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(日本バレーボール協会)小学校対策委員会の独立 豊田博氏著
【資料】
日本小学生バレーボール連盟 黎明から草創のとき
㈲日本バレーボール協会指導普及委員長 日本小学生バレーボール連盟 副会長 豊田博氏
(『小さな点』日本小学生バレーボール連盟 結成10周年記念誌 平成4年刊 一部加筆)
昭和46年から日本協会の機構改組によって指導普及委員会の副委員長に就任した私に代わって、新しく独立した小学生対策委貞長に吉村恒男氏が選任された。一方の中学生対策は、昭和45年度から当初日本協会の意図した全日本中学生男女選手権大会が正式に開催されることが決定したため、その運営を日本協会サイドより全国中体連バレーボール専門部へ移行した方がよいという考えから大会の運営中心の中学校対策委貞会へと独立させるということで、ほぼ当初意図した使命は達成されたからであった。一方の小学生対策は社会体育としての組織やチームの育成は年を追って徐々に成果が挙がってはいるものの、肝心の正課体育の教材化は暗しょうにのりあげたままで見通しのつかない状態が続いていた。
一方では、ボールメーカの要求もあって、小学生バレー用のボール規格の統一の要求が出されたので後日、日本協会並びに国際バレーボール昭和46年頃の小学生大会連盟の規則及び技術委貞長に使命された私を中心とする科学研究委貞会が種々検討の結果、多くの指導者の経験を生かして現在の軽量4号ボール(210g、64cm)を小学生用公式競技用ボールと決定し、今日でもその規格が、日本のみならず国際的にも用いられるようになった。又コ−トの大きさ及びネットの高さも競技用として現行の(コート8×16m、ネット2,0cm)を前述の標準レクリエーションルールとは別に定めた。
又更に9人制を中心にバレーボール活動を実施している全国スポーツ少年団本部に対しても、日本協会の定めたルールを正式に取りあげると共に、日本協会サイドの教室や大会へも積極的に参加してもらうよう協力を呼びかける等外部団体との協調への努力が払われたのもこの頃であった。
更に昭和41年度には、吉村委貞長を中心に更に活発な活動が展開され、4月に東京で各都道府県の小学生バレー担当者を集めての貫任者会議を開催し小学生バレー指導者の組織化と大会の持ち方について種々の意見交換や実状報告がおこなわれ、指導者養成のための9ブロックでの講習会の開催が具体的に発表された。小委員会費が34万円計上されたのに比べ小学生バレー教室経費が当時の100万円計上されていることを考えても、その当時日本協会が小学生指導者の養成に如何に力をいれていたかをうかがい知ることが出来るであろう。
又昭和46年からは福田希平理事長の大変な理解と努力によって朝日生命厚生事業団が全国10地区に各10万円の補助金を支出しての小学生バレー教室が開催されることとなった。この事業は現在も継続されており、小学生バレーに対する史上初めての企業協力として黎明期の小学生バレーの普及と発展に多大の貢献をしたことを銘記すべきであろう。
昭和48年8月には昭和40年にスタートした黎明期の小学生バレー施策の総決算とも言うべき全日本小学生バレーボール指導者講習会が駒沢大学を中心に開催されたが、その講習の主要なテーマは次の通りであった。
A.小学生のバレーボール指導は如何にあるべきか
i)子供の体力と精神的特性
ii)小学生バレーのルール
iii)小学生バレーの技術構造
iv)小学生バレーの指導計画
B.小学生チームの運営と管理は如何にあるべきか
i)チームづくりと子供の集め方
ii)父母の理解と支援体制づくり
iii)練習場・経費の作り方
更にこの年から吉原一男指導普及委員長(現日小連会長)の大変な努力によって、日本生命・アシックス・読売新聞社・報知新聞社・日本テレビ放送網の各社の協力を得て、現在のライオンカップの母体となった全日本バレーボール少年少女大会が全国各地で夏休みを利用して盛大に開催されるようになり草創期へと引き継がれてゆくこととなった。
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小学生(バレーボール)指導者大会への補助金交付(山梨県も参加)
【資料】
日本小学生バレーボール連盟 黎明から草創のとき
㈲日本バレーボール協会指導普及委員長 日本小学生バレーボール連盟 副会長 豊田博氏
(『小さな点』日本小学生バレーボール連盟 結成10周年記念誌 平成4年刊 一部加筆)
指導者講習会への参加者も回を重ねて5回目を迎えるとスポーツ少年団や社会体育活動としての地域単位の小学生チームが各地で生まれ交流試合を持つようになって、各県より小学生大会の開催経費を補助してほしいという多くの要望が日本協会によせられるようになった。
昭和45年度に日本協会に報告された小学生のバレーボールイベントは教室あり研修会あり大会ありで種々多様であったが、その主なものを挙げると次の通りであった。
●広島県小学生バレーボール教室(広島スポーツセンター、100人)
●名古屋市小学校バレー指導会(吹上ホ−ル男9、女32チーム)
●東京都小学生バレー教室(駒沢体育館、150人)
●町田市子供バレー練習会(町田市営球場、男女75チーム)
●小松市子供バレー教室(小松市体育館、241人)
このような講習会開催の報告があった県に対し指導普及委員会予算より1県20万円の補助金が交付され又、指導用のテキストが指導者用に作成された。
このように全国各地で開かれる教室や大会には、当時メキシコオリンピックに於ける全日本男女ナショナルチームの活躍や、テレビで全国的なブームをよび起こした“アタックNα1〝や“サインはⅤ”の放映によるマスコミ関係者の協力と支援により、年を追って参加者が増加の−途をたどり社会体育活動としての小学生バレーボールの発展の大きな原動力となっていったことも忘れてはならない力の1つであった。又当時参議院議員となられた大松博文氏やバレーボールを支援して下さる政治家を相談役として、小学校バレー教材化のための特別委員会の結成案も考えられたが、日の目を見ないままで今日迄立ち消えになったのは残念なことである。
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