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「いまはだめ」でも、「あとで」の約束はかならず実行する。「なぜ、なぜと、うるさい子ね」
(『子供を叱るうまい方法』多湖輝氏著 カッパブックス ごま書房 昭和58年刊)
小学生のうちの成績の良し悪しは、あまり当てにならない、とよくいわれます。たしかに、小学生のうちは優等生でも、中学・高校と進むにつれ、だんだん成続もバッとしなくなるというケースは珍しくありません。これに対して、小学生のうちはそれほどでもなかったのが、中学・高校へ行って、よい成績をあげるようになったという逆のケースもよく見かけます。
このようなことがなぜ生じるかというと、一つには、知的好奇心が旺盛かどうかというところに原因があるといってもよいでしょう。つまり、小学生のうちは、勉強もそうむずかしくないので、親に「勉強しなさい」と言われて素直に従うような子なら、いい成績もあげやすいのです。
しかし、中学・高校と勉強の内容が高度になるにつれ、本人自身のやる気が成績を左右するようになります。このとき、学んでいることへの興味がわかなければ、当然やる気も起こってきませんが、このやる気の源泉が知的好奇心だというわけです。
この知的好奇心は、本来だれにもあるのですが、問題はその強さのレベルの違いにあります。このような差を生じる原因の一つとして、私がつねづね感じているのは、子どもが「なぜ」と聞いてきたときのお母さんの対応の仕方です。三、四歳のころに「なぜ」を連発する時期があることはよく知られていますが、その後も、小学校低学年のころまでは、「どうしてこうなるの」と子どもは、よくお母さんに質問を投げかけます。このような「なぜ」は、子どもの知的好奇心が高まっている証拠にほかなりません。このとき、仕事にいそがしがったり、答えるのにめんどうだからと、つい「今、いそがしいからあとで」とか「しつこいわね、いいかげんにして」と、子どもをだまらせたくなることもあるかもしれません。しかし、こうして子どもの質問を封じてしまうと、せっかくの知的好奇心もしぼんでしまうのです。こういう体験を何度もくり返すうちに、だんだん知的好奇心の乏しい子どもになる恐れがあるわけです。
その点、ある賢明なお母さんは、たとえ夕飯の仕度でいそがしいようなときでも、子どもが話しかけてきたら、よほどのことがないかぎり手を休めて、子どもの相手になることにしているそぅです。「子どもの話は、長くても五分か十分。夕飯が十分遅れても、実害はそうありませんか」と、そのお母さんは言っていました。すべてに子どもを優先するのは考えものですが、こういう〝子ども優先〟は、大いにおすすめしたいものです。また、実際にいそがしくて「あとで」と育ったときは、かならずその約束を守っていただきたいのです。こうしたことで、子どもの知的好奇心が自然に伸ばされると同時に、親子のコミニケーションの基盤も確立されるのです。
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2012年04月12日
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ぴしゃりと押さえつけねばならないときも、理由だけは言う。「お母さんの言うことが聞けないの」
(『子供を叱るうまい方法』多湖輝氏著 カッパブックス ごま書房 昭和58年刊)
テレビドラマで、父と子が対立して言い争う場面などがあると、かならずといっていいほど出てくるのが、「親の言うことが聞けないのかー」というセリフです。実際、子どもの年齢に関係なく、子どもが言うことを聞かないようなときに、親が「最後の切り札」として使うのが、この類の言葉だといえるでしょう。
これは一種の脅し文句ですが、子どもが小学生くらいまでのあいだは、子どもを屈服させるという意味で、かなり効果のあることも確かです。しかし、子どもの頭の発達という面から考えると、じつはマイナス効果しかもたらさない言葉でもあるのです。
「お母さんの言うことが開けないの」という言葉の裏にあるのは、「お母さんの言うことは絶対であり、理屈抜きに従わなければならない」という親の権威の押しっけですが、これは言いかえれば、子どもに向かつて、あれこれ考える必要はないと言っているのと同じことです。
要するに、この言葉は、子どもに考えることをやめさせ、思考力の発達を妨げるものにほかならないのです。ですから、こうして育った子どもは、お母さんの言うことは開ける〝いい子〃になるかもしれませんが、自分が進学する大学選びも親まかせという、判断力も自主性もない人間になってしまう危険性が十分にあるのです。
その点、同じ言うことを聞かない子どもに対したときでも、欧米の母親のやり方は、ずいぶん違っています。子どもにもの心がつき、自我が芽生えるころから、「なぜ、そういうことをしてはいけないか」ということを、子どもが納得するまで、言葉でしつこいくらい説明するのです。
相手が小さいうちは、この言葉で説得する方法というのは、なかなかたいへんなことです。しかし、何度も説明を聞いているうちに、子どもにも、どういうことがしてはいけないことなのか、という善悪の基準がわかるようになり、やがて状況に応じて、その善悪の基準に照らして、自分で判断する力もついてくるというわけです。それにくらべて、「お母さんの言うことが聞けないの」と、説明抜きで従わせているだけでは、子どもにも、なぜ悪いことなのか、ということが、いつまでたってもわからないのは無理もないでしょう。
もちろん、日本と欧米とでは文化的背景も異なり、どちらのやり方がいいかということは一概にはいえません。かならずしも、欧米流を真似る必要はありませんが、子どもの頭の発達ということを考えると、有無を言わせずに子どもを屈服させるのでなく、なぜそうしたほうがいいのか、かならず理由を説明するような努力をすることがだいじだといいたいのです。
「いまはだめ」でも、「あとで」の約束はかならず実行する。「なぜ、なぜと、うるさい子ね」
小学生のうちの成績の良し悪しは、あまり当てにならない、とよくいわれます。たしかに、小学生のうちは優等生でも、中学・高校と進むにつれ、だんだん成続もバッとしなくなるというケースは珍しくありません。これに対して、小学生のうちはそれほどでもなかったのが、中学・高校へ行って、よい成績をあげるようにな.ったという逝のケースもよく見かけます。
このようなことがなぜ生じるかというと、一つには、知的好奇心が旺盛かどうかというところに原田があるといっても七いでしょう。つまり、小学生のうちは、勉強もそうむずかしくないので、親に「勉強しなさい」と言われて素直に従うような子なら、いい成績もあげやすいのです。
しかし、中学二向校と勉強の内容が高度になるにつれ、本人自身のやる気が成績を左右するようになります。このとき、学んでいることへの興味がわかなければ、当然やる気も起こってきませんが、このやる気の源泉が知的好奇心だというわけです。
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子どもには「何をせよ」ではなく、「何からするか」を問いただす。
(『子供を叱るうまい方法』多湖輝氏著 カッパブックス ごま書房 昭和58年刊)
小学校の一年生の遠足で、遊園地に行って「何でも好きな乗り物に乗っていい」と自由行動にしたところ、解散場所から動こうとしない生徒が少なからずいて、先生を驚かせました。まえがきでもふれたように、その子たちは遊びたくなかったわけでなく、ただ、何から遊べばいいか指示がなかったため、どう行動したらいいかわからなかったというのです。
これは極端な例と思う人がいるかもしれませんが、じつは似たようなことを最近あちこちで耳にするのです。指示されたことは、そのとおりにするのですが、指示がないと何もできないといぅわけです。なぜ、そう憤ってしまうのか、ここでお母さんに考えていただきたいのが、日ごろ細かいことまで、子どもの行動に注意や指示を与えすぎてはいないかということです。
お母さんにしてみれば、子どものすることは危なっかしいので、一つい「こうしたほうがいい」と言いたくもなるのでしょうが、じつは、そうした指示を与えることによって、子どもの自主性が伸びる芽を摘んでしまう恐れがあるのです。というのも、何か問題にぶつかったとき、自分なりに考えて行動するという体験を重ねるうちに、自主性や判断力も育ってくるのですが、自分で考える先に、お母さんから判断や結論が与えられれば、子どももそれ以上、考えようとはしなくなるわけです。こうやって、お母さんの指示に従う習慣がついてしまうと、いざ自分で判断して
行動しなければならないとき、子どもが途方に暮れるのも無理はありません。
これに対して、幼少のころから自主性を育てるような配慮があれば、高学年になって自分で勉強して実力をつけねばならぬときに、困ることはなくなるでしょう。その意味で、たとえば学校から帰ってきた予どもに、「宿題をしてから遊びなさい」とよくお母さんは叱るのですが、これは考えものです。といって、道に「遊んでから勉強しなさい」と言うのがいいわけでもありません。どちらにしても、親の判断を子どもに押しっけている点では同じだからです。
では、どうすればいいかというと、一つは子ども自身に考えさせる機会をできるだけ与えてやることです。それには、その日何から先にやるか、価先順位を予どもに決めさせることなどは、格好の自主性の訓練となります。宿題が発か遊びが先か、ということに限らず、子どもに計画を立てさせるということは、ぜひおすすめしたいことです。
といって、何もかも子どもの判断にまかせよというわけでなく、もちろん親のチェックは必要なのですが、失政しても危険や負担の少ないことは、できるだけ口をはさまないことがだいじです。自分で選択して失敗した体験から、子どもはまた考え、飛躍へのきっかけをつかむのです。
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「子どもを叱るうまい方法」の三つの原則
(『子供を叱るうまい方法』多湖輝(あきら)氏著 カッパブックス ごま書房 昭和58年刊)
そのうえで、子どもをうまく叱るための三つの原則をあげれば、まず第一に、子どもを一個の人格と認めたうえで対応するということです。親の日からは未熟で半人前の人間に見えるかもしれませんが、子どもにも感情や立場というものがあります。それを認めなければ、子どもも素直に親の言うことに耳を傾けようとはしないでしょう。
第二に、子どもになぜ自分が叱られなければいけないのか、説明してわからせることがだいじだということです。そして、もしその説明だけで十分反省しているようなら、それ以上の追及は必要ありません。執拗なダメ押しは、子どもを傷つけるだけで、逆効果です。
第三は、子どもが次に同じ間違いをくり返さないために」どうすればよいかを気づかせることです。言うまでもなく、叱るという行為は、叱ること自体が目的ではないのですから、叱りっぱなしでは半分しか目的を果たしていないわけです。その際、親が自分の考え方ややり方を示すのも一つの手段ですが、これも押しっけでなく、子ども自身が考えて判断を下すためのヒントとして提供することが望ましいのです。
もちろん、これはあくまで原則にすぎません。ケースによっても違ってくるのですが、いずれにせよ、子どもの心を読みながら、それに応じた対応をすることが「うまい叱り方」の基本であることに変わりはありません。この本では、ふだんの叱る場面で、お母さんたちがつい口に出しやすい言葉や、何気なく言ってしまう言葉の中から、心理学的にみて、子どもをダメにする危険性の高いものを選び出し、そこから、子どもの伸ばし方を考えていくという構成にしましたが、ここから、親の教育がいかに子どもの能力を左右するかをわかっていただければ辛いです。
もちろん、親と子のあいだのつながりの深さからいえば、たった一回のまずい叱り方で、子どもをダメにしてしまうということは、そう多くはないと思いますが、そのくり返しが、知らず知らずのうちに、親が期待するのとは逆の方向に子どもを向けてしまうということを知っておいていただきたいのです。また、先にもふれたように、叱るという場面は、強い緊張状態になるだけに、よい意味でも悪い意味でも、子どもの心と頭を大きく揺さぶることは事実です。その意味で、子どもを叱るというのは、子どもを伸ばす絶好のチャンスでもあるのです。
昭和五十七年七月三日 多湖 輝氏著
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私たち指導者は練習や試合で思うようにいかないときは、子供を口汚く罵ることがある。馬鹿、戯け、コートから出ろ、お前なんか必要ないなどとなんでも口に出る。
こうした言葉が適切かどうかは誰でも理解できるが、その場に至ると陥ってしまう。言葉の次は体罰(暴力)行使となる。
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あなたは、知らずのうちに、子どもをダメにしていないか
(『子供を叱るうまい方法』多湖輝(あきら)氏著 カッパブックス ごま書房 昭和58年刊)
アメリカの有名な児童心理学者ギノットは、子どもを叱るときの望ましくない親の態度をいくつかに分類していますが、それをもとに、どういう叱り方が子どもをダメにするか、ここであげてみましょう。
悪口 ― ばか、嘘つき、ろくでなし。
侮蔑 ― おまえは人間のクズだ。
非難 ― またやったね、ほんとうに悪い子だ。
抑圧 ― お黙り、お母さんの言うことが聞けないの。
押しっけーいけないといったらいけません。
脅迫 ― お母さんもう知らないわよ、あんたの面倒なんかみたくない。
哀願 ― お願いだからやめてちょうだい。
ぐち ― お母さん、もう情けなくて泣きたいわ。
買収 ― 一〇〇点とったら自転車を買ってあげるよ。
皮肉 ― こんなバカなことをするなんて、あんたはほんとうにお利口さんね。
賢明なお母さんなら、このような叱り方はふだんから避けていることと思いますが、これらの言葉を一つも口にしたことのないというお母さんも、実際のところ、そうはいないのではないでしょうか。また、ここにあげたのは、明らかにまずい叱り方だということがわかるものですが、このほかにも、気づかないうちに子どもにマイナスの影響を与えてしまう叱り方は多いのです。個々のケースについては、本文で詳しく話しするわけですが、どんな叱り方が効果的なのか、その原則についてここでふれておきたいと思います。
まず、子どもをほめたり叱ったりする状況として、つぎの四つの場合が考えられます。
叱り方しだいで、子どもの将来は大きく違ってくる。
①子どもが望ましいことをした場合
②子どもが望ましくないことをした場合
③子どもが望ましくないことをしなかった場合
④子どもが望ましいことをしなかった場合
この中で①は、親が文句なくほめるときで、③もやはり、ほめる場合でしょう。④の場合は、子どもはとりたてて悪いことをしていないのですから判断は微妙ですが、最終的には、子どもがよいことを行なうチャンスを逃したことを気づかせることが望ましいケースです。
問題は②の場合ですが、このとき、親がもっとも注意しなければならないのは、子どもがしたことがほんとうに望ましくないことかどうか、つまり叱るに値することかどうか、という判断がだいじだということです。というのも子どもに手を焼き、叱っても言うことを聞かないという人にかぎって、そのときの感情しだいで、子どもを叱ったり叱らなかったりするという人が案外多いのです。これでは叱られる側も納得しないのは当然といえるでしょう。
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