|
私の不安神経症からの回復過程で
大きなターニングポイントは
信頼する人からの「洗脳」があります。
ここで難しいのが「信頼」と「依存」。
裏表がなく、
言っていることとやっていることが合っている、
そんな人を私は信頼します。
そういう人は嘘も少ない。
けれど
当人に絶対にばれないようにし
相手を傷つけないため、又は、相手を心配させない為のウソは
ウソに入らないと思っていますが。。。
逆を言えば、
私がいま「信頼できない」と思うタイプは
裏表が多くて
人に言っていることと、本人自身がやっていることが違う人。
昔の私の「信頼できる人」とは、
「自分を分かってくれそうな人」
「自分を否定しない人」
「自分を心配してくれる人」
「絶対にウソをつかない人」
「自分を裏切らない人」
という感じでした。
「相手へ依存」できることが「信頼」だったのです。
奥深いところに、人間不信や疑いがあったので
今の主人もなかなか信頼できませんでした。
うつ病の時に同棲して世話をしてもらい、
彼の言葉が何度も耳に入ってきました。
「考えても同じ、なるようにしかならない」
「ならないときは、ならない」
「なるときは、なる」
私はたいして先を考えない人は、
「バカな人」と思っていました。
でも、マイナスに考えすぎていたのは
自分自身に自信がないという現れの1つだった
ということもあります。
先へ先へ物事を考えて
行動して
考えたとおりにならないと不安におちいりました。
どうしよう、どうしよう。。。
どうにもならないけど、どうしよう。
自分の価値が低くなることを恐れたり
周りの自分への見方が変わるんじゃないか、
失敗は恥ずかしい、
ミスはいけないこと、
こうなったらどうしよう、
私には出来ないかも。。。
やめておこうか、
大丈夫かな、
ほんとに私に出来るかな。。。
どうしよう。。。
そんなことが頭をグルグル駆け巡っていました。
考えすぎも
楽しいことなら
そんなにストレスではないのでしょうが
私はいつもマイナスナことばかり考えていました。
行動するときは
いつも不安がつきまとっていました。
悪い方向へ考える道筋ができていたのです。
「クセ」です。
母親もそうです。
最悪の事態を考えないとダメなのよ、
私はそう教えられていました。
悪いことがおこると
「やっぱりこうなったでしょ」と言われ、
悪い出来事を「思っていた通り」というふうに。
考えたら悪いことが予測できるのに、
という言葉をかけられていました。
考えたら次に起こることがわかる、と。
何も考えずにそうなったら
「あ〜、アンラッキーだった〜!」ぐらいで終わるものが、
「悪い事態」を想定してそうなってしまうと、
「やっぱりこうなるんだ」、と
悪いことをしっかりと記憶して
そうなるものなんだと思い込み、
それがまた次も起こるのでは。。。
そう思い込む道を作っていたように思います。
マイナスに考えることが多すぎて
「運が悪い」「私は不幸だ」と思い込んでいました。
うつ病になった性格や考え方には色々な原因が重なりあったと思うので
書ききれないですが、
「マイナスに考えすぎる」ことも
数ある原因の中の1つだったと思います。
マイナスに考えすぎることが悪循環をつくっていました。
それも自分では
考えすぎていることに気付かなかったのです。
そういえば
誉められると「謙遜」しました。
誉められることが
とても居心地が悪かったんです。
「そんなことないです、それは違います」
と、いつも否定して答えていました。
誉められても
「違う違う!本当の自分は、そんな誉められた人間じゃない」
とか、
「この人は、本心で言ってるんだろうか」
と、思っていました。
ちょっと話はそれましたが、
たった1人の小さな頭で考えても状況は変わらない、
考えたって仕方のないことを
私は考えていたことが、結構多かったのです。
当たり前だけど
天気が思うようにいかなくて
雨が降って急遽予定変更にも適応できず、
今日はこれをしようと思ってたのに。。。私はなんて運が悪いの!
と
イライラしていたこともたくさんありました。
天気が悪いのは自分の運が悪いからだ、と、すり替えていました。
考えても仕方ないことを考えすぎていたことに気付いてからは
「なるようにしかならない」
「自分の思い通りにならない」
呪文のように唱えて
開き直りの練習をしました。
本当にそのこと(自分の考え方が自分を苦しめていること)に気付くまでが
長く辛かったんですが
ついてしまった「クセ」という思考の道筋を
修正し、
「あ、考えなくても大丈夫だった、対応できた」と
それを体感して
小さな成功を感じることが
私の場合、変化につながったと思います。
|