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スポーツ少年団の理念 スポーツの効果 スポーツの心理的効果
(スポーツ少年団育成指導員テキスト 共通科目 昭和60年刊 日本体育協会 一部加筆)
 つぎに,少年の人間形成に及ぼすスポーツの心理的効果について,とくに次の4項目をあげる。
1)スポーツは少年の活動欲求を満足させる。
 身体的発達の著しい少年たちは,体格も体力も充実してきておとなに近くなり,自分の力を試したいという強い欲求をもつようになる。
 しかも,おとなを意識しはじめた少年たちは,おとなと自己とを比較することによって心理的には,おとなに対する−種の劣弱感をもち,まだおとなではない,という意識をもっている。「すなわち,心理的には常におとなの圧迫を感じ,早くおとなになりたい,という強い欲求をもつようになる。」
 そのために,少年たちには,しばしば,おとならしく振舞うこと,おとなのようにみせる行動がみられる。
 体力の充実に伴う強い活動の欲求は,各種のスポーツに対する関心とその実践を推進させるが,スポーツは,おとなと同様に,あるいは,それ以上に活躍することのできる活動であり,彼等の活動の欲求とおとなに対する心理的劣弱感は相倹って,彼等をスポーツに駆り立てているものと考えられる。
 しかも,彼等は,スポーツによって,まわりの人々に認められたいという強い社会的承認の欲求,あるいは自己顕示の欲求が満足されることを知っている。
 このために,少年たちはスポーツが好きであり,それに対して強い欲求を持つのである。
 これらの欲求が満足させられない場合には,彼等は街道をさまよったり,反社会的な行動に走ったり(非行),あるいは,実践的,活動的な欲求を,映画やスポーツを見ることなどによって代償的に満足させようとするのであろう。
 現在,ともすればスポーツを見たり,開いたり,読んだりするものとして受動的に楽しまれる傾向があるのは,少年たちの活動欲求を満足させるようなスポーツの場がないことも1つの大きな理由であるといわなければなるまい。
 少年たちの活動欲求は,スポーツの実践によってこそ真に満足させられるものであり,彼等のエネルギーは開放されると考えられる。
2)スポーツは生活上の緊張を解消させる。
 現在の社会生活において,強い緊張の場におかれているのは,おとなだけではない。おとなの前に立たされている少年たちは,未知の場に立たされているのであり,その将来は可能性に満ちている。そのために,彼等は心理的に不安定であるが,その上に受験,就職など,解決しなければならない問題が常に彼等を圧迫しているといってもよいであろう。ことに,両親やまわりの人々の自己に対する過大な期待は,時には,心理的な負担になってくる場合もある。
 さらに,今日の社会生活において,交通,通信検閲の発達に伴うマスコミは,彼等に目から耳から強い刺激を与えている。
 これらの緊張は,どこ・かで,なんらかの形で解消させなければならない。
 一般的にいえば,これらの緊張の解消は趣味の世界に求められる。自分のすきなことをみずから実行することによって解消されるわけである。このような活動の中には,音楽,絵画,彫刻などの芸術的活動もあるが,少年たちに好まれる活動的なスポーツも,彼等の生活上の緊張を解消させるのに有効な働きをするものである。
活動自体が精神的な緊張を解消させる役割をするが,スポーツの世界は,日常生活とは次元の異なるものであり,日常生活と異る価値体系によって支配されている。そのためにも,日常生活における精神的な緊張は,スポーツの実践によって解消されると考えられるのである。
3)スポーツは耐単調能を育てる。
 科学技術の急速な進歩は,いわゆる技術革新を生み,第2次産業革命を招いている。現在における技術革新の進歩のテンポは,想像以上に急であり,少年たちは,身近に迫っている新しい社会に適応できるような能力を身につけなければならない。
 その場合に要求きれるのは,新しい産業技術の理解と習得および作業の単調さに打ち勝つ耐単調能であると考えられる。すなわち,生産の合理化横械化によって,作業はますます単調になり,単調な作業の繰り返しが要求されることになり,それに耐えられるような能力を身につけることが必要となる。
・作業の単調さは,人間性とはかけ離れた無味乾燥なものであり,人間が恰も機械の一部として働かなければならないような単調さである。いわゆる人間疎外の現象が生ずると考えられるのである。
 このような生活の中に,人間生活としての血を通わせ、生きる喜びを感得させるのは,人間の自然的,全身的な活動であるといわなければならない。
 スポーツは,まさに,自然的,全身的な活動であり,その活動に全力を尽してぶつかり,そこに生きる喜びを見出すことのできる活動である。
 スポーツを楽しみ,それを実践することによって,予想される将来の社会生活における単調さに耐える能力を,少年たちは身につけることができる。
4)スポーツは自己形成の態度を養う。
 スポーツには,他の人あるいは他のチームとの競争のみならず,自己の記録や技能との競争が含まれている。
 自分の記録や技能を現在よりも伸したいとか向上させたいという心的過程は,目標を持ち,その日標実現のために努力を重ねるという自己形成の態度に連がるものである。
 目標実現を阻止する条件,あるいは障害や困難を克服して,目標実現のために努力を重ねることによってのみ目標は達成される。
 そこには,自己の現状の客戟的認識が必要であり,その認識に基づく目標達成への見通しが要求される。スポーツでは,たえずこのような心的過程が繰り返されていることを忘れてはならないであろう。
 現在の自己を少しでも向上させようとする態度こそ,現在の少年に望まれる基本的な生活態度であり,社会生活においても必要とされる態度である。
 しかし,すべての障害や困難を克服して,目標の実現に邁進するという態度は,スポーツにおいては,スポーツに対する愛情などに支えられたものである。
 したがってその態度は,必ずしも,すべての日常生活に適用されるものとはいえない。しかし,基本的な態度として共通性をもったものであり,指導の如何によって,日常生活の場面に移転されることが可能である。スポーウマンの中には,スポーツにおける態度を自己の人生観にまで高めている人が多いことは,このことを実証するものであろう。
 しかも,スポーツにおける競争が単なる闘争ではないことに留意しなければならない。そこには,両者が公平に競うためにルールが設けられており,それを守ることが要求されている。いいかえれば,ルールによって闘争でなく競争が行なわれているのである。また,その競争は,協同の上に成立しているものである。スポーツは技を競うことを楽しむものであるが,スポーツを楽しむためには,相手がいなければならないし,相手がルールを守ってくれなければならない。すなわち,相手が味方と同じ立場で競技をするのでなければ楽しむことができないし,スポーツは成立しないのである。
 このように考えてくれば,スポーツにおける競争は,相手と味方の協同の上に成り立つ競争であると考えなければならないであろう。
 スポーツにおいて,相手の立場を考える,相手を尊重する,あるいは自己の最善を尽すことが要求されるのは,競争の共通の基盤に協同があるからである。
 また,味方の協同は,相手と競争するという立場で強化されており,競争的な協同であるという特徴をもっている。そのために,ともすれば,味方の協同のために,排他的になったり,チーム利己主義が生まれたりすることもある。しかし,その競争の基盤に,両者の協同があるために,競争に伴う排他的傾向や利己主義的傾向が解消されて,スポーツがスポーツとしての意味をもつものであることも認識しておかなければならないであろう。
 
スポーツ少年団の理念 スポーツの効果 スポーツの身体的効果 その2
(スポーツ少年団育成指導員テキスト 共通科目 昭和60年刊 日本体育協会 一部加筆)
 
 第2は,幼な児の身のこなしにわれわれは,美しいものを感ずるが,それが大人になると硬くぎこちなく憎くなっていくとき,スポーツによる関節の可動性の増大は,身体の動きに柔軟なしなやかさを取り戻し,その動作には内部から出てくる美しさ,すなわちうるわしさが見られるようになることである。スポーツ・プレーヤーが,よく彫刻家の制作対象となるのも,身体の動きのなかで形づくられてきたうるわしさのせいであろう。
 
 第3は,これらの身体に及ぼす効果をもつスポーツは,同時にそれらに相応する心理的影響を精神に及ぼして,その機能を高めていくことである。スポーツの技術練習における動作のスピード化,精神化などはすべて,それらに対応する心的機能をも同時にスポーツの練習のなかで育成して,ダイナミックな精神のはたらきができるようになる。ここにわれわれの目標とする完全なる健康がある。こうした健康は,日本人の寿命が飛躍的に延長されつつある時に,とくに考慮すべき問題であって,最後まで活動力のある人間は,このような健康から生まれる。また少年が学校の学習にぉいて,職場の作業場において,この心身の健康が,かれらの学習や作業の能率を効果的に向上させることは間違いない。
 以上に述べたことは−般論であって,少年期のスポーツの場合,教育はつねに少年の発育に一歩先行するのが原則であるから,これでもスポーツの種目や練習上の研究が,一つの重要な課邁になる。そのような意味で,次の「中学生期とスポーツ」は考えられたものである。
1)中学生期は,陸上競技,水泳,球技,スキー,スケートなど,あらゆるスポーツの初歩的技術を獲得すべき年齢である。この時期にスポーツの基礎を確立しておかないと,一生スポーツに上達する機会を失い,また体力の獲得にも失敗する。
2)中学生の時期は,思春期の急激なる発達期に当る。しかし筋肉や骨格,呼吸循環機能 の発達がいまだ十分でないから,あまり激しい練習を行ったり,身体に局所的な重荷が かかる種目ばかりに片寄った練習をしてはいけない。こうすると,身体の−般的な発達を阻害,また骨や関節や心臓などの障害を起し易い。したがっていろいろなスポーツ種目に親しむことが大切で,専門種目の練習をするには,あまり適当な年齢ではない。例えば,陸上競技でいえば,走,跳,投の何れも練習することが望ましい。
3)思春期には,個体差が大きい。また男女差が著明に現われてきて,したがって,各人の体力や発達段階に応じて,スポーツを行うことが必要で,この意味で,スポーツを行う場合のグループ分けが必要である。
 以上のことから,時として体育専門家の中にさえ,中学時代の少年スポーツ練習を,鍛練期の激しい練習と考え,専門種目の練習にのみ片寄る人が見られるが,これは熟考を要することである。
 少年工養成のばあいも,単能工としてよりもオールラウンド・アップレンチスト方式が,同じ熟練工養成として優秀であることが実証されている。完全なる健康を目指すスポーツが,あとに身体的障害を残すような無謀を犯してはならない。
 それらに反して,生涯の活動力の基礎となる体力の増進のためにも,無意識の中にも正しく動作できる反射的運動獲得のためにも,いくつかの種目の基礎練習を修練することは必要である。また・スポーツ自身の高度の発達と考えられる自動的熟練のためにも,この少年期のスポーツ練習は,それへのかけがえのない時期である。
 さらにグループ分けの練習が必要なのは,チーム・ワークと同じに,グループ仲間は,自発的に励ましあい,共感と友愛からくる真の満足感を与え,スポーツヘの愛好は,生涯つづくであろう。
スポーツ少年団の理念 スポーツの本質 スポーツにはビジョンがある
(スポーツ少年団育成指導員テキスト 共通科目 昭和60年刊 日本体育協会 一部加筆)
 子供の遊戯にはビジョンがあり,かれらはそのビジョンを想像によって形象化しようとして行動する。スポーツの競技活動の中でもそれと同じに,何らかのビジョンがあり,それのイメージを形づくる想像力が逞しくはたらいている。この想像力の作り出す想像的創造力は,それが文化に高められるとき,運動の流れであるリズムが,音に現われるとき音楽となり,色彩に現われるとき絵画となり,形に現われるとき造形となり,青葉に現われるとき文学となり,詩となる。それは運動そのもののリズムは,宇宙のリズムにほかならないからである。
1906年のIOCの会議においてクーペルタンは,オリンピック大会は,「人類の春」のために4年毎に開かれるが,それは「生命の門口にさしかかった若い世代の活動欲の形象にたいする祭典である」から,「直接近代スポーツの理念を反映したすべての建築,彫刻,絵画,文学作品の中で,5つの競技を新築する」ことをIOCに提案して「この競技はただちに,オリンピック大会に加えられなければならない」と言っている。
 遊戯やスポーツは、人間の衝動から発したものとして普遍性をもち,常に文化に先行して行われている。古代ギリシアにおける第1回オリンピアの開催は,実に紀元前760年であって,ウインケルマンが古代ギリシア文化の形成を「高貴なる単純さと静かなる偉大さ」と評したギリシャ文化の高揚期の出現は、それに遅れること約300400年である。古代ペルシャ文化、古代エジプト文化、古代中国文化にも、それぞれ固有のスポーツが先行していたことは史実に明らかである。残念ながら,日本文化史におけるスポーツの歴史についでは,今日なお研究されてはいない。
 われわれは,スポーツそのものを,文化という視角から新しく見なおすと共に,スポーツのもつ文化機能を生かすことが大切である。「オリンピック競技は,宇宙の厳粛なるリズムに則っとって祝福されなくてはならない」とクーべルタンが言った意味で,スポーツの文化機能についても,新しいものの見方が必要である。
 オランダの有名な歴史哲学者でまた言語学着でもあるヨハン・ホイジンガは,このスポーツを,最初から文化概念として捉え,文化そのものが,どこまで,遊戯やスポーツの性格をもっているかという新しい理想のもとに「ホモ・ルーデンス」を著わしている。「ホモ・ルーデンス」は,「人間・すなわち遊戯する存在」という意味である。1903年に「私の心の中では,人間文化は,遊戯のなかに,遊戯として発生し,展開したのだという確信が,次第に強まるだけだ」と彼は言っているが,その研究は,1938年にホモ・ルーデンスを公刊するまでの数10年間つづいている。
 要するに,スポーツの中にはビジョンがあり,そのイメージを形象化する構想的創造力があらゆる文化の母体であると見ていいであろう。
スポーツ少年団の理念 スポーツの本質 スポーツと友情
(スポーツ少年団育成指導員テキスト 共通科目 昭和60年刊 日本体育協会 一部加筆)
 
 スポーツの歓びは,仲間がいるからである。その仲間は,きびしいルールのなかで,共に対決しなければならない仲間でもある。自己の名誉と誇りと勝利とを賭けた仲間でもある。かかる仲間に友情が湧くのは,フェア・プレーからくる歓びがあり,この歓びが,高調した緊張の中での競技によって−層深められていくからである。スポーツ仲間が,自然に深い人間関係で結ばれるのは,そのためである。
「友のために命を捨つる,これより大いなる愛はなし」と,キリストは訓えているが,スポーツ仲間の友愛は,まさにそのような友情である。それは心の深層で結ばれる歓びと友愛の深き人間感情の作用である共感からくる。共感は,あらゆる想像力を駆使して,自己ならぬ他の者となって,他の者の立場に立って,自ら想像し,自ら思考するのである。したがって,つとめて共感し,つとめて想像することは,高い道徳への道である。
 また,スポーツ仲間に育つ友愛の感情は,社会性や国民性や国際性に至る本質的なる基盤である。歴史の光のさす場所におかれたスポーツ,そしてそのスポーツ仲間の友愛は同時に世界人類性につながる所以もそこにある。クーペルタンが発見した,スポーツによる世界平和への道を,高く照すべきである。
 
スポーツ少年団の理念 スポーツの本質 スポーツの歓びについて
(スポーツ少年団育成指導員テキスト 共通科目 昭和60年刊 日本体育協会 一部加筆)
 スポーツにおける歓びは,スポーツが自主的な自由なる活動であって,それ自身完結的な行為であることからきており,したがって,この歓びには,真の満足感が伴っている。日常生活の掟さえも何らの効力をもたないスポーツ活動の中で少年・少女たちは,日常生活の慣習や拘束からも完全に解放され,自己本来の姿に帰った別の存在となり,生と自然の感動のうちに,自らを,より高く,人間なるものへ形成していくのである。心の深層で営まれる歓びと満足の結合からは,必ず新しい人間が生まれる。それは,かかるプロセスそのものが人間形成の自然の道であるからである。クーペルタンは,これと同じ人間形成?の道を,歴史のなかに発見していた。
 もし少年・少女たちが,学校生括や社会生活において,生と自然の感動から湧き起る歓びや・かかる歓びと与える充ち足れる満足感を,しばしば経験していたとするなら,あの不幸なる少年たちが,果して発生したであろうか。また,不幸なる少年時代に代って発言するならば、かかる生活が与えられなかったことに対する反抗であると言える。学校教育の現状は,きびしく批判されなくてならぬ。また一般に大人たちは,少年・少女たちの魂の自然な祈りに静かに耳を傾くべきである。

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