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市川團十郎 俗耳鼓吹(大田南畝)
市川團十郎三升、市川八百蔵の後家と(名はおるや)密通の沙汰ありし時、
八百蔵が後家へさんじやう(三升)つかまつり
歌舞伎役者の異名 俗耳鼓吹(大田南畝) 歌舞伎の役者の異名ある事、もとは少かりしが、近頃にいたりて、甚多し。二朱判吉兵衛などこそ人よくしたり。その外にもありしや聞もわたらず。
親玉 二代目市川海老蔵 子玉 五代目市川團十郎云々
武田信虎の息女 醒醉笑(安楽庵策傳) 甲斐の國武田信虎の息女を菊亭殿へ契約ありしが、いまだ聟入りなきさきに、信虎公、菊亭殿
むこいりをまだせぬさきのしうと入きくていよりもたけた 入道
團十郎艾 近世商売狂歌合(豊芥子)
『おでこ双六』に載る、二代目市川團十郎艾賣〔割註〕實は景清。」 作せしを、真似て町々を賣し物なるべし。今なし。浅草御門跡前に、歯医者にて艾を鬻ぐ。此家に二代目柏筵艾賣の人形あり。又大傳馬町二丁目に團十郎艾あり。是は五代目市川團十郎白猿なり。三升屋五郎兵衛といひし建看板に、暫の畫ありしが今はなし。
團十郎煎餅
『飛鳥川』に云、安永の末、天明の初め頃迄は、正月の内、團十郎煎餅と賣あるく、常もおりおりうりあるくなり。
斯あれば正月前に賣しもの歟。今浅草並木町に團十郎煎餅とて、さしわたり五寸丸程に三升の紋あり。是を團十郎煎餅と云。
劇場役者市川團十郎家傳の事 思出草紙(栗原東随舎) 寛文年中、両国橋より三里東に、葛飾郡市川村といふ所に、薦の十藏といふ者有。元は武家より出て虚無僧となり。其以後、商人となりて、市川村に住居なしたり。依て異名を俗称の如く薦の十藏といふ。勝れて大酒を呑けり。一子小三郎といふは、勝れて敏達にして、更に群兒の類ひに非ず。弁舌能く発明なり。然るに、彼十三歳の頃、市川村へ田舎廻りの歌舞伎芝居来り。標準サイズの文字がここにはいります。
標準サイズの文字がここにはいります。
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