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山梨県かいのきた小学生バレーボール ジュニアバレーボールスクール

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小学生バレーボール指導環境と子供の活動環境「親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない」
 白州七星てんとう虫バレーボールクラブ 山梨わんぱくバレーボールスクール 清水三郎
 茄子の花は咲いたものは全部実になる。無駄になる事はない。
 親の意見も、これと同じて、「何を云われても無駄になる事はないから、よく聞いておけ」ということである。
 親にとっては、いつの時代でも、子にまさる宝はないのである。それだけに文字通り、寝食を忘れてまでわが子の育成に努カする。
 「這えば立て、立てば歩けの親心」など、子育ての親心を表わした作品は数えきれない。昨今、子を想う親の気持は変らない
のである。ところが、子供はそんな親の苦労を知らない者が多い。一人で大きくなったような顔をして、親の云うことをきかず、自分が気に入らないと、逆に親に文句を云ったり、わざと困らせたりする。そのくせ、自分に都合が悪いと親のせいにしたりする。
 「親の意見と冷や酒は後で効く」という諺があるが、若いうちは中々理解てきない。やがて自分が親になった時、はじめて親の有難さがわかる。私たちの人生において、親の意見は茄子の花と同じように、決して無駄がない大切な事である事を教えることばである。
 最近若い指導者に会う機会が多い。必要以上に挨拶や言葉使いが丁寧な者もいるが、中には基本的な挨拶もできない指導者もいる。しかも拙い指導論を目の前で展開されてはたまったものではい。挨拶もできない。言葉使いもいい加減では、何を子供に指導するのであろうか。年配者が息せき切って子供に接しているのに、平然と煙草を燻らす神経はいただけない。
望まれるスポーツ少年団活動と指導者 はばたけスポーツ少年団 未来に向かって。
戦後間もない頃は一家を支えながら勉強や運動それに遊びもしたものである。子供はたとえ小学生であっても大人以上の能力を持つ。子供自らその能力を最大限伸ばす努力、その努力する力を導き出すことが大人や指導者の責任ではないのだろうか。
 現在生じる青少年の諸問題も大人が導きだした結果である。益々混迷を深める非行問題も少年団や子供クラブそれに青少年育成団体が抱える問題でもある。少年団指導者も好むと好まざるとこうした問題と直面しながら指導をして欲しい。指導者の影響を受けやすい子供たちのためにも将来を見据えた指導が望まれるところである。少年団に大半の子供が集うときに、本当の少年団活動が実践される。子供たちのスポーツ離れが進む中で少年団の運営も困難になってきている。指導者の後継者の事も深刻な問題である。指導者もお互いの立場や枠を離れて理解しながら「勝つこと」をしばし忘れて、手を携えて子供たちを導いて行く時代に来ているのではないか。
 社会情勢のめまぐるしい変化の中で特に子供の環境変化は著しいものがある。多額な金銭を所持して一見幸福に見える子供たちは「何を考え」「何を求めて」いるのであろうか。場当たり的生活からは生まれるものは少ない。
 自由とは一定の親律の申にあるものではないのだろうか。例えば最近の「ナイフ」の問題である。全国津々浦々で発生する事件は教育関係者による解決は表面的なことである。何故子供を持つ親は沈黙しているのであろうか。
大人は自分の子供であれ他人の子供であり、成長を見守り育てる責任がある。中学生の場合その学校生活の部分は学校の責任かも知れないが大半は地域や家庭の問題ではないのか。学校だけでは解決が出来ない現実と、動きの鈍い地域教育の実感は今後どう展開していくのであろうか。規律と自由と責任を誰が何処子供たちに教えるのか。ボーイスカウトやガールスカウトともそうした教育を実践している団体である。しかしその親模の大きさでは少年団の比ではない。全国100万の子供を抱える少年団こそ、今リーダシップをとるべきではないのだろうか。
 子供が無心でスポーツをする姿は一つの文化であり芸術である。見る人に感動を与え、夢と感動それに希望を与えるスポーツ少年団でありたい。その為には子供の自主性を育て子供の能力を信じて指導者も保護者も地域も一歩引いて見守ることが大切である。
  はばたけスポーツ少年団 未来に向かって。
望まれるスポーツ少年団活動と指導者 体罰・いじめ
少年団の中にも「体罰」や「いじめ」はある。少年団活動でなく便宜上少年団を名乗る団体も多い。練習活動が斉しければ激しいほど生まれる現象である。「叩いた数で全国が決まる」などと豪語する指導者もいる程である。親の中には子育てを放棄して「もっと叩いて下さい」と指導者にお願いする保護者も見受ける。指導者が余りおとなしいと、自ら体罰を加える親もいるのである。体罰による指導は暴力を容認する土壌をつくり、子供社会の中で子供も暴力による解決を実践するようになる場合が多い。
体罰行為は指導者の「いらだち」から生まれ「子供が自ら伸びる練習」「優しく諭す」「理解を深めながらの指導」「自分を厳しく見つめれる子供を育てる」「教えるより覚える」「教えこむより待つことの大切さ」などなど言葉では分かっていても実践となると困難となる。指導者は「やるか、やられるか」「勝つか負けるか」など常に自分を叱咤激励していないと落ち着かない種族なのであろうか。
 目先の勝利がどれだけ子供の将来の人生に役立つのであろうか。「あの時の苦労を乗り越え、監督の指導があったから今の自分があります」などの結婚式の新郎新婦の挨拶に溜飲を下げる指導者も多く、「自分の子供の結婚式より泣けてしょうがなかった」などと感慨深げに指導者は言う。
 かくして指導者は下剋上の世界で、ある時は武田信玄になり、織田信長になり、豊臣秀吉にも成り上がり、戦国武将の風貌を彷彿させる。徳川家康のように天下を取り必勝長期安定型政権を目指す。徳川家康には一人しかなれないのに。
情報合戦もすさまじく相手チームの情報収集にあらゆる手法を駆使し、逆情報を掴ませることもある。戦国時代の情報戦である。「エースの体瀬が悪い」などのことを吹聴したり、対戦相手の試合をビデオ収録したりで、それこそ子供の試合や「スポーツは遊戯である」なんて呑気なことは言っては居られないのである。
 子供クラブも少年団もその他の青少年育成団体は子供の活躍の場を奪ってはいないのだろうか。大人の監視の下で子供はどう成長するのだろうか。子供クラブも少年団も子供の手に返して貰いたい。
 自立への道への導入として大人の関与は最低限にして欲しいと思う。子供の話や考えもよく聞いて欲しい。耳を貸して欲しい。小学生や中学生は戦国時代では戦場に出て大人と堂々の勝負をしている。かの武田信玄の戦場初参戦は十八才のことであった。
望まれるスポーツ少年団活動と指導者 やりすぎ諸侯群
「勝つこと」を目標にすると必ず陥るのが「やりすぎ症候群」である。のべつ幕なし練習して効果が上がる分けが無いのに。こうしたチームは子供が自ら進んで練習に取り組むような雰囲気は絶対に生まれない。「やらされてる」のであり、「求める」練習には成りにくい。「勝った」時の感激とメンツを求めた指導者や保護者の事故満足と欲求の為に子供は犠牲になり、指導者や保護者ほど感激をしない。感激はその時湧き上がるものと、将来の人生において思い出されるものとがあるが、子供に与える感激はどちらが良いのだろうか。又感激はそれに倍する以上の努力と忍耐が必要になる。感激や感動は多いに越したことはないが、子供の受ける感激や感動は大人の受けるものとはその度合いは違うのである。指導者自らの努力と入れ込みが薄くなったとき指導者の感激や感動感も薄くなるのである。ある時は子供と一緒に燃えることも必要であるが、指導者は総指揮官として常に冷静でありたい。
「勝つこと」から生まれるものは何なのか。それが子供の成長に将来にいかに役立つかを考えてもらいたい。逆に「負けること」に慣らされた子供や保護者も辛いものがあるに違いない。勿論指導者もである。
「勝つこと」は「負けること」を土台に成り立つものである。負けた後、負けたチームに対するフォローが指導者、保護者にとって最も肝心な心がけなのである。
望まれるスポーツ少年団活動と指導者 勝つためならどんな事も許されるのか
大会出場はもちろんのこと、遠征(練習試合)に次ぐ遠征を繰返し、練習日はほとんど毎日行われ、練習時間も非常に長い。 ある団では日本の有数の実業団や大学のチームや高校の部活動に匹敵する程の活動を展開している少年団もクラブもある。「勝つこと」は「勝つことを目的」する場合と「思いがけない勝ち」の場合がある。「勝つこと」を至上命令のように前提にしての活動はそれぞれ大きな歪みを生む原因にもなる。私たちの指導する対象はあくまでも小学生が中心である事を忘れてはならない。
 子供も戦うコマンド(戦士)に仕立てられて、保護者は子供を指導者に人質されて指導者のおもむく通りの活動を強いられることになる。地域活動などの社会活動や、学校行事さえ犠牲にして練習、遠征、試合を優先して、大会での体謝を整える為には学校さえ休んでしまう。この様なことは決して遠い国の話ではない。
こうした少年団の子供たちの多くは社会常識や社会知識が欠如している場合が多い。例えば「挨拶」にしても「軍隊式挨拶」「消防団型挨拶」と類似している。それは、
返事は声が大きいこと。
目線を下げないこと。
言葉が明確であること。
姿勢が直立不動であることなどなど。
競技年齢かかわらずに何処の会場でも良く見受けられる風景である。
 最近の競技とは感度で相手を圧倒し、声のデカさで圧倒して、その声も声量不足で応援団の出番となる。野球やサッカーなど広いグランドならまだしも狭い体育館でこれが始まると普通のチームであれば、指導者も選手も戦意喪失の状態となる。これを指導者は狙っているのかも知れない。
 保護者も勝っている時は一丸となり我を忘れて応援しまくる。相手チームの子供も野次り倒す。相手が失敗したら狂気乱属して喜ぶ。しかし自軍が負けてくると声も小さくなり、出場選手の親のみの応援となる。中には試合に負けたら自軍のチームの監督や負けた原因になった子供を吊るし上げ、しかも不満があれば形振りかまわずに審判に抗議する。中日ドラゴンズの星野監督もまっ青になる位の迫力である。
誰のために、自分の為に、親の手前、周囲の指導者の手前なのか。いやそうではない子供の為になのか。負けたら子供もたまったものではない。終了後は監督やコーチから「怒られ」、ホッとする間もなく今度は両親から非難される、それは執拗で何時までも続く。さらに次ぎの試合に向かって練習はエスカレートしていく。「頑張らせる」「や
らせ」の分野に突入する。指導者も仕事どころではなくなり、仕事についても頭の中は試合に勝つ為の方論がいっぱいになり仕事にも身が入らない。
 保護者も常時試合に付き添っていると、口を出す範囲が広がる。アマチュア評論家となり、作戦から味方の得点パターンから始まり指導者以上に見識、知識も高まる。中には指導者には任せて置けずに自ら采配を振るう保護者も出てくるのである。こうした環境の中で健全な青少年の育成が可能だろうか。
 

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