靖国神社寄りには、入れなくなっておるし、また中核派も法政大学構内から閉め出されて、黙祷妨害行為はできなくなっている。

しかし、この戦果を勝ち取る為にどれ程多くの逮捕者を出してきたことか。その反面、逮捕者の数以上の国賊を血祭りに上げたと言うことでもあるわけだがな。
ところが靖国神社に近寄れなくなった左翼どもは、集会で畏れ多くも先帝昭和天皇の御真影を足蹴にし、御真影を引きずり回してデモをするという八つ裂きにしても飽きたらぬほどの許し難き蛮行に及んでいる。

これに対し、右翼側も行動右翼のみならずネット右翼や保守系市民団体勢力の若手にいたるまでが、果敢に突撃して粉砕を試みるのであるが、二重三重に警備する機動隊に阻まれて 忌々しいかな国賊どもの為すがままと言うのが実際のところである。今年もそうなってしまった。

街宣車では到底デモ隊に近寄れぬ。街宣車を路地裏のコイン駐車場に入れて、隊服を脱ぎ捨てて徒歩でデモ隊に接近しようとするのだが、デモコースの大通りへの出口は全部封鎖されて、フェイントをかまそうが 体当たりしようが どうしても突破できぬ。そこでタクシーで解散地点の西神田公園に先回りしたが、タクシーのナンバーを通報されて検問箇所の先には入れぬ。タクシーを乗り換えて 辛うじて公園入り口に乗り着けて公園内に飛び込んでみたものの機動隊が一斉に襲いかかり、雁字搦めにして強制排除だわな。

反天連の輩どもは、機動隊に守られて我等右翼陣営が手を出せないのをこれ幸いと不敬行為をいよいよエスカレートさせているのが現状である。

「警察が守るから 左翼が図に乗るんだ」と言う声が、一般市民の間からも起こっておりましたわ。
官憲どもよ この市民の素朴な声を、真摯に聴け。

一歩譲って デモ集会は憲法が保障するところの政治活動の一環 国民の権利として認めよう。しかし、仮にも口に「護憲」を叫ぶ者が その憲法の冒頭に於いて「国家国民統合の象徴」と謳う「天皇陛下」の御真影を足蹴にして引きずりまわすのを承知で、斯かる集会デモに警察が何の規制も加えずに許可を出す事自体 おかしなことだ。

我々が 外国元首の写真を足蹴にし 引き摺り回すデモ集会をやって警察は黙ってそれをやらせるかよ。

一般国民の皆様方よ。例えは上手くないかも解らんが、愛しい妻子が はたまた親兄弟が暴漢の集団に捕らわれて、嬲り殺しにあいよるのを助けに行こうとして警察に阻まれて、為す術もなく傍観せざるを得ぬときの憤怒というものを想起して頂きたい。

この日の我々の思いは、当にこれと同じ憤怒なのですよ。
遣り切れぬ無力感に苛まれる一日でしたわ。

然し、今思い返しても 何処にこれ程の体力があったのかと思うほど、都内を走り回ったことか。未だ筋肉痛がとれぬわ。

来年は、全員銀輪部隊で突撃じゃぁ。

因みに、この日は3回戦となった。
0500時頃都内入りした我々は、事前情報に基づき反天連の集会場所たる西神田公園を事前占拠すべく現地に直行 
0530時頃より公園内にブルーシートを敷いて仮眠す。
0700時頃神田署の官憲の接触あり。よくよく聴く処によると、出発地点に非ずして解散地点なりと。然も1630時からのデモにて、その間デモ集会の無き模様なり。協議の結果、一旦撤収し外濠公園の中核派の集会に向かうべしと。
0800時関東部隊の合流を待って総勢約50名 靖国神社に再結集の後、徒歩にて外濠公園に向かうも時既に遅し。機動隊の警備堅固にて之を突破する能わず。デモ隊が靖国神社から遠ざかるのを見届けて、一旦散会。
1230時頃九段下交差点に「平和遺族会」の左翼デモ現るとの報に接し、之を追撃し錦華公園に至るも機動隊が為に撃退不能。再び靖国神社に引き上げて本命たる「反天連」のデモを迎え撃つべく待機す。
1630時デモ隊出発の報入るや、街宣車・徒歩の二部隊に分かれて靖国神社を出撃するも機動隊の規制により所定の待機位置に到着すること能わず。更に徒歩部隊の如きは3分断されて機動隊に包囲され脱出不能なりと。合流不可能に就き各自の判断にて最善を尽くすべきことを申し合わせ吾輩以下3名は、西神田公園への先回りを決断し、以下既述の如し。
全員が合流し得たるは、デモ隊解散後の1900時頃なり。

早朝より終始行動をともにしました愛知県は皇道維新聯盟の皆さん、愛国響会・神風会の皆さん 吾輩の一存で無理矢理動員しました日民同元愛知県本部の皆さん 解散地点の西神田公園で最後まで強硬な抗議活動を展開されてました神民塾とその関係者の皆さん 更には同じ思いの下個々に結集されました未知の方々も含む在京同志の皆さん 炎天下お疲れ様でした。
今年の惨ざんたる敗戦を教訓に、来年の青写真は既にできておる。
来年は、見事国賊どもを撃退してみせようぞ。
同憂同志の皆さん、乞うご期待。では御機嫌よう。

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去る8月9日の反露デーは、日曜日ということもあって我が全日本愛国者団体会議関西地区も、新井聖道地区長以下15車両60名が参集 近頃では、久々の動員となった。

8月9日と言へば、長崎の原爆の悲劇ばかりが叫ばれて 日ソ中立条約を一方的に破棄して対日侵略を開始し、北方領土を強奪し 更には我が皇軍将兵をシベリアに抑留虐殺した旧ソ連乃ち、現在の露西亜の非道は語られる事が、極めて少ない。

これが為に、我等行動右翼は8月9日を「反露デー」と定めて 永年に亘って北方領土奪還を叫び、反露行動を展開しているのである。 
ソ連邦が崩壊するまでは「反ソデー」だったんだけどね。

先日、愛国さんのブログで「通州事件」と言うシナ人による日本人虐殺事件を取り上げていたが、ソ連人によって日本人が 耳を削がれ、鼻を削られ、腕を落とされ、足をもがれて虐殺された「尼港事件」というのもある。ロシア革命の頃のことだけどもね。
当時の我が国政府は、その残虐さのあまりすぐには事件を公表し得なかった程である。

ソ連の尼港と言う港町に、貿易を営む日本人が100人程住んでおった。この在留邦人を護る為に小規模の我が帝国海軍陸戦隊が駐屯しておったんだが、そこへソ連赤軍の大部隊が侵攻してきて白ロシア人を虐殺し始めた 陸戦隊は在留邦人を頑なに警護していたんだが、白ロシア人を虐殺し尽くしたソ連赤軍は遂に矛先を日本人にむけてきたんだわ。衆寡敵せず陸戦隊は勇戦奮闘の末 玉砕し、後に残された婦女子老人傷病兵は 建物の一室に監禁され それから毎晩一人二人と引き出されて、既述の如く惨殺されていったんだわ。その日本人の悲鳴が一ヶ月に亘って尼港の町を震わしたと言う。

交代の陸戦隊が到着したときには、とき既に遅し。監禁されていた部屋の壁には、最後の一人が死に絶えるまで、刻々と虐殺の状況が血書で認められていたと。そして、虐殺処刑現場の隣室は壁から天井まで血飛沫の血痕で部屋中ドス黒くくすんでいたと言う。
陸戦隊は、血涙を絞りながら惨殺された日本人の遺体処理をしたんだわ。
この尼港事件の惨劇が、日本軍をしてシベリア出兵を決断させる要因の一つにもなっている。

その恐怖や想像に余りあり。その無念や断腸の思いあり。当に鬼畜の所業とは、この如きもの。これが、ロスケの正体よ。

軍部は怒った。「ロシア討つべし」と。ところが当時の政府は、この「尼港事件」を闇に葬ろうとしたんだわ。今も昔も、政治家輩の国民の生命を軽んずる姿勢は 何等変わってはおらぬ。

「拉致被害者を金で買い取れ」と言う小沢輩の発言、日本人を拉致して返さぬ国に人道支援と言って、米をただで呉れてやった野中広務輩 国賊売国奴に違いないわな。しかし、斯かる類いの奴輩を政治家に選んでおるのは 何と言っても国民よのぅ。

我々は、「ロシア討つべし」との当時の軍部の一念を胸に されど撃つに銃無く斬るに剣無き徒手空拳なれども、言霊の大砲を大阪は豊中のロシア領事館に対してぶっ放してきましたわ。

しかし、言霊の大砲にすら官憲どもは規制をかけるんだからなぁ。やりきれんわ。でも、小2の長男と小4の次女がコンビ良く頑張ってたわ。
「返せ 返せ 北方領土」「出て行け 出て行け ロシア」とね。 
ガキどものシュプレヒコールには、官憲どもも手が出せなかった様で。その内、教唆でこっちが持っていかれそうだわな。小5の長女は、子供遊撃隊の指揮役だな。
久々に家族総出の街宣でした。

左翼の様に片手落ちにならぬよう、ちゃんとアメリカ領事館も回ってきましたよ。更に共産党の無届け街宣中の大型街宣車を排除するというオマケまでつきましたわ。。

昼の弁当を御馳走して下さった全愛会議顧問 友田先生有り難うございました。また、全愛会議関西地区の同志の皆さんお疲れ様でした。

後 一踏ん張り。8/15が過ぎれば、選挙も始まるし 暫くはゆっくりできるわ。

同憂同志の皆さんも、暑さ厳しいおり柄 ご自愛ください。
では、御機嫌よう。


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