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【関東小学生バレーボール大会開催】
資料『関東小学生バレーボール連盟 創立20周年記念誌』一部加筆
昭和60年12月22目、第1回関東小学生バレーボール大会が埼玉県上尾市にて開催される。
男子の部
優 勝 中延(東京)
準優勝 明眸(埼玉)・
三 位大胡クラブ(群馬)・東希望ケ丘(神奈川)
女子の部Aブロック
優 勝 和光官舎(埼玉)
準優勝 東金町(東京)
三 位 琢美(山梨)・桐生北(群馬)
女子の部Bブロック
優 勝 倉賀野(群馬)
準優勝 栄和(埼玉)
三位町田(神奈川)・府ロク(東京)
以上、第1回の栄光のチームです。第4回ライオンカップで男子の法典東小(千葉)が関東勢で初の全国優勝を果たす。
昭和62年に、第1回全国小学生ブロック別バレーボール大会が8月18日〜19目、茨城県霞ケ浦文化体育館で開
催され、関東各地より県大会2・3位のチームが参加して行った大会でした。
男子〔優勝沢野ミニ(群馬)・準優勝大宮東(埼玉)・三位リトル葛飾(東京)・桜井(神奈川)〕女子〔優勝真岡(栃木)・準優勝疾風(茨城)・三位琢美(山梨)・小堤(茨城)〕
この大会は、関東小連で継続することを前提に各会議を行い、開催地の順番などを決定した。この大会後関東小学生バレーボール大会と全国ブロック別を4年に一度の開催となる筈であったが、昭和63年5月に関東各都県バレーボール協会理事長及び関東各部県小学生バレーボール連盟理事長合同会議が東京の岸記念体育館で開催されて、昨年第1回ブロック別小学生大会として開催された大会は、協賛会社(アシックス)の協賛辞退の申し込みがあり、日本協会としては従来の大会に各ブロックごとに20万円の補助金を出すので、アシックスにも同額の協賃金を申し入れ会社の同意を得たが、協賛条件について日本協会理事会で反対があり、協賛を断ることになった為に1回で終了となった。
関東ブロック大会は、第1回で中止となったが、開催地(茨城)をこれまでの関東小学生大会の開催地に準ずるものとして取り扱うこととする。
昭和61年第6回ライオンカップでは、男子の東金町(東京)・女子の倉賀野(群馬)初の関東勢ダブル優勝の快挙を成し遂げた。
この年に、宮崎・福井の両県に小学生連盟が結成され、日本小学生バレーボール連盟9年目にして名実共に全国組織となった。
昭和63年(神奈川)・平成元年(群馬)・平成2年(東京)・平成3年(千葉)・平成4年(茨城)2順目平成5年(埼玉)以上の順とした。 12月に第1回常任理事会を開催、5月の会議で決定した関東小学生大会の順番を東京都に関東大会が集中する為、平成元年(群馬)・平成2年(千葉)・平成3年(東京)・平成4年(茨城)変更に決定。
平成元年9月に第1回都県小連理事長会が東京読売会館で開催され小学生男子の増加対策についての話し合いが行われた。
男子の振興策①競技種目の増加②児童の減少③指導者の不足④指導の分担で世話役的人材が不足、以上の事が話し合われた。その席で関東小連では「バックセンター固定制」を見直すべきではとの意見がでたが、全国小学生大会と同じくすることで決定した。
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関東小学生バレーボール連盟と私
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【関東小学生バレーボール連盟の設立】
資料『関東小学生バレーボール連盟 創立20周年記念誌』一部加筆
第1回ライオンカップ代表者会議後、現埼玉県小連会長の中村氏の呼びかけにより各都県理事長の合意を得、後日、設立準備会を開催することが決定した。
その年の11月に第1回関東小学生バレーボール連絡協議会設立準備委員会が東京都板橋区役所清水出張所にて関催し、助言者に関東バレーボール連盟の新堀理事長を迎え、規約・役員構成・事業・各都県分担金について協議する。
昭和57年度の関東小学生バレーボール連絡協議会役員が構成され、初代副会長に上原喜隆氏を、顧問に新堀道夫(関東連盟理事長)氏、青木文弥(関東連盟指導普及委員長)氏を選任、代表幹事は各都県小池の理事長が選ばれた。懸案であった関東バレーボール連盟への加盟申請書提出をするが、翌年の昭和59年に加盟申請が見送られる。
昭和59年2月17日第1回関東小学生バレーボール連盟設立準備委員会の席上昭和59年度関東バレーボール連盟定例理事会において、昭和60年度より加盟認可の報告があったことにより、これまでの連絡協議会を発展的解消し、関東小学生バレーボール連盟として発足する為に期日昭和59年2月27日、会場・東京都目黒区にて、出席者は各都県小連理事長9名で、議案が提示され検討に入った。
会役員が、昭和60年2月23日第2回関東小学生バレーボール連盟設立準備委員会を開催、議事内容(規約原案完成・役員原案・第1回関東小学生バレーボール大会について)以上について協議し、6月1日関東小学生バレーボール連盟が発足、第1回の理事会が開催された。
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【全日本小学生バレーボール大会 ライオンカップ】
資料『関東小学生バレーボール連盟 創立20周年記念誌』一部加筆
この時期に、各都道府県で小学生連盟の発足や組織づくりが推進された結果、昭和53年には47都道府県が参加
し「第6回全日本少年少女バレーボール大会」が都道府県ごとに行われ、実に5,090チームの参加を数えた。
昭和54年に「日本小学生バレーボール連盟」が設立され、その2年後「第1回ライオンカップ全日本小学生バレーボール大会」が駒沢体育館を中心に行われ、47都道府県予選に参加したチームは女子3、187チーム男子340チーム、計3,527チームであった。
47都道府県の男女96代表によって行われ、男子の千葉県塚田小クラブが、見事関東勢で第3位に輝いた。
昭和57年4月にアシックスバレーボール教室が実施され、14県でスタートした。
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【小学生バレーボール普及への本格的な取り組み】
資料『関東小学生バレーボール連盟 創立20周年記念誌』一部加筆
昭和44年に日本バレーボール協会指導普及委員会(喜島慶一郎委員長)現会長の下部組織として小中学校対策委員会(砂田保委員長)が発展的に組織し、豊田博(日本協会)氏が、担当責任者として担うこととなった。小中体連校長会との激しい議論のすえ、青少年競技小中体連連絡協議会の承認をえて、「第1回全国スポーツ少年団バレーボール大会」が東京体育館を中心に男子21、女子18チームの参加で開催されることになった。
同時に小学生にも年1回の全県レベルの大会の開催が可能となり、昭和48年に「第1回全日本少年少女バレーボール大会」は35都道府県で開催され、小学生用標準6人制ルール(コート7×14m、ネット1.8m、ボール200g62cm)1,331チームが参加した。その後、現行(コート8×16m、ネット2.0m、ボール210g64cm現在はカラーボール)になった。
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関東小学生バレーボール連盟20年の軌跡 連盟の小史
資料『関東小学生バレーボール連盟 創立20周年記念誌』一部加筆
日本の小学生バレーボールは太平洋戦争以前から9人制の型で多くの子供達によって愛好されていた。
しかし小学生バレーボール組織の設立が遅れたのは、昭和24 ・ 28年の2度の文部省小学生学習指導要項の中に正課の体育教材として位置づけしてきたバレーボールが、昭和32年度の改訂に際し除外されたことが大きな要因です。
その理由は、
① 供たちにとって競技的に難しい。
② ラリーが続かず興味を示さない。
③ 動量が少なく体力つくりに役立たない。
④ 中・高校から教えても社会人になってからレクレーションとして楽しめる
などで小学生バレーボール関係者にとっては大きな打撃を受けた。
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