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山梨県かいのきた小学生バレーボール ジュニアバレーボールスクール

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山梨県バレーボール協会 かいじ国体の記録強化委員長・各監督の所感 国体をふり返って 健闘をたたえる 少年女(県立増穂商高)監督 山村正和

 かいじ国体は、私にとって監督人生の一里塚、ある意味では総決算でもあるとの思いで迎えた。
 昭和61年のスタートは最悪であった。春の全国高校選抜大会では、全国トップ級の実力との前評判も、センタープレーヤーの骨折により西関東予選会で敗退。しかし、その後怪我の回復とともに戦力もアップし、6月の関東高校大会で優勝、8月の全国高校大会は準優勝することが出来た。チーム強化は着実に進んでいった。いよいよ、秋本番である。準決勝は北信越代表の松商学園を2対Oで退けた。次は全国高校大会の決勝戦で敗れた宿敵水上高(兵庫)との対決である。地元のプレッシャーに選手は硬くなり、実力の半分も出すことなく敗れてしまい残念であった。結果は3位である。
 ところで、増穂商高単独チームを県代表と決定されて2年、全国各地から有望選手を集め、強力なチームづくりを進める私学校で占められている現況下にあって、本校選手の堂堂たる健闘は賞賛に値するものである。終りに、県内外関係者に心から感謝致す次第です。

山梨県バレーボール協会 かいじ国体の記録強化委員長・各監督の所感 国体をふり返って 天皇杯獲得に向けて 少年男(山梨選抜)監督 戸島義光

 私の記憶では、本県の少年男子は過去ベスト8以上になったことは一度もなかったと思う。そんな状況の中で、負わされた目標はべスト8、天皇杯獲得のための至上命令である。都道府県対抗である少年男子にあって、1回戦も3回戦も同じである。目標達成には先ず必要な選手の確保であるが、選手育成長期計画の結果、全国Aクラスも望める所までには成長していた。
 しかし優秀選手の流出や指定選手辞退などあって、苦慮に苦慮を重ねようやく編成にこぎつけた。次いで他県チームの戦力分析である。高体連のスタッフを総動員して出来得る限りの情報を集めて検討した。こんな時、永年のバレー仲間の協力は無形の戦力となり、感謝の外はなかった。
 いよいよ本番である。 1、2、3回戦と勝ち進み、目標のベスト8へたどり着いた時は、体中の力が抜けてしまった感じである。あとは「負けてもともと」と気分的には大変楽になった。そんなことが幸いしてか準々決勝も取り、準決勝で埼玉に惜敗したが、練習の成果を出しきり、堂々たる3位入賞で、すがすがしい気分で幕を引くことが出来た。

山梨県バレーボール協会 かいじ国体の記録強化委員長・各監督の所感 国体をふり返って 国体優勝を念じて 成女9(山梨中央銀行)監督 小池一仁

 昭和57年「国体優勝」を合言葉にスタート、唯一の企業チームで、県内高校出身のみの純血チームで「日本一」を狙う想像も出来ない夢物語であった。
 企業、協会あげての支援態勢のもと、日一日と力をつけ、全日本実業団選手権大会では、58年ベスト8、59年3位、60年準優勝、61年優勝と着実に階段を登るように強化は実っていった。しかし58、59、60年とミニ国体敗北の苦しみは忘れられない。昭和61年10月16日、小瀬スポーツ公園体育館は超満員の観衆で煙った。選手強化スタート以来約1,800日。私は、この一戦に青春をかけ、一心不乱にバレーボールに明け暮れた苦しい日々を送って来た乙女たちの姿に、何か何でも「優勝」をと祈った。試合は1点を争うシーソーゲームと
なり、相手チームの技術と我がチームの気力の戦いであった。大観衆の声援の中、選手は必死にボールに食らいつき、2セット共にジュースの末の勝利であった。選手、企業、家族みんなでつかみ取った「日本一」である。

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