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2012年04月22日
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上原先生 関東小学生バレーボール連盟小史
関東小学生バレーボール連絡協議会とは
[上原先生]
昭和56年の全国小学生大会の各都道府県代表者会の時、中村さん、手塚さんが関東各部県の代表の方に代々木青少年スポーツセンター(オリンピックセンター)で呼びかけた。
日小連の他に近畿地方でのブロック組織が出来はじめた頃だったので、関東でも任意のブロックが出来つつあった。
しかし、あくまでも任意の組織のもので、~組織だった (例:関東連盟)とつながったものではなかった。
そこで、関東各部県が縦にも横にもつながる組織を作る事が基本の考えにあって呼びかけた。
[手塚氏]
当時小学生のスポーツ振興に目が向き始めた事で、関東連盟の中でも、千葉の新墾先生、埼玉の(故)青木先生、神奈川の萩原先生の3人が相談役となり、連絡協議会が組織を作り始めていた。
[中村氏]
関東連盟の中には、小学生がしっかりしなければ、連盟に入るに至らないため、関東各都県の小学生連盟がしっかりしていなければならない。連絡協議会に通したときに、初めていきるもので、すぐに関東連盟には加盟出来なかった。また、当時、家庭婦人もうまくいっていなかったので、小学生も加盟出来なかった。
[関氏]
皆様になつかしい思い出を聞くと当時は大変だったと実感しました。その時、苦労したことはどのような事でしたか。
[上原先生]
加盟についての関東連盟の受理。その為には関東役員への説明が出来る実績作りが必要だった。
連盟ではなく、連絡会になったのは、各都県の小学生連盟組織がまとまっておらず、それがまとまれば関東連盟として認められる。また、各都県の小学生活動の実績が関東連盟において把握されていなかった。
[中村氏]
昭和58年に任意の大会東京、昭和59年に任意の大会が千葉県でが行われていた。以上の大会は任意の大会のため登録も何もないまま開催された。
[手塚氏]
昭和53年に日小連設立の組織(大阪会議において)各都道府県の理事長を集めて、登録団体の大会をしなくてはならないと呼びかけることとした。当時、山梨の志村先生が主となり話し進めていきました。
[中村氏]
昭和60年に関東連盟に加盟し発足した。たまたま私が言い出した為、第1回大会は12月22日埼玉で開催することになりました。
[清水氏]
昭和61年に山梨国体の団体リハーサルとして、関東連盟の役員が山梨に集まることが多く、上原先生と会う機会が多くなり、新墾先生や(故)青木先生に会うことが多くなったという経緯があったと思う。
12月の開催の理由としては小学生の冬休み中にまた日小連にもう一度戻された。
[中村氏]
関東連盟の組織を作る時期に関東各都県の会長から関東連盟の会長にすればいいという事からまず東京からスタートした。
[関氏]
上原理事長から手塚理事長に変った時の苦労話などあったら、お話下さい。
[上原氏]
交代時期は、組織がやっと固まってきた時でしたね。役員はお金の集まる都県、東京・神奈川からは理事2名が選出された。
関東小学生連盟では大変苦労しました。大会等の時には、懇親会を開き、監督との交流をはかりましたね。
[手塚]
最初から関東連盟の傘下に関東小学生連盟が入り、大会等が認められる事になりました。
日本協会と各ブロックとは別に関東連盟ということではなくて、運営理事に各ブロックが入ることになる。
[上原先生]
関東小学生連盟の今日の隆盛発展は多くの方々のご尽力によるものであることは言うまでもない。その中でも、すでに故人となられ、関東小連役員としてご活躍された方をご紹介することにします。
群馬/金田氏、東京/山田氏・石井氏・青木氏、神奈川/飯島氏、ご冥福をお祈りいたします。
今後期待すること
[関氏]最後に、関東小学生連盟もまもなく20周年を迎えるにあたり、今後望むことがありましたらお聞かせ願い
ます。
[上原先生]
創設の頃が、バレーに対する関心も大きく、組織作りも今と違い、良かったと思う。この社会情勢のなかで、バレーが低迷していることは大変寂しいことですね。役員の方に頑張ってもらいたい。
[手塚氏]
普及するのは、指導者が本腰を入れて掛からなければ。振興してもらいたい。役員の苦労も分かるが苦労してもらって夢をもう一度、期待している。
[中村氏]
各都県の組織の充実が関東小学生連盟の力になると思います。関東小学生連盟から日小連役員を出すことが必要だと思っています。
[清水氏]
関東大会が小学生(底上げ)の指導普及になるように頑張って残していってほしいと願っている。
[関氏]
本日は大変お忙しい中ご出席頂きましてありがとうございました。
20年にもさかのぼって貴重な体験、また連盟の進むべき指針をお話頂き、本当にありがとうございます。
これからは関東小学生連盟が全国に誇れるような組織作りに努力していく所存であります。
ご出席の皆様の益々のご健勝をお祈りしつつ、座談会を終了させていただきます。
[上原先生]
昭和56年の全国小学生大会の各都道府県代表者会の時、中村さん、手塚さんが関東各部県の代表の方に代々木青少年スポーツセンター(オリンピックセンター)で呼びかけた。
日小連の他に近畿地方でのブロック組織が出来はじめた頃だったので、関東でも任意のブロックが出来つつあった。
しかし、あくまでも任意の組織のもので、~組織だった (例:関東連盟)とつながったものではなかった。
そこで、関東各部県が縦にも横にもつながる組織を作る事が基本の考えにあって呼びかけた。
[上原先生]
加盟についての関東連盟の受理。その為には関東役員への説明が出来る実績作りが必要だった。
連盟ではなく、連絡会になったのは、各都県の小学生連盟組織がまとまっておらず、それがまとまれば関東連盟として認められる。また、各都県の小学生活動の実績が関東連盟において把握されていなかった。
[上原先生]
交代時期は、組織がやっと固まってきた時でしたね。役員はお金の集まる都県、東京・神奈川からは理事2名が選出された。関東小学生連盟では大変苦労しました。大会等の時には、懇親会を開き、監督との交流をはかりましたね。
[上原先生]
関東小学生連盟の今日の隆盛発展は多くの方々のご尽力によるものであることは言うまでもない。その中でも、すでに故人となられ、関東小連役員としてご活躍された方をご紹介することにします。
群馬/金田氏、東京/山田氏・石井氏・青木氏、神奈川/飯島氏、ご冥福をお祈りいたします。
[上原先生]
創設の頃が、バレーに対する関心も大きく、組織作りも今と違い、良かったと思う。この社会情勢のなかで、バレーが低迷していることは大変寂しいことですね。役員の方に頑張ってもらいたい。
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