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山本晴幸の開眼 傍廂(斎藤彦麿)
山本勘助晴幸は、素性賤く、五體不具なれど、系図正しき豪勇の士には遙まされり。あるとき甲斐の諸将を集めて、軍慮の物語する席に、小兒三人交れり。小宮山助太郎、小山田八彌、秋山友市なり。助太郎は談中しづまりて、うづくまりて、よく聞き居たり。八彌はわらひ居たり。友市は退屈して、度々座を立ちたり。晴幸この三兒をつくづくと見て、助太郎は赤心うごかぬ丈夫にて、八彌はこゝろ定まらず。友市は不忠の名をのこすべしといひしに、はたして、助太郎は後に小宮山内膳と云ひ、故ありて甲州を浪人しつれども、勝頼天目山にて生涯の頃、わざわざはせかへりて、死を共にして義を立てたり。八彌は後に小山田八左衛門と名のり、勝頼生害の頃、善光寺(甲斐の)にげ行きしなり。友市は後に秋山内記といひ、又摂津守に任ず。勝頼生害の五日以前に、甲州を出奔し、敵方の織田信忠へ降参しつれども、不忠の逆賊なりとて、しばり首うたれたり。晴幸は一眼ながらよく見ぬきたり。
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