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私のうつ病になった背景に、強い劣等感がありました。
私の家族は、父は某有名国立大学卒業、
母は医者の道を祖父に押し付けられ、
イヤで大学受験を逃げた過去があります。
私は2人姉妹。
姉は小学校からオール5の優等生で
現在薬剤師です。
そんなインテリ家族の中、
私は姉といつも比べられて大きくなりました。
私が小学校に入学して、担任の先生にこう言われました。
「あなたが、あの○○さんの妹ね」
と。
期待感でいっぱいの先生の顔を私は潰すと、
自分に罪悪感を感じていました。
小学校6年生のとき、
私は母に平手打ちをされました。
「あんたのせいで、なんで私はこんなみじめな思いをしないといけないの」
と。
中学校の時、3者面談で、母が先生に、
「姉はできるのに、この子はダメで…」
と言いました。
先生は、「お姉さんは関係ないですよ、お母さん。この子はこの子です」
と言ってくれたのを覚えています。
しかし母はそう思えない、と。
高校生の時、母は私の3者面談に来たくないと、
離婚した父をわざわざ呼んで、
面談には父が来てくれました。
父は私に何も言いませんでした。
馬鹿でもいいと言いました。
でも私は、そんなことを言う父が馬鹿だと思っていました。
中学、高校の6年間同居していた祖父に、
私は頭が悪いから嫌いだ、と姉を可愛がり、
私は無視をされていました。
私のことは「いらないから、引き取ってくれ」
と、父方の祖母にお願いしている姿を見ました。
私はいらない子…
とてもショックでしたが、感情にフタをし、
記憶から消していました。
祖父から、あからさまに差別を受けました。
入学祝いのお金の金額も姉の10分の1でした。
物を燃やされ、
かかってきた電話はつないでもらえませんでした。
いつの間にか、
「私なんか…」
「どうせ私は…」
と自分を否定することしか出来なくなっていました。
私は誉められた記憶がありません。
もちろん誉めることだけが大事ではないのですが。
出来ない私を認めて欲しかった。
ぐれたこともあります。
高校を卒業して、看護師になる夢が私にはありました。
それを聞いて、母と祖父は私に
地元で有名の看護学校に行って欲しいと願いました。
私は、無意識に期待に応えたいと思い
そこを目指すようになりました。
私はそこに合格しませんでした。
別の看護学校に入ると、周りの期待が失われたとひしひしと感じ、
私はその看護学校を1ヶ月で退学し、
浪人をして次の年に母と祖父が願っていた看護学校に受かりました。
周りは喜びました。
周りが喜んでくれたので
私もすごく嬉しくなりました。
看護学校に行き、看護婦になり
それからどんどん周りが変わっていきました。
私を見てくれるようになったのです。
今から思えば、人の目や評価が変わったことを感じた、
【最悪の体験】です。
私はその時、もちろん無意識です。
周りの大人の期待に沿おうとは思っていませんでした。
無意識に、周りの大人が願ったことが
自分の願いとすりかわってしまっていたのです。
子供時代、周りの大人に振り向いてもらえず、
周りの期待に沿うことで、
ようやく振り向いてくれたこの感覚が、
自分にとって素晴らしい体験となってしまい、
反対に見捨てられることが恐くなりました。
ところが今、
「私なんか」と思うことは全くありません。
どんなに小さいことで悩んでも、私は私、
これが自分、これもかわいい自分、
と、自分自身が大好きで、大切です。
こうなった背景に、彼の対応があります。
うつ病で、
お風呂も入れず、歯も磨けず、臭いし
頭はボサボサでフケだらけ。
着替えもせず、服は毛玉だらけ。
どんなに汚いと思う姿を見せても、
彼の態度は全く変わりませんでした。
それでいいんだよ、と認めてくれていたのです。
そして、嫌な顔一つせず私の世話をしてくれ、
動じることなく見守ってくれていました。
失敗したっていい、
出来なくていい、
どんな姿でもいい、
そんなことで嫌いにならない、
そんなことで去ってはいかない、と
態度で示してくれました。
そんなことが重要なんじゃないんだ、と
態度で教えてくれました。
みんな完璧じゃない、
出来なくてもいい、
弱くたっていい、
自分が出来ることをしたらいいんだよ、と。
そんなわけはない
自分の得にならないことをするわけがない!
私は、彼の愛を信じられず
この人は私の何が目的なのか、
私の何を狙っているのか…
そんなことを考え、試し行動ばかりしていました。
それでも変わらない彼。
それが私に大きな安心感を与えてくれ、
私自身への罪悪感が少なくなり
自分を見つめる勇気が持てました。
出来ないことも認めてほしい、
子供のとき私はそれを無意識に望んでいたはずです。
私はただただ
現実の姿を
ありのまま愛してほしかった。
私はずっと
愛に飢えていたんです。
〜過去の記事に追記して〜
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