うつ病〜4年間の闘病記録〜

回復して言いたいこと★吐き出したいこと

不安神経症

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社会の平和は家庭から

先日、


ステロイドが順調に減ってきていたけれど


残念なことに病気が再発。



しかもそれなのに


ステロイドが副作用から


もうこれ以上増やせないため様子を見ようと言われ



またまたショック。



このまま、病気が活発化して



また歩けなくなるかもしれないという恐怖と



ステロイドを増やして病気をたたけないなら


今まで副作用に苦しみながらも飲んできた期間が



水の泡だったんではないか。。。



ショックで、癒しを求めて


お義母さんに会いに


病院の帰りに主人のご実家へ。。。



お義母さんは


「大丈夫や!私の子供やねんから!」


と、言ってくれ


なんともまあ、すごい包容力〜!



先のことはわからないけれど



愛情を感じると心が軽くなってました。





カナダにアシュリーという子供がいて


その子はプロジェリアという、


普通の8〜10倍の速度で年老いていく病気にかかってるといいます。


治療法は無く


平均寿命は13歳でアシュリーの肉体年齢はもう100歳。



その特集を前に見ていて


そんな大きな病気を抱えていても


家族の愛に包まれて


アシュリーは前向きで幸せな表情をしていました。




それとは対照的に


歳は20代で、天才と言われる男性が、


母親の束縛がひどく、


母親にコレクションのような一方的な愛情を注がれ


母親も子供も、親離れや子離れができず


その男性の表情は暗く、とても苦しい表情をしていました。



家族のあり方で


こんなにも表情が変わるんだ、というのを目の当たりにしました。




私はこれがとてもよく分かります。



私の家族と主人の家族との



大きな違いを感じています。





子供の心が



不安になる家と



子供の心に


安心感を与える家がある。




不安の多い家で育った私は


自信がなく、おびえて消極的で、物事から逃げてばかりいました。


人と自分を比べて、まわりをうらやんでばかりいました。




安心感のある家で2年間暮らした私は


自信がつき、堂々とし、自分の考えがゆがんでいたことに気付き


考えかたを変える必要性に気付きました。





人をうらやんで起こる犯罪を減らすのも



私のようなパターンのうつ病にかかる人を減らすのも



「家庭」が大きなカギを握っている気がします。






と、いうことで



「社会の平和は家庭から」



勝手にスローガン作ったどー!



 

                    
                

              

不安神経症の時、私は


自分の気持ちにはとっても鈍感でした。



鈍感というか、分からなかったんです。




ストレスに弱い、とか


傷つきやすい、とか、


そういうのは分かっていましたので、自分は敏感だと思い込んでいたのですが、


本当の感情には鈍感でした。



大丈夫だろうか。。。といつも不安だったり恐かったりしていたんだけど


これくらいみんなしてるんだから自分だって大丈夫なはず、


そう思い込みたくて強がっていましたし、



悲しい時も


こんなことぐらいで悲しんでいる自分は恥ずかしい、自分は情けない、



だから強がって大丈夫なように振舞ってしまっていたんです。



感情にフタをするクセを子供のときから身に付けてしまっていて


なんだかわけがわからなくなっていて


感情表現もよくわからなくて


怒られても笑いが出てしまったりしてました。




心が追い詰められていることに


周りは「あなた本当に大丈夫なの?」って感じで気付いているのですが


自分自身は気付いていませんでした。



私自身、追い詰められている感情というもに慣れ


それほど大きな問題ではない、と思ってしまっていました。



自分の追い詰められた感情に鈍感で


さらに弱音を吐くことも恥ずかしいと思っていたので


気持ちの逃げ場がなくなっていき、


気持ちが堕ち、そうすると体にも変化が出てきます。


それでもまだ、


自分は大丈夫だと思い込みたい、


人に弱く見られたくない、など


複雑な感情が絡み合って


ストレスと向き合うことを避けていました。




以前からも書いていますが、


私は不安神経症の回復過程で3つの衝撃がありました。




最初の衝撃は


自分の力なんて何もなかったんだ、と


心底分かった時。


私は人のため、人のため、と、キレイごとを言っていたけれど


自分のためだったんです。



自分の価値や存在があやふやで


それを確かめる為に


人に尽くそうとしていました。



人のためと言って、したことに対して


相手の反応や見返りを見て


自分の価値をみたり


人から「スゴイ」といわれたかったり


かまってほしかったり


人を信じたかったり


自分を許したかったり


自分の自身のなさをプライドを変えたり。。。



しかし、あるとき現実に直面しました。




「私は人のために何かできると思い込んでいたけれど


  自分なんて何の力もなかった!


  今の私は何も出来ないじゃないか〜!」



独りよがりだったんだ、思い込みだったんだ、と。



自分の力を過信していたことが分かったんです。





回復過程においての私の2つめの衝撃は、



「弱くて良いんだ!」



と分かったこと。



自分の力は何もないと悟って


何も出来ない、弱い自分だったなんて。。。


これじゃあ、私は赤ちゃんと同じだ。。。


なんて思い、けれど死ぬわけにもいかず。。。


今までも力のない自分だったのですが


自分ではそうは思っていなかった今までと


それを知ってしまったあととでは全然違い、


ガックリと肩を落としていました。



でも周りは私のそんな思いの変化なんかに気付きませんし


当たり前ですが、


そんなことで私の周りの世界が変わるわけでもなく


今までと変わらず接してくれます。




あれ?


なんだ、弱い私でも良いんだ、と気付きました。



弱くて良い、そう気付くと


不思議とストレスに対して強くなっていきました。



主人もこの時言っていました。


「人間なんて弱いもんなんやで、


 自分1人の力なんてたかが知れてるねんで


 自分1人のちっぽけな頭で考えていったい何が出来る?」


と。



主人は私から見れば


休みがほとんどない仕事をして、私の世話もして、


イライラせず「強い人」だと思っていたのに


自分を「弱い」と思っていたなんて。




私は今になって思うのですが


「弱くてはいけない、強くならなきゃいけないんだ!」


そう思っていた昔より


「私の力なんてたかがしれてる、自分は弱くて良いんだ!」


そう思っている今のほうが


ストレスに立ち向かうようになってると感じるんです。





回復過程での3つめの衝撃は、


大きかったです。



これが無ければ今の私は無かったんです(笑)。



「考えてもなるもんはなるじゃないか!


  考えても仕方がなかったんだ!」



と、気付いたこと。。。




常日頃から、主人に(当時は彼ですが)


「考えてもなるときはなるし、ならんときはならんで〜


 考えすぎたらしんどくなるで〜


 頭も体もフリーズして動かんくなるで〜」


と、言われていて、


タイミングよく、それを洗脳させるピッタリの経験が出来た時に


ハッと気付きました。



不安神経症が出ないように、出ないように、


色々考えてストレスを避けて、無理の無い生活をしていたのに


出たんです、不安神経症が。。。




なんで??


こんなに考えてストレスを避けてきたのに!


なんで動けなくなるの〜!


なんで涙が止まらなくなるの〜!


なんで顔がこわばって笑えなくなるの〜!


と、ガックリ。


そうして1日動けず寝ていたときに


「考えてなるなら、考えなくても一緒じゃないか!


 考えるだけ損だったんだ!


 なるときはなるんだったら、もう考えずに身をまかせよう」



と、思って考えない訓練が始まったわけです。





この衝撃の気付きがあったから


不安神経症を克服したと言っても過言ではないかも。



不安神経症の克服は


私にとって「うつ病の再発予防のカギ」です。



うつ病は、私の場合、不安神経症に合併したからです。


私にとって不安神経症は


ストレスを蓄積する大きな要因でした。


この私の不安神経症は


愛情不足、自信のなさ(成功体験が少ない)、


生育環境による偏った考え方のクセ等が大きかったと思います。




今思えば、訓練の中にはこの要素が偶然入っていて


回復後に振り返れば、意味があったことだと気付きました。



この気付きから訓練が始まり、あとはトントン拍子でした。



けれど


一番難しいのは


「気付くこと」。



それはちょっとの気付きとか、


なんだか分かった気がする、


とかではなく


大きな衝撃で


頭を殴られるような。。。


心底気付いたゾ〜!


ってなかんじの気付きでした。



この気付きを得るためには


私の場合「洗脳」も大事でした。



「もしかして、こうなのかもしれない。。。」


そう思っていることと経験が見事にドッキングした時に


より印象深い【体験】になるかもしれません。



私は、考えすぎたり、


いろいろなマイナス方面に考えるのは


自分がみんなより、いろんな経験をしていて


賢いからだと思い込んでいました(笑)。



楽観的な主人をみて


苦労した経験が少ないから先のことが読めないんだなぁ、バカだなぁ〜


な〜んて失礼なことを本気で思っていました。



違うんです。


主人のほうが賢い生き方だと思うんです。


楽観的な生き方のほうがとても生きやすい。


同じ「生きる」なら、自分を苦しめるより


楽観的なほうが生きやすいと思うんです。




不安神経症は


自分にも他人にも疑いを持っている場合が多いと思います。



心底信じられない。




だからやみくもに訓練をしていても



本当にこれで大丈夫だろうか。。。


私は本当に大丈夫だろうか。。。


と、疑いがあり無意識のなかで不安になったり、


相手を信じているつもりになっていても


この人なら私を分かってくれる。。。という依存のようなものだったり、


本当はどこかで疑っていて試し行動をしたり、


(これは自律していない場合に病気に関わらず


多くの人がすることだと思うので問題はないと思います)



訓練するには疑いがあると、ちょっと支障があるかもです。




でも洗脳されるくらい信じられて


行動に移せたおかげで


とても大きな成果が出たように思います。



気付く準備段階として


本を読んだりしても良いと思います。


誰かに繰り返し常日頃から言ってもらうのも良いかもしれません。



脳は単純だと思うことがあります。


思っていなくても、耳から入って聞き続けると


勘違いをおこしてくれることがあります。


思っていなくても


「考えても仕方ないことは考えない!」


私は四六時中言ってました。


考えないために、四六時中歌も歌い続けました。


のどが枯れました。。。(笑)


先のことをまったく考えないから


予想外のことばかりが起こり、度胸と自信がつきました。


なんだ、なんとかなるんだ、


なら考えても仕方ない、と思い込むようになりました。




とにかく


訓練の前に


「気付くこと」


これがとても大事だったと思っています。



私は気付くまではとても苦しかったです。


苦しんでもがくことは


気付くチャンスだと思います。



周りの人はなぜ堕ちないのか、


もしかして堕ちるのは自分に何か原因があるのか、



「なぜ??」



その疑問も気付くことも準備段階として


大きなカギになるかもしれない、と思います。





以前書いた記事です。 良かったら読んでやって下さい☆ ↓

              
楽に生きるヒントは気付きから  http://blogs.yahoo.co.jp/kaimaii/8015761.html

気付きの一歩   http://blogs.yahoo.co.jp/kaimaii/2600571.html

損な考え方の気付き  http://blogs.yahoo.co.jp/kaimaii/1585626.html

心と掃除

私の病気前の性格の特徴で


物事をするとき、中途半端なことがとても多かったです。



これは、不安神経症やうつ病を発症するず〜っと前からです。



なぜ中途半端だったかといえば、


いろいろと考えられることはあるのですが。。。



掃除も大嫌いで、掃除が出来ませんでした。




親も整理整頓が苦手で


子供の頃から、ゴミ箱のような部屋だったため、


掃除の必要性を感じてなかった。。。(笑)



しかし、他に


「頭の中が混乱してしまう」ということも


今思えばその理由でもあります。



一つ一つのことを丁寧に片付けていくことが出来ず、


今していることがあるにもかかわらず、


次にすることを考えて


「あれもしなければ、これもしなければ…」


と考えていました。




次にしなければいけないことが気になって気になって、



そして嫌なもんだからとにかく早く終わらせたくて、


今していることが雑になったり


中途半端で投げ出してしまうことが多かったように思います。



私は、頭の中の整理がとても苦手でした。


自分を守ってしまって余裕が無かったわけですが、



頭の中の整理が苦手なのと同じく、


整理整頓や掃除が苦手でした。




心の余裕がない、という感じでした。



ちょっと手を伸ばすだけのことだったり


少し時間を持って片付けたら良いだけのことでも


頭の中では、他の気になっていることでいっぱいで


少しのゆとりの時間を持つことが出来ませんでした。







うつ病は


何度も言いますが、私の場合、薬と休養で回復しましたが



「不安神経症」の回復は、


意外にも


日常の中での訓練が大きなポイントを占めていました。



私の場合は、


家事と向き合うことが不安神経症の克服のカギの1つになりました。




→嫌なことをするときの自分の心と向き合うこと



自分がストレスに弱かった原因が、


毎日の1つ1つのことを丁寧にこなしていくことで



見えてきたように感じます。



これもあれもしなきゃ…


そう思って焦りや


出来るんだろうか…という不安から、


今していることが雑になる。


中途半端になる。




そして、見えるところだけきれいにしたり


嫌なことはしないで、好きなところだけしたり、


私は日常に中で、


やることにかなりのムラがありました。


もちろん気分にもムラがありました。



しかし、


周りではなく自分が何かおかしい、


と、何かにハッ気付いて、


考えない訓練を始めたわけですが、


意外にもこんなところに


3度3度や毎日繰り返すことの大切さを感じて


思いのほか良い結果が出たのです。



「一つのことをやり終えるまで、


 次のしなくてはならないことは考えない!!」



「今していること」、


「一つ一つのこと」を丁寧にする。




それで時間が足りなければ、


あきらめる。


あきらめて明日する。



そうすると、最低限のことを考えて優先順位考えます。


優先順位をつけて、


今していることだけを考えて、丁寧にする。



そしてそれを毎日繰り返す。





そうしていくうちに、忍耐がついていく。



大事なことが見えてきたような気がした。




毎日の植物の水遣りや剪定、


毎日の食事やお弁当、


拭き掃除やシーツ交換


シーツを1週間に一回洗い、


掃除機を毎日かけ、玄関の掃き掃除もそれなりにしている


排水溝もよくしている。


ムラがあまりなく出来るようになっていった。



以前は


ちょっとずつの掃除ができなかった。


とてつもなく汚くなって一気に片付ける、


その繰り返し。



毎日の積み重ねができなかった。






でもここで注意は、


毎日掃除ができるようになったら、病気がなおるわけではない!!



ということです。



逆に


「毎日しなくては…」、という気持ちが病気を悪化させる。



私はそうでした。


「しなければ。。。」という思いは


出来ない自分を責め、


私の病気を悪化させ、悪循環に陥りました。



病気のときは


死なないこと以外は無理にしなくていいと思います。



食べるのは、食べないと死ぬから食べてください。


お風呂は。。。まあ、私の場合、3〜4日に1回。。。


歯磨きも毎日出来ず。


けれど、掃除は後回ししても死なないから、


無理にしなくて良いと私は思います。



私は、掃除はうつ病の時は、


当たり前ですが、体も重く億劫で、全くと言って良いくらい出来ず、


しかしあまりの汚さに耐えられなくなり


友人に大掃除に来てもらったことがあります。。。(笑)




こんな私でも、回復すれば毎日出来ている。




なので、出来ないのは病気であって、怠けではありません。



あと、治療中は物忘れがひどくて


自分はボケた!!痴呆かも!!


と、思っていましたが、


それも薬がなくなれば物忘れもなくなりました。






ただ、私の場合


掃除って、心の穏やかさをはかる一つのバロメーターにもなっているなぁ、


って、思ったんです。







お寺の日課は毎日掃除ではじまっているのかな??


そんなイメージがありますが、


なんだか掃除の大切さが、今は少しだけ分かる気がします。


毎日することが大事で


毎日していると


働いてくれる主人のために自分のできることはしようと思い


物を大事にしよう思ったり


そして何かに感謝している自分に気付き…


掃除をしている時間は、集中している。


頭が真っ白になってます。



そして


キレイにな部屋や布団で過せると心も穏やかになります。




不安神経症の訓練で


私の場合は、


毎日の家事と向き合うことで


焦りや不安が自分の行動をはばんでいたということや、


自分の考え方のクセに気付き、


修正する必要があると思うきっかけになりました。






掃除って大事だったんだなぁ。。。



と、感じる今日この頃。。。☆



                    

こどもゴコロ。。。

親から認められず育つと、


考えをゆがめていく気がします。



子供は親を決して悪い人だと思いませんし、


親のせいにもしたくないのです。



だから、認められないのは「自分のせいだ」と思いこむ。



私は、自分に罪悪感が常にあり自信がなったのですが


認めてもらえた、という実感が無かったからだと思います。



ここは確信していて、



主人に育てなおされたあと、



以前の自分とは全く違う自分がいました。



自分自身に対してとても居心地が良い。


自分の土台が出来たように感じられ、


認められなくても、諦めがついたり、


自分の責任でもあると考えられたり、


頭の整理がつくようになりました。




考えをゆがめてしまうのは


多々あった親の裏表のある不信な言動、


条件付きの愛情と思いたくなかったし、


自分は十分愛されていて愛情不足なんてことはない、と



現実から目をそらして思い込んでいた影響かも、と。





そして子供の時から親の不信な行動(私のこと本当に愛してくれているんだろうか?)を


自分のせいにして母を守ってかばっていました。



でも実際は、母が私に自分の理想の子供になるよう、


自分に余裕がなく子供が手をかからないようにしたかった、


そのため出来ないことを責め立てられました。


母は私に、現実の力には無いものを過剰に期待していたんです。


子育てより、自分のわずらわしさが減ることが一番でした。


もちろんだからと言って、母は私を嫌いではないです。


人をみる心の余裕がないのも、


無条件の愛情を母も親からもらえず、


それを知らないので仕方の無いことだったんです。


だから母は


自分の知っている母なりの愛情を注いでくれているのです。





期待は良いことでもあります。


期待されているということは、見捨てられていないことの現われなので。



でもそれが「過剰」だとやっかいです。



私はありがたいことに頭がわるかったので


母の期待通りにはなりませんでした。



これが、このまま期待通りに出来ていた子供だったら



それこそもっと大変だっただろうと思います。




ですが、親の手をわずらわせないようとした行動は多々ありました。


精神的に我慢することや、


子供らしさを見せないことが大人になることだと思っていました。






母は精神的にまだ子供で自分を守ってしまいますので


子供より自分、


そう感じられる言動も、とてもたくさんあったと思います。



今となれば、それはよくわかります。






子供の時は、親の顔色を見ていました。


いつも母はイライラしていて、私は不幸だとよく泣いていたので


私がこれ以上迷惑をかけてはいけない、



そう思いながら自分を押さえつけていると


私は裏腹の行動してしまっていました。



親のイライラや不信な言動を、これは私のせいだ、


これはお金がないからだ、


これは○○のせいだ…



母が自分を不幸だと思い込み、


不幸なのは周りのせいだと思い込んどいたのと同じく、


私も、悪いことは全て


いろいろなものや人のせいにして考えました。




現実を見れない。


現実の自分と向き合えない。







自分のことが認められなかったら


相手のことも認められないですし、


自分の現実の姿を受け入れられなければ



周りの現実も受け入れにくくなるのは



当然と言えば当然なのかな〜。





今はイライラはその人自身の問題だとわかるのですが、


子供の頃は、決して自分の母自身の問題だとは思わないのです。


自分が悪いせいだ、と思っていました。





そしていつも頭の中が混乱してました。


何か事が起こると、


現実を受け入れられず、


相手を守ろうとする反面、


自分のことをそれ以上に守らないといけなくて


色々な感情が渦巻いていました。


くやしい、うらやましい、はずかしい、ばかにされた、ひどい、結局はみんな自分のことだけだから、


自分を守る為に相手へ攻撃する考えを持っていました。



頭の整理が出来なかったし、


優先順位もわからず混乱しまくってました。


だから悩みも多かったです。



思春期の頃は多かれ少なかれそんなものですが、


程度が強く


それは社会に出てからもずっと続きました。





社会に出てから困ったことに、


人から自分を認められること、


その評価がとても気になりました。



何か良いことをするとき、



わざと人に気付かれるようにしていました。



いつも目のはしっこで、



私のことを見ている人がいるかな、



見られているかな、



もうすぐこの人が来るから、その人に気付かれるように合わせてしよう、と



良いことをするタイミングまで見計らっていたり



そんなことを無意識に考えてしてました。


誰かに認められたい、ただそれだけだったんです。



謙虚そうに見えていた私…



ですが実際は、私がしました、と



言葉ではなく行動でアピールしまくっていました。




人に気付かれなかったら、良いことなんてやっても仕方ない、と



本気で思っていました。



やらしい話ですが、ホントなんです。




今はそんなこと関係なく、



自分がしたかったら周りを気にせずしますし、



相手が気の遣うことであれば、気付かれないようにします。



逆に、相手に気付かれてしまったら



あ〜意味が無い、



私の腕が足りなかった、と反省したりします(笑)。



が、たいてい気付かれていないと思っています。



う〜ん、わからないな〜、そう思っているのは私だけかも!



相手が気付いてないように、演じてくれていることもあると思います。


 

親子関係の歪みからの事件が今、世間を騒がせていますね。



母のことばかりですが


母が悪いわけではないのです。


母の両親もそのまた両親も影響があり、


父も父の両親も影響がある。


どこに責任があるとか悪いとか言えないし


どこにもないのかもしれない。




「30も過ぎた大人のしたことなら、事件に親は関係ない」、


というコメンテーターの言葉がありましたが、


私はそうだと思いません。


自分と関係の無い人や社会を、ねたんだりうらんだりする考え方のクセや思い込みは


そう簡単に短い間で出来るものではないですし


そんなすぐに人から影響を受けるものでもないと思います。


もっともっと昔からの生活環境に、特に家族の接し方に


なにかそう思うようになった原因があるのだと思うのです。



小さな集団である1つ1つの家庭がちゃんと機能して平和であれば


おのずと社会は平和になると感じます。



家庭のあり方は大事だと思います。


学校よりもっと大事だと思います。             
               
 
      


     



  

大事なのは「今」

先のことを心配してあれこれ悩むこと、



誰でも多少あると思います。



でも、そんなことがあっても



考えて頭が疲れてくると




「考えても仕方ないか〜とりあえずやってみよう〜!」と、



思うわけです。



今は、一旦何かに悩んでも、


こうしてみようと決めたら、頭が空っぽになり、


余計なことを考えず進みます。






が、不安神経症の時の私は、そう割り切れず、


やってみようと足を踏み出しても



出来るだろうか、


出来なかったらどうしよう、


うまくやれるだろうか…



と、不安でいっぱいでした。







自分に自信がなく、成功しないと自分自身が崩れてしまうからです。



「上手くこなすこと」が、自分自身を保つことだったんです。



しかし、不安でいっぱいのなか実行しても



上手くはいきません。



こうなったらどうしよう、


ああなったらどうしよう、



失敗したらどうしよう…



そうマイナスイメージを持ってしていますから



マイナスオーラがマイナス因子を引き寄せていました。




実際、出来なかったことは



それが今の自分の力だったりしても



それが認められませんでした。



出来ないのは自分の能力ではなく、


自分の性格に合っていないからだ、とか思って強がったり、


ただ単に「出来なかった」という事実だけにとらわれて


私はもうダメだ、と


自分を全否定していました。


自分を全否定すると、自分の力も分かりません。


途中まで努力したことも


全部ダメだった、で片付けてしまうので


次に同じことが起こっても、自分の力に合わせて試行錯誤できなかったんです。




出来た、出来なかった、の問題ではないんですが



当時の私は、「できなかったこと」にぶち当たると



自分が崩れてしまうので



失敗はとても恐いものだったんです。




今は、出来なかったことは、それが今の自分の力。



自分の責任。



だとしても自分自身が揺らぐことはありません。



人と比較して卑屈になることもありません。



出来るようになるには、どうすればいいか、



今の自分の力が分かると



それに合わせて小さい目標を立てていって、



最終的にそこへたどり着くように考えていきます。






先のこと、先の悪いことを考えても仕方がない。



まだ起こりもしないこと、



考えるのは時間がもったいないです。



「今」の次に「未来」があるのです。



「未来」は「今」が創りだします。



考えるだけでは何も前に進みません。



そして、考えなくても、時間は流れていくのです。



例えば、悩み事があってすぐに決断できなければ



ギリギリまでほっておく、というのも選択肢。



時間がたてば状況も変わっています。



決断の要素が変わって決断しやすくなっていたり、



もしくは新しい選択肢だって増えていることもあります。





悪いことを考えると悪い方向へいきます。



自分が引き寄せいています。



自分が幸せになることを恐れていたり


不幸だと思っていると、


知らず知らずのうちに不幸だと思われる道を



自分で選択して進んでいきます。



苦労している自分に酔っていることもあります。




私は自分が不幸だと思い込んでいましたが、


実際は不幸なんてことは全くありませんでした。




親が離婚したことも、それは両親の問題であって


私が不幸とは関係のないこと。



親の選んだ人生です。


父が借金をしていて貧乏だった…


な〜んて言っても、


友達もいたし、健康だったし


何より、こやって今は普通に暮らしているし、


服も着れて食べ物も食べれる、


なにより今は健康と言えないが、


動く体がある!


食事制限があっても食べるものはあるし


舌がある。胃がある、腸がある、


食事がおいしい!



普通に暮らせる、こんな幸せなことはない!



不安神経症の時のほうが、体自体は健康だったし


お洒落も出来た。



食べたいものをいっぱい食べれた。



それなのに自分は不幸だ、運が悪い、


そう思い込んで、なんだか不幸な気持ちだった。



運命ではなく、自分が不幸だと思い込んで



自分で不幸と思われる道を選んで進んでいた。



自分はこんなに苦労をして偉い、人とは違う、



そんな変な考えを持っていた。



それが土台の少ない私を保つプライドだったんです。







過去も今も同じ「私」に変わりはないのに


考え方が変わると、世界が違います。


私の周りの状況は何も変わっていないのに、


色々なことにありがたさを感じる。



以前は、私にはこれがない、あれがない、


人がうらやましいと思っていました。



今は何か不便なことがあっても


私にはまだまだ他にたくさんある、と思います。



自分の体の出来る範囲で、出来ることをすればそれでいい。



考えたって私の体がもとに戻るわけないし



考えたって痛みが消えるわけではないし、



考えたって自分の思いが人に伝わるわけないし。



考えたって仕方ない。



「今」自分が出来ることをしないと、言葉にしないと



「未来」は何も変わりません。



何もしていないのに出来ない理由を考えていても仕方がない。



こうしようと決めたら、やってみて


出来なければ、



諦めるか対策を講じるか、



その時、その状況で考えたらいいと思います☆     




考える時間、もったいないです。



「今」の先に「未来」があるんです。



今夢がなくても、


今自分が出来ることをしていれば、



きっと未来には



希望を持っている自分が待っていると思います☆




                           
                                        

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