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甲府支部の現状 甲府支部内藤繁次氏著
『小連昭和誌』平成3年編集 山梨県小学生バレーボール連盟
現在の甲府支部は、女子13団、男子2団が登録。甲府市スポ少バレーボール部会を構成し、小連の事業はもとより独自の活動も行い、スポ小活動における手引書(甲府市スポ小本部)の活用を呼び掛けながら理想的な活動を目指しているところであります。
さて、近年の児童数の減少に加え人口のドーナツ化現象で、団運営そのものが困難な時代を迎え、指導者をはじめ地域母集団の頭を悩ませています。ですから、必然的に子供たちに魅力のある指導方法、或は事業を計画しなければなりません。しかし、幸いにも支部諸先輩のご支援、各団指導者の協力により実を結びそうなものもあります。その1つに、復活した清掃奉仕活動とバーベキューがあります。今年は雨天にもかかわらず、昇仙峡に約200人が集合し、紅葉のシーズンを迎えるにふさわしい活動となりました。また、市内小・高校生が一同に集まってバレーボール大会は有意義のものがあり、生涯スポーツに1つの接点が出来ましたし、子供たちにも好評でした。今年10月には待望の総合市民会館が完成し、広い会場で子供たちの伸び伸びとしたプレーが見られることと思います。
何れにしましても、21世紀を目前にして次代を担うにふさわしい子供のあるべき姿、あるいは大人としての責任を考えるとき、スポーツは、バレーボールはどうあるべきか。また、誰のものなのか、様々な視点でとらえる時代のような気がします。
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山梨県小学生バレーボール連盟と私
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女性指導者として 加納岩バレーボールスポーツ少年団 表ハナヨさん(故人)
『小連昭和誌』平成3年編集 山梨県小学生バレーボール連盟
山梨県小学生バレーボール連盟昭和誌発刊をお祝申し上げます。
かいじ国体の種目少年男子のバレーボール会場が山梨市に決定された年、市教育委員会より6人制の普及に小学生を対象にバレーボールのチームを結成を指導されました。4年生から6年生までの児童を募集し、女性指導者5名によりスタートいたしました。当時勤めをしながらと他の指導者も家庭の主婦という立場上、お互いに交代で指導に当たりましたが一人減り、二人減りと、何時しか私一人となり、その責任も重く感じる立場になりました。
9人制ルールと6人制ルールが異なる為、ルールブックを読み参考資料を手にしながら又先輩指導者の練習方法を見ながら練習を重ねてまいりました。昭和60年4月勤めを退職し、専業主婦になってから練習に熱が入り、チームの力がついてきました。幸にも先輩指導者から交流試合にと声をかけていただき、埼玉の所沢、横浜、川崎、静岡、東京等各屈指のチームと交流が持てました。勿論県内チーム共交流出来ましたことは、私一人の努力の為ではなく多くの保護者、素直な子供達に出会えたからです。初めてベスト8に残った事、県の体育祭で決勝戦で竜王釜水ペガ
サスと、第1回新人戦での優勝等、多くの方のご支援で女性指導者としてのこの10年間の歳月のうち感動した経験を味わうことが出来、今改めて自分のバレーボールヘの愛着が胸に泌みています。現在4年生だけのチームですが、小学生バレーは何処まで教える可きか、私は原点に戻り、社会体育を通してルールを守り、お友達とのふれあいの心、スポーツを通して心の豊かな人間になることの希望を持ちながら、子供達の気持の中へ入り指導している今日です。
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結成12年に思う 上野原バレーボールスポーツ少年団 桑名定章氏
『小連昭和誌』平成3年編集 山梨県小学生バレーボール連盟
私は上野原バレーボールスポーツ少年団の監督をしていました桑名と申します。上野原バレーボールスポーツ少年団を創設し、早速山梨県小学生バレーボール連盟に加盟させて戴きました。
在籍中は会長さんを始め役員の方々に色々と御指導を賜り、特に事務局長の清水先生には、親身な御助言を頂きました事を紙面より心から感謝申し上げます。
さて振り返って当時の事を回顧してみたいと思います。私の所では、二つの大きな問題がありました。一つは運営の面でした。私はバレーボールの大好きな子供達を集めて、バレーボールの練習を始めたのが発端です。その様な訳で会則等を作らず、私の一存で切り廻していました。加入後、色々の問題や、先生達の御指導を受け個人の力では運営が困難になってまいりました。私も父兄の協力の必要性を痛感するようになりました。親達との相談の結果、会の運営と指導を分離し、会則を作る事が出来ました。
もう一つの問題は、塾と練習との調整が問題でした。その当時から受験戦争という言葉が言われる様になり、親達が子供を塾に通わせる風潮が流行していました。その為全員が練習をするという日がなかなか取れませんでした。又年度初めの団員集めも困難な状態になって来ました。その様な状態に更に私も転職をするようになり、その上体調を崩してしまいましたので団の解散という結果になってしまいました。
私も定年後は、再度この仕事に挑戦したいと思っています。そして私にもしお手伝い出来る事がありましたら協力を致しますので申しつけて下さい。最後に皆様の今後の御発展と御活躍を祈願申し上げます。
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結成12年に思う 一宮スポーツ少年団 土屋和美さん
『小連昭和誌』平成3年編集 山梨県小学生バレーボール連盟
小学生といえば、今から8年前のことになります。そんなに月日が経ってしまったのかという感じがします。当時は、本当にバレーボールの毎日でした。監督に毎日のように怒られ、怖くて監督の顔も見るのもイヤになったり、やめようと思った時も何度もありました。
しかし、私も他の7人の仲間もバレーボールが本当に好きであり、優勝へ向けて励まし合って一生懸命に頑張りました。そして、私達は、第2回全日本ライオンカップ小学生大会に山梨県で優勝することが出来、県代表として出場することが出来ましたが、今振り返ってみて本当に良い経験をさせて頂けたと思っています。青山学院大学記念館の開会式では、あまりの感動で、苦しかった毎日の練習も打ち消される思いになり、オリンピック村では、他の県の友と交流を深めることが出来ました。そして、中野体育館での試合では、優勝チームとあたり、残念ながら初戦で敗れてしまいましたが、どれも貴重な経験でした。試合では、東京でありながらも、地元の方が沢山応援にかけつけて下さり、大変心強く、自分達のプレーが十分発揮出来たことを感謝しています。こうして、全国大会出場という―つしかないキップを手に出来だのは、私達の力だけでなく、私達を厳しく時には優しく指導して下さった監督、先輩、後輩、そして忙しい中、いつも暖かく見守って下さった父兄の皆様の影ながらの力の御蔭だということを、今、身にしみて感じております。バレーボールをやった3年間で、優勝という最高の喜びを味わうことができ、私白身の生涯忘れることの出来ない大きな思い出として、これからも心の中に大切に残しておきたいと思っています。
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結成12年に思う 峡北支部 山下一哲氏
『小連昭和誌』平成3年編集 山梨県小学生バレーボール連盟
昭和誌編纂にあたり、役員及担当された皆様方には大変御苦労さまでした。又小学生バレーボール連盟を支えてこられた方々に心から感謝を申し上げます。
私連続北支部は、男子1チーム、女子9チームで構成されており常に県のトップレベルを目指し幾度か全国大会出場を果たしております。
又スポーツ少年団活動を通じて、夏のキャンプ、冬には近県招待大会(県内外で60チーム程度)等を行い各チームとの交流を図ってまいりました。これからも小学生バレーボール連盟と共に歩みつづけ、連盟発展の為に努力していきたいと思います。
最後に連盟のますますの発展を祈念しております。
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