さぶやんの山梨県民間伝承・民話・伝説・行事・歴史資料室

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甲州勝手小普請のこと

甲州勝手小普請のこと(抜粋) 蜑の焼藻の記(森山孝盛) 

 寛政三年五月十八日、御目見になりて後は、様々の下問に預りたり。定信(『甲斐国志』編纂者)朝臣の下げられたる封書のうちに、医師減祿のことありけり。又近来甲州勝手小普請と云事始められて、於 江戸 心を不レ改やからは、甲州へ貶流せらるゝことになりたり。然れば血気のやからは、わざと悦びて、江戸の大借の金子を其儘打やりて、重荷おろしたる心地にて、しかもく事々敷引つくろひて、甲州に趣山聞えたれば、是
又御教戒にも当らず、詮なきことなるべし。所詮減祿せらるべきや否、愚案を申べき由尋問れければ謹で案るに、諸医元祖は名医なりしに付て、高禄を給りしより、其子は親に不レ及、其後は代々祿に飽みちて、家業うとき者も飢ずこゞへず、妻子を養ひて罷過候より、自然と下手にのみ成行候。此頃家業にいとく御用に不レ立者は、減祿有べき由被 仰出 候へ共、其證を見せられず候間、疲馬むちに驚き候ごとくにて、痛の止候へば、又元の如く怠りを生じ候。ひとり二人も現に其證を被レ示候はゞ、一般にひゞきて、自然と眞實に業をみがき候様可 罷成 候。
又甲州へ被レ遺候者共、御厳戒を物共思はざる趣聞え候に付、諸士減祿せらるべき趣のことは、暫御勘弁あるべきにや。何程不敵なる物にもせよ、夫は上部の血気、俗諺に申候負おしみと申物にて、一旦はわざとかさをとり、何とも思はぬふりを仕候得共、舊里を離れ邊鄙へ罷在べきこと、其身は血気くるひ候共、妻子の嘆き行末の成行、彼是以て内存には甲州勝手に進みて罷るべきは、一人も有間敷候はんか、又医師は家業に疎く候ては、實に不益の祿にこそ候へ、諸士は弓引すべをしらず、太刀を取る作法も辨へず候共、何事あらん時、何れ驅出して役に立ずしては候べき。殊に先祖は並びなき手柄をも顕し、二つなき忠をも奉レ存候者に候へばこそ、代々祿をも賜り候ことに候へば、医師とはいさゝか差別も候様に存候なれ、先ず医師減祿の證を見せられて、其後諸士減祿を被 仰出 ても、遅かるべからずと書たり。(後略)

根わけの後の母子草

根わけの後の母子草   兎園小説(瀧澤馬琴) 文政四年の春二月晦日の黄昏ごろ、元飯田町の中坂にゆきたふれたるおうな(老女)ありとて、これを観るもの堵の如し。(中略)旅寝すること九年に及べり、今は既に巡り盡して、廻国すべきかたもなけば、ふたゝび江戸をこゝろざして、岐岨路をくだり、甲斐が峰をうち遶り、よんべは両郷(ふたご)の渡りとかいふ川邊のあなたなる里に宿とりつ。かゝりし程に、あの御坂のほとりにて、俄に足の痛み出でゝ、一歩も運ばしがたければ、思はず倒れ侍りきといふ。
 按ずるに、ふたごの渡りは、江戸を距ること西のかた四里許りにあり、この地は甲州街道にあらず。大山道なり。かゝれば甲斐より相模路を巡りて、江戸へ来つる成るべし。

江島生島事件(秋元但馬守)  一話一言(大田南畝) 松平保山〔大老・柳沢吉保〕御咄に荻生総右衛門申候由秋元但馬守様は御上御四代の御執政被成終に何の御しおちもなく名人と呼られし候に今度江島殿御詮議はおかどちがひと奉存候其子細は周禮と申天子の役筋を書候書に宮中の官女の姦犯の罪をさばきには物静なる物かげにてひそかに糺明するものと見へ申候其上女の科は天下へ掛りたる謀叛がましき事は先に希に候多は先に色情までの事にて候此年九月は秋元侯には御死去可被成候そのわけは年久しくあやまちなき御政事になれ給ひたる御事なれば此度の評定さはき(裁き)大造過たる事は必御後悔可有候さりながら夏のうちは陽分にて候へば人の気も淋しからぬ時なればさして御病気も出まじく候九月は肅殺の頃なれば此時に至りて数十年の勤労も出此度の御後悔も出會て御病気つかれ候はゝ御平癒有まじくといひたる総右衛門はじめ御はなし申たる時うらや算にては有まじとて果してその九月御死ありしを安藤仁右衛門かたりき候。云々

yahoo検索江島生島事件
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五月五日 久留米水天宮祭
(「日本の年中行事」国民文化協会 昭和46年(塩田勝氏著)

福岡県久留米市瀬下町、水天宮の祭りです。五月五日から七日まで行なわれます。
同社は、平家没落のとき、按察使(あぜち)伊勢局がこの地に逃がれて、安徳天皇(第八
十一代=一一八〇〜一一八五)の御霊を奉祀したと伝えられる古社で、東京水天宮の本社としても知られ、当地方では筑後川の水神様としてその集りには多くの参詣者でにぎわいます。
 さて、五日午後には、御座船(現在は破損のため神事を中止している)が、街潮井場を発船、さまざまの装いをした六隻の屋形船がお供して筑後川を下り、市境の瀬下町下流まで神事し、ここで奏楽ののち御旅所祭を行ない、次いで再び川をさかのぼって本社に還御します。
 供奉船はいずれも祭神にちなんで、平家の船をかたどり、赤旗などの巻物をそれぞれつけます。なお、この地方では、この祭りのことを「川奈」または「船神事」と呼んでいます。

穴山梅雪 

穴山梅雪  嘉良喜随筆(山口幸充)
 (前略)扨穴山梅雪ハ、勝頼ヲ叛テ家康公ヘ與シ、甲府ヘノ手引ヲセント云、夫ヨヲ信長御聞、穴山ガ分ニテ無 覚束 トテ承引ナシ。モハヤ甲府ヘハ不レ被レ帰シテ、家康公ヲタノミツキ従ヒ、堺ヨリ牧方迄御出、横ニ御キレ、八幡ノ南海道ヘ御通ノ時、穴山コト家康公ヲ疑ヒ殺サンカト思ヒ、跡ニ下ル時ニ、庄屋モ子ヲ案内ニツルル。此子銀ツバヲサス。関東者ニテムゴキ者ドモニテ、穴山ガ下人是ヲ殺シテ鍔ヲトレリ。此子供ノデツチアリテ、主ヲ殺タヲミテ、イバラグロヲクゝリテ家ニ帰リ是ヲ告グ。一在所一揆ヲ起シテ穴山ヲ殺ス。此内ニ家康公ハ、ハ
ヤ草内ノ渡ヲ御越也。此渡ヲ御越ナクバ、家康公モ危カラント也。

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