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清水三郎小学生バレーボール回顧録
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詳細
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チャンスボールを処理する場合「オーバーハンドパスで」といわれます。
でもテレビで見るとアンダーハンドパスで処理しています。どちらが正しいのですか。
(『実戦バレーボール上』 日本バレーボール協会指導普及委員会編 著者、豊田博・吉原一男氏他著 発行者 鈴木敏夫氏 大修館書店 1985年 一部加筆)
【この項、生沼スミエさん】
私は、原則的にはオーバーハンドで処理すべきだと思います。なぜかといいますと、オーバーハンドパスのほうが正確ですし、次にトスをあげる人もあげやすいボールが飛んでくるためです。次のことを考えれば、やはりオーバーハンドパスで行うべきです。
なぜオーバーハンドパスのほうが正確かといいますと、まずポールをとらえる位置です。目の真前でボールをとらえて、あのくらいの所にあげればどこへ落ちるかと予測するのと、ある程度離れた前腕、目の斜め下でとらえて予測するのとの違いです。目の真前でとらえたほうが、正確性が増すのはいうまでもありません。
次に力の伝達の問題です。オーバーハンドパスでは、手と身体は縦長の一つのバネと考えられます。それが、縦の方向に直接力を加えられるわけです。したがって、強いバネ、弱いバネ、と調節が自在にできますし、最大限の力も加えられます。ところが、アンダーハンドパスでは、縦のバネに対して直接そのバネがボールに働くわけではなく、横あるいは斜め下に伸びた手を媒介として力を加えるわけです。どちらが力を加えられやすいかは、これもいうまでもありません。
アンダーハンドパスは、どちらかというと低くて強いボールの勢いを殺すのに適しています。オーバーハンドパスの場合は、味方に余裕がないときは大きいパス、相手に乱れがある場合には速いパスと、変化をつけやすいという長所があります。このように考えてきますと、オーバーハンドパスでは処理できないような強いボール、低くてオーバーハンドでとれないようなボール以外は、オーバーハンドパスで処理すべきでしょう。
では、なぜテレビではアンダーハンドパスを多く使うのでしょう。一つには、オーバーハンドパスを十分練習していなく、不安があり自信がないからアンダーハンドになってしまうということもあるでしょう。しかし、もっと大きな原因は別にあります。つまり、国際試合や国内の一流試合では、ボールタッチのルールがきわめて厳しいのです。ルールで決められたボールハンドリングの基準は一定でも、実際には選手の技術に応じて運用に幅をもたせているのです。高度な技術で争われる試合では、それだけルールも厳しいのです。このような基準を中学生やママさんバレーにそのままもってきたら、試合はたびたび中断され、興味のない、おもしろ味のないものになってしまいます。したがって、ある程度基準をゆるめて運用されるのです。ところがルールの厳しい試合では、オーバーハンドパスを厳密に見られるため、必然的にアンダーハンドパスが多く用いられるわけです。
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トスに結びつきやすい良いパスとはどんなものですか。
(『実戦バレーボール上』 日本バレーボール協会指導普及委員会編 著者、豊田博・吉原一男氏他著 発行者 鈴木敏夫氏 大修館書店 1985年 一部加筆)
【この項、生沼スミエさん】
私たちがママさんバレーや中学生のバレーを指導してとくに強く感ずることは、パス、トスに余裕がなくて、すごく低く速いポールが多いということです。味方に速いパスが渡ってトスがあがって打つ、相手もー回のパスで返球してしまったり、というようなことが多いわけです。これでは良いトスもあげられませんし、したがって意図的な攻撃、つまり相手の守備態勢を考えてそれをくずすといった組織的な攻撃ができません。いいかえれば、高度なバレーボールができないということになります。
まず、パスには余裕がなければなりません。味方の攻撃態勢がつくれる、要するにアタッカーが準備できるくらいの時間をつくってやるということがたいせつです。もちろん、時間的ゆとりがあっても、不正確なものでは良いパスとはいえないのは当然です。
このようなパスから、速いトス、大きいトスといろいろな攻撃パターンが生まれるわけです。
次にアタッカーが一番打ちやすいボールはどういうものかを考えてみましょう。ネットから五〇cmぐらい離れたところに、まっすぐ失速して落ちるような、いわゆる「死んだトス」といわれるものです。このようなボールは、自分で真上に投げあげて垂直に落ちてくるボールと考えればよいでしょう。それに近いトスが良いトスといえるでしょう。ここまで考えてくればもうおわかりでしょぅ。つまり、パスがトスのようであれば理想的なものなのです。現在のように、一人か二人のセッターにボールを集めて攻撃を展開するのではなく、全員がトスをあげられれば、幅広い攻撃が無数に考えられます。このようになれば、チーム力は大きく飛躍するでしょう。
しかし、現実的にはこのようなことは困難でしょう。かといって、トスはセッターにまかせればよいと考えるのは間違いです。トスにはパスと違って、柏手レシーブの弱点、ブロッカーの弱点、スパイカーの好み、相手を振るなどいろいろな条件が加味されますが、パスの際にはこれらを全く無視してもよいというわけではありません。パス=トスと考え、これらの条件を自分で設定して意図をもってパスの練習をすることがたいせつです。
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アンダーハンドパスのとき、「肘を締める」といわれますが、どういうことですか。
(『実戦バレーボール上』 日本バレーボール協会指導普及委員会編 著者、豊田博・吉原一男氏他著 発行者 鈴木敏夫氏 大修館書店 1985年 一部加筆)
【この項、生沼スミエさん】
これは、肘を合わせるということをいっているのです。アンダーハンドパスは、手首より10cm肘よりのほうにボールを当てます。ボールを安全に、しかも正確にパスするには、腕全体を一枚の板、あるいはラケットのようにする必要があります。肘をつけて伸ばす、腕の内側をつけて伸ばし一枚の板にする、という意味をこのような言葉で表現しているのです。
ポールをうまくコントロールするには、肘を曲げて、肘から先を使って右にあげたり、左にあげたりしたほうが自在にできるのではないかと考えがちですが、それでは安定したパスはできません。なぜかといいますと、ボールに角度をつけにくいということ.と、身体全体の力をボールに伝えられないからです。はね返るボールの方向は、左右にしろ、上下にしろ、入射角と反射角の原理によって決まってきます。ですからこの一枚の板を、ボールをどちらにあげるかによって当たる瞬間の角度を正しくとるというわけです。
ただし、あまり肘をつけよう、つけようとしますと胸を張ってしまって無理になりますので、両肩をちょっと丸くしますと肘がつきやすくなります。
ボールの反射角度を考える場合、腕を一枚の板と考えますと、角度を変えようとするときにはどうしても身体の動きの方向を正しく決めることが必要になります。身体がついていかないと、角度を変えることができないわけです。実業団の選手ぐらいに熟練しますと、手を自由自在に出せますので割合広い範囲のボールを処理できますが、初心者の場合はできるだけていねいに、膝と膝の間ぐらいでポールをとらえたほうが確実なパスになります。
だいたいアンダーハンドパスを使うというのが、腰から下のボールの場合が多いわけです。ですから、できるだけ低く構えて、まっすぐ腕を伸ばし、額を引いて構えます。顎があがると、どうしてもボールの位置が見えません。正確なパスをするには、飛んでくるボールをよく見て、手に当たるところも見なければなりません。
そして、ボールを板にのせて運んでいくような気持ちで行いますとうまくいきます。アンダーハンドパスといいますと、どうしても瞬間的に腕でボールをすくいあげるようになりがちですが、それでは正確なパスになりません。あくまでも彼の上にのせて、その目標の方向へ運んでいく、そして一、二歩その方向へ出ていく、そういぅ気持ちでパスすることがたいせつです。
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甲州人パワー 清水三郎氏 教育編 本音で膚の触れ合い スポーツ少年団指導者 山梨日日新聞 昭和53年
北巨摩郡白州町の子供たちを集めてバレーボールスポーツ少年団を結成したのは、昭和49年春だった。女子ばかり74人。
当初、奉仕活動、音楽発表会、施設訪問ばかりやっていた。
「バレーだけ強くなっても仕方ない。人間性養うことが大事」という考えからだった。子供とは「建前でなく本音で膚の触れあいをしていかなければだめ」が持論である。「スポーツは得意ではなかった。運動会も恐ろしかった。それに勉強ぎらいでね。きっと手が付けられない少年だったね」とわが少年時代を述懐。こんな少年にバレーボールを勧めた恩師・上原喜隆氏(現大月市瀬戸小学校校長)を今でも「人生を変えてくれた人」と仰ぐ。白州中学二年生のときだった。それから五年間、バレーボールに打ち込んだ。
「高校を出て甲府の建材店に勤めていたころ、県立第一商高のバレーボール部コーチの手伝いを始めたんですよ。たまたま峡北高校時代の恩師に巡り合ったのがきっかけでね。」ほかに、旧甲府二商定時制の生徒にも教えた。
家業の製材業を継でため四十三年、白州町に帰った。恩師上原先生のいる母校白州中学のコーチを正式に受けた。過疎の町で育っている子供たちを見て驚いた。「コートの中でも声を掛けられない子供たちばかりだった。バレーが
強くなる以前の問題だ」と思った。こうして子供たちを「人前でも正々堂々と自分の意見を人間にする」ことからはじめた。ピンクレディー全盛時代だった。子映たちに音楽に合わせて振りを猛練習、発表会を設けた。
「バレーのように上手・下手の区別がない、ありとあらゆる奉仕活動を実践した。子供の持つエネルギーはたいしたもの。今は子供たちに物ごとをやらせなさすぎる。どんどんやらせた方がいい。そのためには大人が率先してやることだ」という。三年目にして県大会に優勝した。四十六年、峡北高コーチに。四十八年、やはり県高校で優勝。
大任を果たし一休みしているとき、附からスポーツ少年団の
結成を依頼された。「活動していてコートの真ん中で、母親恋しさに泣き出す子供がいました。みんなで慰めました。団訓は “人は皆のために、皆は一人のために”なんです」と、小学三年生から六年生のリーダーらしくやさしい。
「試合は積み重ねてきた技術、人間性、マナーなどの発表の場だといっているんです。だから、人間的に負けるのが一番イヤです。勝負は単なる結果」という。子供たちには「バレーボールをやめてもいつまでも心に残る、人間的な強さを教えたい」と話す。
女子ばかりのスポ少だけに、五十三年には「白州七星てんとう虫バレーボールクラブ」と改名した。てんとう虫たちは昨年、県の三大タイトル、YBSさわやか杯、全日本少年少女バレーボール県大会、県小学生バレーボール連盟会長大会を総ナメにしてしまった。
清水三郎氏 昭和十八年一月二十九日、甲何市青沼で生まれる。甲府空襲で焼け出され、白州町へ。三十六年度峡
北高卒。第一商、旧制甲府二高定時制、白州中のバレーボールコーチを経て、スポーツ少年団指道者に。県小学生バレーボール連盟理事長。北巨摩郡バレーボール協会事務局長、県バレーボール協会理事を務める。北巨摩都白州町白須。三十八歳。
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