さぶやんの山梨県民間伝承・民話・伝説・行事・歴史資料室

日本列島人が居ればそこには独特の民間伝承が息づいていた

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馬場美濃守

馬場美濃守    三省録(志賀 忍) 

(前文略)甲州の武田信玄の家老の中にて、別て弓矢の巧者と名を呼ばれし馬場美濃と申たる侍は、戦場常存(在か)申四字を書き、壁に懸置て、平生の受用と仕るよし申傳ふるところなり。初心の武士心得のため仍如レ件。(『武道初心抄』)

(『武道兵語抄』)  馬場美濃守信房   

 三省録(志賀 忍) 甲州の武田信玄の家老の中にて、馬場美濃と申たる侍は、戦場常存と申四字を書き、壁に懸置て、平生の受用と仕るよし申し傳ふるところなり。初心の武士心得のため仍如レ件。
(武道初心抄』)  小幡勘兵衛景憲の養子    三省録(志賀 忍) 小幡勘兵衛景憲が実子なきを以て、何某の次男を養子としける。そのころ若輩の面々は、丹前風とて髪の結やうより大小衣類にいたるまで、異様なる風俗なりし、小幡が養子も若年のことゆゑ、その風をまなびて、鏡二面を用て髪つくろひけるを、父景憲とがめて申は、若輩なれども武士の家に生るゝ身として、二面の鏡もてかたちつくろうふこと、遊女野郎の所為なりと立腹し義絶せられけり。この人武功におゐては人のゆるせし事なり。乱舞も巧者にて、その外細工もよくせられたり。(『明良洪範後編』)   (『改正武野燭談』) 

 馬場美濃守信房   柳庵随筆(栗原信充) 

 『治乱記』馬場美濃守氏勝とあり。甲州侍大将也。『甲陽記』馬場伊豆守虎貞、大永六年武田信虎に殺されその跡絶たりしを、当屋形教成(来)石民部少輔景政に仰付られ、馬場民部氏勝とめされ、信濃国眞木島の城に置せらる。永禄の比は美濃守とめされしが、長篠にて討死也。『甲陽軍艦』馬場美濃守百廿騎。『□□一書』はじめ教来石民部丞氏勝、天文十五年馬場美濃守と改む。(或は尚房と云)『仏祖統記』馬場民部少輔景政(後改美濃守信房)日豪上人、遠州端和妙恩寺祖。『家忠日記』天正三年五月廿一日長篠ノ戦ニ甲兵多ク戦死シ、勝頼自殺セントスルノ處、馬場美濃守、内藤修理亮踏留リ討死ス、塙九郎左衛門ガ従卒、河井三十郎馬場ガ首ヲ得タリ。


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