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3931作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,奈良,掛詞,悲別,女歌 [題詞]平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首 吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母 きみにより わがなはすでに たつたやま たえたるこひの しげきころかも ・・・・・・・・・・・・
[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)右の件の十二首の歌は、時々に使に寄せて来贈(おこ)せり。一度に送れるにはあらずあなたのせいで私の名はあまねく人に知られてしまいました それなのに恋は途絶えてしまったはずなのに しきりに恋心がつのり辛くする龍田山です ・・・・・・・・・・・・ * 「立つ」と懸詞になって、二人を隔てる暗喩として「絶え」を導く。名が立つ→龍田山(たつたやま)→絶えたる恋。 * 「すでに」は、少しも残るところなくすべてにわたるさま、完全にそうなるさまを表わす語。全く。すっかり。あまねく。 3932作者:平群女郎,序詞,贈答,大伴家持,恋情,兵庫,女歌 [題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首) 須麻比等乃 海邊都祢佐良受 夜久之保能 可良吉戀乎母 安礼波須流香物 すまひとの うみへつねさらず やくしほの からきこひをも あれはするかも ・・・・・・・・・・・・
<記事転載[「家持歌日記」を読む 第一部11]より。>須磨の海人が いつも海辺で焼いている塩が辛いように 私は辛い恋をしています ・・・・・・・・・・・・ この女性の名は「平群氏出身の令嬢」を意味する。「女郎」は、もともと漢籍で教養ある権門の令嬢に対する敬称に用いられた語である。日本の上代文献ではこれを逆さまにした「郎女」との表記も見られるが、いずれもイラツメという古来の和語(高貴の出の女性に対する敬称)に宛てられた表記と見なされている。これは、景行紀の原注で「郎姫」の訓にイラツメが宛てられていることから推測された訓み方である。 万葉では郎女と女郎を明確に使い分けている。詳しく見ると、巻二に題詞で石川女郎とあるのを、左注では「字(あざな。通称のこと)曰山田郎女也」としているが、混乱はこの一箇所にしか見られない。例えば家持と歌を贈答した紀女郎は常に女郎と表記され、大伴坂上郎女は常に郎女と称されている。郎女と表記されている人物に共通するのは、大納言以上の大官を輩出している勢力家(藤原氏・大伴氏・巨勢氏・石川氏など)の子女であることであり、一方女郎と表記された女性の出身は、紀氏・笠氏・中臣氏など、主として高卿には至らない五位以上の官吏を輩出している氏族である。いわば郎女・女郎の書き分けは、男性における卿(まへつきみ)(三位以上)・大夫(まへつきみ)(五位以上)の書き分けに相当するとも言える。但し同じ大伴氏でも大伴女郎との表記もあるが(巻四)、この女性はおそらく傍系の出身なのであろう。また、のちに触れるが、家持の妹は大納言旅人の娘であるにも拘わらず「留女之女郎」と称されている。これは、家持が自分より年少の親族について謙遜した表現を取ったものかと推測される。 ・・・・・ 3933作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,恨,悲別,女歌 [題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首) 阿里佐利底 能知毛相牟等 於母倍許曽 都由能伊乃知母 都藝都追和多礼 ありさりて のちもあはむと おもへこそ つゆのいのちも つぎつつわたれ ・・・・・・・・・・・・
* 「ありさリて」は、比喩。 …のような。時を経て後にもお逢いしようと思えばこそ 辛い恋にも 露のようにはかない命でも 辛うじて継なぎとめて暮らしているのです ・・・・・・・・・・・・ 3934作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌 [題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首) 奈加奈可尓 之奈婆夜須家牟 伎美我目乎 美受比佐奈良婆 須敝奈可流倍思 なかなかに しなばやすけむ きみがめを みずひさならば すべなかるべし ・・・・・・・・・・・・
* <記事転載[「家持歌日記」を読む 第一部11]より。>いっそのこと死んでしまえば楽でしょう ずっとあなたにお逢いできずに過ごすなら どうするすべもありませんから ・・・・・・・・・・・・ 「君が目を見」の「目」は、人体の器官としての眼を言うのでなく、眼の力によって捉えられる光景――この場合恋人のすがた――を言っている。姿を目に映し取ることは、相手を所有することにほかならない。万葉には「君が目を欲(ほ)り」などの句もみえるが、単に逢いたいとか見たいとかいうより、相手を求める欲望をより生々しく感じさせる表現である。それが成就されないとき、絶望はより深いのである。 ・・・・・ 3935作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,枕詞,人目,うわさ,女歌 [題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首) 許母利奴能 之多由孤悲安麻里 志良奈美能 伊知之路久伊泥奴 比登乃師流倍久 こもりぬの したゆこひあまり しらなみの いちしろくいでぬ ひとのしるべく ・・・・・・・・・・・・
隠れ沼のようにひそやかな恋心が 思わず度を越えたように白波立ち はっきりおもてに出てしまいました 他人にそれと判るほどに ・・・・・・・・・・・・ 3936作者:平群女郎,枕詞,贈答,悲別,恋情,大伴家持,女歌 [題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首) 久佐麻久良 多妣尓之婆々々 可久能未也 伎美乎夜利都追 安我孤悲乎良牟 くさまくら たびにしばしば かくのみや きみをやりつつ あがこひをらむ ・・・・・・・・・・・・
天平十二年から十七年にかけて、関東行幸・恭仁遷都・紫香楽行幸・同遷都・難波遷都と、聖武天皇は目まぐるしく居処を遷していたため、家持もまた奈良を留守にすることが多かった。こんなふうに貴方をたびたび旅に行かせてばかりで 私はいつも恋い焦がれているのですね ・・・・・・・・・・・・ 3937作者:平群女郎,枕詞,贈答,大伴家持,悲別,恋情,女歌 [題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首) 草枕 多妣伊尓之伎美我 可敝里許牟 月日乎之良牟 須邊能思良難久 [くさまくら] たびいにしきみが かへりこむ つきひをしらむ すべのしらなく ・・・・・・・・・・・・
旅に去るあなたが 帰ってこられる日がいつなのか せめて知りたい でもわかる術のない私です ・・・・・・・・・・・・ 3938作者:平群女郎,枕詞,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌 [題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首) 可久能未也 安我故非乎浪牟 奴婆多麻能 欲流乃比毛太尓 登吉佐氣受之○ かくのみや あがこひをらむ ぬばたまの よるのひもだに ときさけずして ・・・・・・・・・・・・
衣の紐を解き放たずにいることは、恋人に対して貞操を守っている証しこのように私は恋い続けてばかりいるのでしょうか 夜だって紐の一本も解かないでいるのです ・・・・・・・・・・・・ 3939作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌 [題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首) 佐刀知加久 伎美我奈里那婆 古非米也等 母登奈於毛比此 安連曽久夜思伎 さとちかく きみがなりなば こひめやと もとなおもひし あれぞくやしき ・・・・・・・・・・・・
天平十七年五月、都は五年ぶりに平城京に戻されたが、家持が佐保の家に落ち着いて間もなく、翌年七月には再び越中に旅立つことになったので、「恋ひめや」という思いも虚しい期待に終わってしまった。あなたが近所にいられるようになったら 恋に苦しむこともあるまいと むやみに思い込んでいた自分が口惜しい ・・・・・・・・・・・・ 3940作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,女歌 [題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首) 餘呂豆代尓 許己呂波刀氣○ 和我世古我 都美之<手>見都追 志乃備加祢都母 よろづよに こころはとけて わがせこが つみしてみつつ しのびかねつも ・・・・・・・・・・・・
* 「君」が「吾が背子」にかわっている。永遠に続くかのように心を許しあって 愛しいあなたがわたしをつねった手 その手を思い返して見ていましたら もう偲びきれなくなりました ・・・・・・・・・・・・ |
万葉集(下書き)
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